インターネットでラジオ関西の「聖書と福音」がいつでも聴ける(Web Radio) ウェビオ

Bible & Gospel
■ No.453  2008年11月30日   「人を赦すことでキリストの赦しを知る」
おはようございます。高原剛一郎です!
 先日、とても興味深いコラムを読みました。「何が人を犯罪に駆り立てたか」を徹底的に調査した心理調書です。この調査の前に、担当の心理学者は、予想を立てていました。「犯罪を生み出す理由は経済的な貧困、家庭の崩壊、教育の欠如、等にあるに違いない。」ところが、実際に出て来た結果は、予想とまるで違うものでした。人を犯罪に駆り立てる動機のベストスリーは、第一に苦々しい恨み、第二に、自己憐憫、第三に責任転嫁の人生観であったそうです。……(つづく)

本田路津子:主の祈り


新約聖書 マタイの福音書6:9、12
 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。………私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。


■ No.452  2008年11月23日   「悔い改めるのに遅すぎることはない」
おはようございます。高原剛一郎です!
 さて、ペットを本当の家族のように接する人が増えているそうです。泊まりがけの旅行の時も一緒に車に乗せて連れて行くって言うんですね。ところが、犬の中にも乗り物に強い犬と、弱い犬がいるそうです。弱い犬は乗り物酔いするんですね。この犬の車酔いを防ぐためには、二つの方法があるそうです。一つは運転中よく犬に話しかけてやることだそうです。「きれいな景色だろう。見てみろよあの紅葉。パーキングでちょっと休もうか。」とにかく会話をすると、気分が晴れるっていうんですね。……(つづく)

福沢路得子:ヴィア・ドロローサ


新約聖書 ルカの福音書23:42-43
 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」


■ No.451  2008年11月16日   「重荷を軽くする秘訣」
おはようございます。高原剛一郎です!
 私は先日、全身マッサージをしてもらいました。頭のてっぺんからつま先まで、コリというコリを取ってもらった後、ビックリするぐらいスッキリ、はっきり、くっきりした感覚が全身にみなぎりました。なんと視力まで少し回復したようです。肉体のたまりにたまった重荷を除いてもらうことで、随分活動力がアップしたように思います。そこで、今日は人生の重荷を軽くするキリストについてご紹介したいと思います。……(つづく)

ノア:喜びの中で


新約聖書 マタイの福音書11:28-29
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。


■ No.450  2008年11月09日   「器をきよめるキリストの犠牲」
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おはようございます。高原剛一郎です!
 ある方がこんなことを書いておられました。厚さ0.1ミリの紙でも、35回折り重ねると3400キロメートルに達します。又、一日10円ずつ貯金すると、80年間で利子を含めて1000万円になるって言うんですね。この番組も今日まで積み重ねて450回目です。ということは、初回から毎週この番組を聴いて下さった方は、450回も聖書のメッセージに触れて下さったということになりますね。それは素晴らしい事だと思います。……(つづく)

国分友里恵:君もそこにいたのか

新約聖書 ローマ人への手紙5:8
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


■ No.449  2008年11月02日   「裁きを語る理由」
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おはようございます。高原剛一郎です!
 先日、ある作家がこんな事を書いていらっしゃいました。「言葉で大切なのは、温度と鮮度だ」と。どんな内容のある言葉も本心からの熱意が伴っていないと相手には伝わらない。また、ありがとうとか、ごめんなさいという言葉も、タイミングを逸したり、のばしのばしにしていると鮮度が落ちて、効力を発揮しないって言うんですね。言葉はいつも熱い心で、時宜にかなって語られるとき、相手に届くものとなるようですね。……(つづく)

福沢路得子:主の恵み語るは楽し

新約聖書 ヘブル人への手紙9:27-28
 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。


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