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Bible & Gospel

No.453 2008年11月30日「人を赦すことでキリストの赦しを知る」

お早うございます、高原剛一郎です

 先日、とても興味深いコラムを読みました。「何が人を犯罪に駆り立てたか」を徹底的に調査した心理調書です。この調査の前に、担当の心理学者は、予想を立てていました。「犯罪を生み出す理由は経済的な貧困、家庭の崩壊、教育の欠如、等にあるに違いない。」ところが、実際に出て来た結果は、予想とまるで違うものでした。人を犯罪に駆り立てる動機のベストスリーは、第一に苦々しい恨み、第二に、自己憐憫、第三に責任転嫁の人生観であったそうです。

赦さない心から湧いてくる苦々しい思い

 ところで、苦々しい思いは、どこから湧いてくるんでしょうか。それは、赦さない心から湧いてきます。恨みがましい心は、その人の内で苦々しい思いを育てていくんですね。
 ところで、世の中にはにがい思いを持って当然に思えるような事件や環境があると思います。しかし、赦さない心は不思議なことに、赦されなければならない人よりも、赦さない人自身を滅ぼしていくんです。第一にその人は、人生がとてつもなく息苦しくなります。本当の友達が出来ません。たとえ出来ても長続きしにくくなります。なぜなら異様に独占欲が強く、友の行動を縛りがちになるからですね。自分よりも強い人、目上の人には徹底的にお世辞を言いますが、自分よりも弱い後輩や下の人には辛く当たる。とてもつきあいにくい人になるという傾向があるそうです。人は一体どうすれば赦さない心に打ち勝つことが出来るんでしょうか。

クリス・キャリアー少年襲撃事件

 アメリカにクリス・キャリアーという人がいます。彼は1974年、明日からクリスマス休暇だというときに、ある事件に巻き込まれてしまいます。彼が10才のときのことです。学校から帰って家まであと少しというところで、一人の男に声をかけられます。「君のお父さんのために、パーティーを開くんだけど、部屋の飾り付けを手伝ってくれないかい。」お父さんの名前を知っていたので、てっきり父の友人だと思い込み、その男の車に乗ってしまったんです。ところが、この人物はクリスの一家にひどい恨みを持った人物だったんです。数年前クリスの親戚の介護人として雇われていたんですが、アルコール依存がひどいために首になった。そのことを恨みに思っていたんです。やがて男はマイアミの人里離れた土地へ連れて行ってアイスピックでクリス少年の胸を何回も付いたんです。そして、さらに車を走らせ、エバーグレイスという湿地帯で降ろし、藪の中に連れ込んで頭を銃で撃ち、そのまま置き去りにしたっていうんです。幸いにも弾丸はかれの目の後ろを通って右のこめかみから抜けていったそうです。奇跡的に、脳には一切損傷がなかったというんですね。

恐怖と不眠で苦しくてたまらなかった日々

 さて、6日後に彼が意識を取り戻したとき、撃たれたことは全く覚えていなかったそうです。道ばたに座り込んでいるところを通りかかった人に助けられ、九死に一生を得たのです。2週間後、襲った人物の特徴を警察に話し、似顔絵が作られ、そしてそれに基づいて、遂に犯人が捕まったんです。しかし、クリス少年はあまりの恐怖とストレスで混乱してしまい、相手を犯人と断定できず、結局証拠不十分で犯人は無罪となりました。それから、家族や友人の支えで、普段の生活に戻れたようでしたが、実は3年間は、PTSDという心の状態で、とてつもない不安が心の中に同居し続けていたそうです。毎晩のように裏口から誰かが入ってくるんじゃないかと怯えるんです。何しろ犯人は捕まっていないんですから。恐怖と不眠で苦しくてたまらなかったと言います。

