おはようございます。高原剛一郎です!
東京女子大の斉藤全休さんという人が、人間の情報処理についてこんなことをおっしゃってました。人間は何か情報を聞いたとき、三つの視点で判断するって言うんですね。第一はおもしろいかつまらないか。第二は役に立つか立たないか。第三は正しいか正しくないか。人は何か聞いたとき、この三つを瞬時に判断して、取り入れるかどうかを決めるって言うんですね。しかし、もう一つ人が惹き付けられて止まない情報があると言います。それはラブストーリーなんですね。人間って愛の物語には理屈抜きに惹かれて行くんです。昔、アメリカのデルタ航空という会社の社員が、一人23万円も出しあって69億円の飛行機を会社にプレゼントしたというラブストーリーがあります。……(つづく)
今仲幸雄:罪は緋のごと
ルカの福音書15:17〜18、22
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
おはようございます。高原剛一郎です!
昔、ヒットラーという独裁者はこう言いました。「人間ウソでも100回聞いたら本当だと思いこむようになる。」これは残念ながら事実をついているんですね。人間って何年もかけてすり込まれてきたことを信じ込んでしまうという弱さを持っています。そしてこの日本では、何年どころか明治以来百数十年間にわたって、教育現場ですり込まれてきたことが、一つあるんですね。それは人間は偶然によって生まれて来たという考え方です。これを進化論って言うんですね。「いのちというのは神の作品なんかじゃない。地球環境の偶然が重なって、弾みがついていのちが発生し、それが長い時間をかけて、より進んだ生き物に姿をかえてきた。」という考え方です。実はこの進化論は、三段論法に支えられているんですね。どんな三段論法でしょうか。……(つづく)
水落恵理子、筒井愛:エターナル・ライフ
新約聖書 ルカの福音書15:4〜7
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
おはようございます。高原剛一郎です!
私は先月ハワイに行って、びっくりしたことがありました。なんと出雲大社があるんですね。いやそれだけではなく金比羅神社もあれば、大仏殿もあります。まあおよそ日本にある神社仏閣は一揃い全部あるんじゃないかと思いました。そしてその多くは日系移民一世の方々が建てたものだと言われているんです。それを見ましたときに、人間はどこに住んでも信じるもの、信頼出来る神を「求めずにはいられないんだなあ」と思いました。人の住むところには必ず宗教があります。それは人の心の中に宗教心という欲求はあるからです。ところで、飢えに対しては食べ物という対象がありますね。渇きという欲求には水というもので応えることが出来ます。性欲にはセックスがあります。では何者か人間の力を越えた偉大なる存在を慕う宗教心にも必ずそれに応える存在があるはずだと思うのです。……(つづく)
岩渕まこと:風はどこから
新約聖書 ヘブル人への手紙2:17
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
おはようございます。高原剛一郎です!
アメリカにノーマン・マクリーンというおじいさんがいらっしゃいます。彼は元大学教授でしたが、今は引退して悠々自適の生活をしていました。しかし、73才になったとき長年心の中にひっかかってた問題に向き合うことにしたんです。実は彼はシカゴ大学で英文学を教えていたんですが、かねがね自分にだって小説が書けるんじゃないかと思ってたんですね。思っていながら原稿用紙に向かわなかった最大の理由は、今からでは遅すぎる。なにせ70才を過ぎてしまったんだからという考えでした。しかし、彼は自分の大好きな作家ジョージ・エリオットの言葉を思い出しました。「なれたかも知れない自分になるのに遅すぎることはない。」……(つづく)
松本優香:もうひとつの実を望まれ
新約聖書 エペソ人への手紙4:31〜32
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
おはようございます。高原剛一郎です!
私は先日ハワイに行きました。そして男性だけが集うことの出来る会合で短い聖書メッセージをしました。終わった後でその参加メンバーとコーヒーを飲みながら楽しい時間を過ごしたんです。何でも話し合うように導かれたんですね。そこにいたのは、バスケットの州の元チャンピオン、弁護士やお医者さん、政府の仕事をする人、音楽家など実に多彩でしかも社会的には成功した方々ばかりでした。でも本音で話合ってつくづく思ったことが一つあるんですね。それは特別な人間なんていないということです。外から見たら自信満々であったり、みんなの憧れの的のような人でも、一人の自分に帰ったとき、実は小心者で、実は嫉妬深く、えっというようなところで間が抜けてたりするんですね。私は立派な人の間抜けたところや、コンプレックスを聞いたらホッとします。「いやぁ、人間ってそんなに違わないんだなあ」と思うからです。……(つづく)
工藤篤子:安けさは川のごとく
旧約聖書 詩篇51:1〜21
神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。
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