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Bible & Gospel
■ No.335  2006年08月27日   「十字架の犠牲がもたらすもの」
おはようございます。高原剛一郎です!
 私は先週まで信州の山荘に行って来ました。夜空を見上げると、それこそ満天の星空なんですね。ところで同じ夜空を見るにしても、星座を知っている人と知らない人では、まるで見え方が違うと思うんです。星座を知らない人が見上げても「ぎょうさん(関西の方言:たくさんの意)光ってるなあ」で終わるんですね。しかし、星座が頭に入っている人が見ると、夜空というのは、ストーリーを持って迫ってくるに違いありません。これは私たちの人生においても言えることではないでしょうか。人生の中にはいくつもキラリと光る思い出や出会いがありますね。そんなことすべて偶然だと言って片づける人には、エピソードではあってもストーリーにはならないんですね。……(つづく)

今仲幸雄:罪は緋のごと

マタイの福音書26:38〜39
 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」


■ No.334  2006年08月20日   「不条理の中に輝く福音の勝利」
おはようございます。高原剛一郎です!
 終戦記念日が幾日か過ぎてしまいましたが、今日は今から60年程前、無実の罪で死刑にされたクリスチャン軍人のことをお伝えしたいと思います。その人の名は片山秀夫と言います。若干29才、東京外大を出た元海軍大尉です。彼は処刑直前まで得意の英語を活かして、戦友の無罪のために奔走し、収容所ないの教会では多くの捕虜に慰めとなるメッセージを語りました。本国に残して来た奥様と息子さん宛てへの手紙には、最後のお願いを遺言として残しました。最後の願いとは何でしょう。処刑した人々を恨まないで欲しいというものでした。なぜなら「自分はこの収容所の中で、日々神の恵みに満ち、かつてないような充実した人生にあった。私は処刑の直前まで鬱々と過ごしたのではなく、毎日愉快にすごしていた。だから恨まないで欲しい。」と書いた人です。……(つづく)

森祐理:主よみもとに

新約聖書 テモテへの手紙 第2 4:6〜8
 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。


■ No.333  2006年08月13日   「結婚の奥義とキリストの救い」
おはようございます。高原剛一郎です!
 ところで、物事の本質を知るために敢えて反対の意味を考えてみるという方法がありますね。上の反対が下、右の反対は左、高いの反対は低い、反対の意味をしると本質が見えてくるんですね。ある時、こどもに聞いて見ました。「買うの反対は何?」当然売るですよね。ところが彼はこう言ったんです。「見てるだけ。」いや、これには笑いましたね。ところで愛の反対って何でしょう?憎しみですか?いやある方はこうおっしゃいました。「無関心だ」と。愛とはどこまでも相手に関心を払うことです。目立っている人や、脚光を浴びている人に関心を払うということは容易いことですね。しかし、何も出来なくなり、何も話せなくなり、何の役にも立たなくなったときにも、関心を持ってかかわることは、愛なしには出来ないことです。……(つづく)

ゆかり:あなたのために

新約聖書 エペソ人への手紙5:24〜27
 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。


■ No.332  2006年08月06日   「赦しによる自由」
おはようございます。高原剛一郎です!
 私は先日、アンドリューという近未来小説のDVDを見ました。一家に一台ロボットがいて、人間の手伝いをするのが当たり前という時代のお話です。ところで普通ロボットというのは、主人の命令通りに動く機械ですね。命令以上のことはしないし、命令以下のこともしない。言われたことを言われた通りにするだけのものです。ところがこの映画に登場するアンドリューというロボットには、とても高度な人工知能が備えられているんです。このアンドリューは普通のロボットとは違って、自由意志を持っていて、友情を感じたり、自ら進んで読書したり、芸術活動を嗜んだりするんですね。やがてアンドリューはもっと人間らしくなりたいと願い、顔の表情がつけられるように改造してもらうんです。ところがそれだけでは飽き足らないで、自分で凄腕のロボットの改造家を捜してきて、人間と同じような人工皮膚を持つ外見にしてもらいます。……(つづく)

上原令子:よみにくだり

旧約聖書 イザヤ書53:6
 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。


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