人生最大の力は全能の神の内に憩うこと

 しかし、13才になったときに、すべてが変わったそうです。実は彼の通っていた教会の若者達のグループで、バイブルキャンプがあり、そこに参加したんです。そこで、大きな大きな宇宙を造り、動かし、そして、自分という人間を造り、支え、愛しておられる神様について、聞いたんですね。自分はあの時、死んでいて当然のダメージを受けてたのに、今生きているのは、何故なんだろう。それは神がいかして下さっていたのだと気付いたって言うんですね。私たち人間はどんな意志の強い人でも、今回っている地球の回転を止めることは出来ません。また逆回転させることも出来ませんね。しかし、人がどうにも出来ないこの地球をやすやすと回転させている神こそは、人間を遙かに超えた偉大なる全能者です。そして、この神様を人生のよりどころとしたら、何があっても安心だと確信したんです。怖くて眠れないときには、キリストが自分を抱き上げて、いつくしみの眼差しでうなずいている光景をイメージすると不思議にすーっと眠れるようになったそうです。彼は、やがて学校を出て、聖書学を学び、学士と修士の学位を取りました。彼にとって、人生で最大の力は、全能の神の内に憩うと言うことであったからです。

将来に希望があるなら耐えることが出来る

 美しい奥さんと可愛い二人の娘に恵まれ、幸せな家庭生活を送っていた96年の9月、突然あの事件の捜査担当官から電話が入ったんです。何と77才の加害者がとうとう自白したというんです。その男は、緑内障で視力を失い、病気がちで身よりも友人もなく、ノースマイアミビーチの老人施設にいるんだ。そこでクリスはその施設を訊ねてみることにしました。彼の姿を見るなり、犯人は、「赦して下さい。」と心からわびたそうです。その時、クリスさんの言ったことばはこうであったそうです。「あなたのしたことは、とっくに赦してます。」その後、何度も会いに出かけ、奥さんや娘達を紹介し、励ましの言葉をかけ、彼が亡くなる直前まで、家族同様に接したんでした。一体彼は何故こんな事が出来たんでしょう。

恨みという神から創造主である神に切り替えたこと

 第一に、自分の仕えている神を恨みから創造主に切り替えたと言うことです。聖書の中に、キリストがすすめた祈りがあるんです。あなた方は、こう祈りなさい。天にいます父よ。私たちの罪をお赦し下さい。私たちも私たちに罪のある人たちを赦しました。
 人を赦す前に私自身が神の前に圧倒的な罪の赦しを受け取ることが、大事なんですね。「私は神の前に赦されなければならないことなんか何もない。」とお考えでしょうか。聖書を見ると、人が対人関係で傷を付けるたびに、神は息が止まるように痛みを感じ、苦しんでいると言うことが書いてあります。
 あなたは自分の身内が犯罪者になったとき、どんな心境になると想像なさいますか。また自分の身内同士で、愛しているもの同士で傷つけ合うのを見ると、息が止まるような感じがしませんか。神様は人のことを例えていうなら身内のように親しく深い関係にあるものとして、ご覧になっておられるが故に、人が罪を犯すたびに、うめき苦しまれる御方なのです。

罪すべてを背負われたキリストを見上げること

 手順としてはこうすることです。まず自分が受けてきた罪のリストを書くことです。次に自分が加害者として周りに与えてきた傷のリストを書き連ねることです。次にこの自分が被害者として負わされた罪と、自分が加害者として加えてきた罪の両方を一つ残らず背負い込んだ方としてキリストを見上げることです。キリストはあなたを押し潰そうとしていた罪を代わりに背負って十字架につき、神から代わりに裁かれて下さったんです。
 パッションという映画がありました。私はあのキリストの苦しみの残酷シーンを見ながら心のどこかで、爽快感が湧いてくるのを抑えきれませんでした。あの十字架の上で、私の罪が処分されたのだと思うと私はそこから決別して、新しく生き直して良いのだという気になるんです。どうぞあなたのために死んでよみがえったキリストを受け入れて下さい。



本田路津子:主の祈り
新約聖書 マタイの福音書6:9、12
 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。………私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。