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Bible & Gospel

No.451 2008年11月16日「重荷を軽くする秘訣」

お早うございます、高原剛一郎です

 私は先日、全身マッサージをしてもらいました。頭のてっぺんからつま先まで、コリというコリを取ってもらった後、ビックリするぐらいスッキリ、はっきり、くっきりした感覚が全身にみなぎりました。なんと視力まで少し回復したようです。肉体の中にたまりにたまった重荷を除いてもらうことで、随分活動力がアップしたように思います。そこで、今日は人生の重荷を軽くするキリストについてご紹介したいと思います。

重荷を負っている人はわたしのところに来なさい

 ある時キリストはこう言われました。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

人生を重荷と考えるのはなぜ?

 ところで、人はどのようなときに人生を重荷と考えるでしょう。自分以外信じれるものがないとき、そして、誰からも顧みられないときではないでしょうか。

 私は先日、ちょっと荒れた中学生と話をしたのです。個人的に話すと普通の子なんですが、クラスでは大人しい子を狙い撃ちにするいじめっ子なんです。「どうしていじめるんだ」っていう風に聞くと、「ぐずぐずしている奴を見ると、イライラするからだ」って言うんですね。「じゃあ、ぐずぐずしている子を見ると、どうしてイライラするのだ」と聞くと、「ぐずぐずすることで、みんなより目立っているからだ。みんなより目立つと、注目が集まり、関心の的になる。それによって自分への注目が、塩を弾くように彼の方へ行くからだ」っていったんですね。
 このケースはとてもいびつなケースですが、一つのことをはっきり示しています。人は誰でも、認められたい。顧みられたい。関心を持ってもらいたい。と願っていると言うことです。私が、泣こうがわめこうが、道ばたで倒れようが、誰一人何の関心を持つことはないと思うと、やりきれなくなりますね。少なくとも生きるのが重荷となります。
 しかし、あなたを顧みる方は、いつも生きていて、あなたをご覧になっていると言うことを、知って頂きたいのです。それは、一体誰でしょう。この天地万物を造り、この世界にあなたを送り出して下さった、あなたの作者である神です。人が人生にやるせない重荷を感じるのは、この神から離れて生きているからです。この神との断絶人生を聖書は、罪と語るのです。

夜回り先生の誘惑への3つの対処法

 私は先日、NHKの番組で、夜回り先生として有名な、水谷先生の講演を拝見しました。彼は、若者達にドラッグの危険性について、警告しています。もし麻薬や覚醒剤を誘われたら、どのようにして逃げたらいいか。具体的な提案が成されていました。

話題を変える作戦、壊れたレコード作戦、スリーディー作戦

 第一に、話題を変えると言うことです。薬を勧められたとき、今年のオリンピックは感動的でしたねと、全く関係ないことを言って煙に巻くんです。それでもダメなら、第二は、壊れたレコード作戦です。薬を差し出す相手に、うつむきながら、小さい声で「お母さんに叱られる。」これを何回も繰り返している内に、相手は諦めます。それでもやってくる人には、第三の方法、スリーディー作戦です。これは、「だって」「でも」「どうして」を延々と繰り返して諦めさせるという方法です。しかし、それでもしつこく迫る相手には、全速力で逃げることです。その時には、道の広い方、明るい方、人の声のする方へ逃げるんです。なぜなら、疚しいことをしている人は、道の狭い方、暗い方、人の声のしない方に行くからです。自分の手に負えない問題について、大人に助けを求めることは、決して恥ずかしいことではありません。それは、正しい方法なのです。大人はきっと、親の元につないでくれるからです。私たちも同じです。自分の手に負えない罪の問題を一人で悩んでいても解決はありません。キリストの元へ行くのです。キリストはあなたを全知全能の神につないで下さる方なのです。

