聖書の、伝道者の書の中にこんなことばがあります。「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」奇妙なことばと思われませんか?祝宴の家より、喪中の家に行くほうがなぜよいのでしょうか?普通は逆です。でもその理由も書かれています。そこにはすべての人の終わりがある。つまり死があるからだ、というのです。聖書は私たちに自分の死を心に留めよ、と言っています。どんな人でも生まれたからには、必ず死にます。死は私たちの人生において、当然起こるべき想定内のことのはずです。しかし、いざ自分や自分の愛する人たちに死が襲いかかると、まさか、と思うんです。死は想定内のはずなのに、私たちはいつの間にか、死を想定外のこととして考えてしまっています。それは危険なことだ、と聖書は警告しているんです。なぜでしょうか?そのことを今日考えてみたいと思います。……(全文を読む696)
私は先日、コミュニケーションの本を読んで大変教えられました。その本によると、伝え方に問題があると伝わらないというんです。「伝える」と「伝わる」は違うというんですね。例えば、成績不振の子供に「勉強しなさい」と言うと、ますますしなくなります。しても駄目だったという経験を積み上げて来たからです。しかし、「一緒に勉強しようか」と言うと乗って来るっていうんですね。「芝生に入らないでください」と看板が建てられていても、人はつい芝生に入ります。禁じられるとしたくなるのが人間だからです。そういうときは「芝生に入ると農薬の臭いが付きます」と伝えるって言うんですね。まあそれでも立ち入る人はいるでしょうが、ぐっと数は減るに違いありません。またレポートの締切日に間に合わなくなった学生が、「先生もう一日待ってください」と言っても、恐らく却下されるでしょう。今まで怠けていたに違いないと思わせてしまうからです。しかし、「クオリティを上げたいのでもう一日待ってください」と言ったらどうでしょう。待ってくれる先生もあるいは出てくるかもしれません。要するに伝え方が大切なんだっていうんですね。そして、最上の伝え方には共通していることがあります。相手の益や祝福を考えて語られる言葉なんですね。その意味で聖書は最高のメッセージだと思います。なぜなら、神が人間の将来と、究極の祝福を持って語られるメッセージであるからです。それでは今日のみ言葉をお読みしましょう。 ……(全文を読む695)
私は先日、将棋のプロ加藤一二三さんのインタビュー番組を見て、大変感銘を受けました。彼は、史上最年少の14歳でプロ棋士になり、今は史上最高齢73歳の現役プロです。史上最多敗戦記録の1100敗とともに、歴代2位の1300勝を超える勝ち星を持つ人です。対局中、チョコレートをぼりぼり食べたり、対局中に滝の音がうるさいと言って、止めさせたり、突如立ち上がって上から将棋盤を眺めたり、大変エピソードの多い人なんですね。
その加藤さんがテレビでも、著書の中でも、必ず触れることがあります。それは、自分がクリスチャンだという事です。いったいどうしてクリスチャンになったんでしょう。将棋というのは、相手あってのゲームですね。相手はこちらを負かしてやろうと、ありとあらゆる手を打ってきます。どちらが勝ってもおかしくない。そんな大接戦の中でいったい何が勝敗を決めるんでしょう。それはどっちが先に最善の手を打つかで決まるっていうんですね。これだという最善の手が出ると、後は自然に勝ててしまうっていうんです。ここに打てば必ず勝てるという最善の手というのが将棋の世界の中にあるとおっしゃるんですね。ならば人生においても将棋のような最善の手があるのではないか、つまり、こう生きれば必ず幸せになれる。こう生きれば必ず勝利する。こう進めば、必ず答えが出るという道があるに違いないと模索し続けていた時、聖書と出会って、キリストこそがその答えだと分かったと仰っていました。……(全文を読む694)
さて、岡山県には、全国に先駆けてアニマルセラピーを取り入れた、介護老人施設があります。アニマルセラピーとは、動物たちの愛情の強さを活用して、生きる活力を与える方法ですね。余命3ヶ月と宣告されて、すっかり元気をなくした患者さんがこちらにおられました。ところが、犬たちと一緒にすごすことで、明日も犬に会いたいなあ、と強く願うようになって、なんと2年以上延命されたそうです。また、失語症の患者さんは、リハビリをしようにも、あまり協力的ではなかったそうです。ところが、犬を施設に導入してからは、犬との交流に積極的になりました。ある日、何かを発声しているので、よーく聞いてみると、犬の名前を呼んでいたのです。なんと、20年間しゃべれなかった人が、名前を呼んでるんですね。
この施設の責任者である池永さんには、犬について、忘れられない思い出があるそうです。もの心ついたときから、ジョンという犬を飼っていたのですが、彼が小学1年生のとき、学校から戻るとジョンがいないのです。なんと、お父さんが、大阪の親戚のところにあげてしまったっていうんです。彼はショックで、泣けて泣けて仕方がなかったそうです。ところが、それから3ヶ月ほどしたときのことです。学校の前で遊んでいると、後ろから何かが跳びついてきたんですね。よく見ると、それはジョンでした。なんと、大阪から岡山まで3ヶ月かけて戻ってきたというのです。その晩、あまりにも嬉しくて、抱いて寝たそうです。地図も読めない犬が元の家に戻れたことも、本当に不思議なことですが、それにもまして、主人を慕う心に胸が熱くなりますね。もの言わぬ犬であっても、自分をかわいがってくれたこと、良くしてくれた主人については、忘れることができずに思い続けていたっていうんです。……(全文を読む693)
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