キリストのくびきを追うことで人生が軽くなる

 第二に、人はキリストのくびきを負うことで人生が軽くなります。キリストのくびきを負うとは神のみこころに生きると言うことです。私たちは人生の中で変えることが出来ないものを変えようとするとき、人生は重く苦しくなります。しかし、変えられないものの中に、神の使命を見出していくとき人生は軽くなるのです。

エッセイスト三宮真由子さんのプラス志向の人生

 エッセイストの三宮真由子さんは4才の時に失明して以来、目が見えません。しかし、小学3年の時、彼女の人生を大きく変える出会いがありました。近所に住むドイツ人の先生が、地域の子供を対象に始めた英会話教室に入るんです。その先生は彼女と初めて会ったとき、手をしっかり握って、こう言ったそうです。「あなたは目が見えないから、耳だけで言葉が覚えられる。それは、才能よ。その才能を使えば、あなたのマイナスはプラスになります。」そして、英語で「ユーキャンチェンジ」と言ったそうです。三宮さんはあるエッセイでこう書いています。「私が男性に生まれていたら、船長になりたかった。中国に生まれていたら、貴公子になりたかった。色んな過程を考えていけば、きりがありません。でも、授かった人生が私の人生です。」彼女は今ある変えられない条件を神から授かったものとして受け止めたとき、新しい人生が開かれていったというのです。

キリストのくびきを追うことで人生が軽くなる

 ある障碍を持つ子のお母さんが、精神科のドクターに質問をしました。「この子は幸せになれるでしょうか。」と。するとドクターは言いました。「子育てには二つの喜びがあると思います。一つは、子供が親の期待を叶えてくれるという喜びです。もう一つは、子供が幸せになることを喜ぶ喜びです。障碍を持った子供の場合、前者の喜びはあまり期待できないかも知れません。でも、後者の喜びは経験出来ます。  障碍をもったこどもが幸せになれないなんてことは、絶対にありません。いくらでも幸せになれると思います。」
 変えられないことを変えようともがくときの努力は、不毛の努力です。やればやるだけ疲れ果てていくのです。変えられないことの中に、神の使命を見出し、そこに生きることによって、人生は軽くなるのです。

キリストに学ぶことによって、人生は軽くなる

 第三に、キリストに学ぶことによって、人生は軽くなります。キリストに習うこと、キリストと共に生きることによって、神は人生の重荷を忘れさせて下さるのです。
 私は先日、帯状疱疹という病気になりました。後遺症が辛くて、とうとうペインクリニックという痛みを抑える専門の病院に行ったのです。診察の前に、3ページにわたる問診票に答えを書き込む時間があるんですが、その質問は体温とか、血圧とか、普通の質問以外に、心理状態について随分突っ込んだ質問が100以上続くんです。「あなたは誰かの役に立っていると思いますか。」「あなたは誰かの幸せに貢献していますか。」「あなたは世の中のために役立っていると思いますか。」どうしてこんな事を聞くんだろうと思って、ドクターに尋ねました。すると、「自分が誰の役にも立っていないと思えるときには、痛みが何十倍にもなる。肉体の痛みは、心の状態によって、軽くなったり重くなったりする。だから、ある種の肉体の痛みは、鎮痛剤ではなく、向精神薬を使うこともあるのですよ。」と教えて下さったのです。

キリストに学ぶとはどういうことでしょう

 ところで、キリストに学ぶとはどういうことでしょう。他の人に仕える人生を生きると言うことです。キリストは神であられるのにあなたの罪を背負って十字架に架かって下さった方です。この方の習うのです。人間は自分だけが幸せになろう、なろうと思っても、本当の意味で幸せにはなれません。誰かが幸せになるために生きてると思えるときに、人は本当の意味で幸せを感じることが出来るように造られているのです。キリストはあなたの罪を背負い、あなたに天命、使命を与え、あなたの傍らで、あなたに力を与えて、世の中に天国の風を吹き込む器として下さる方なのです。どうぞ、あなたもキリストを信じ受け入れ、躍動する人生の中へ飛び込んで下さい。

ノア:喜びの中で
新約聖書 マタイの福音書11:28-29
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。