おはようございます。高原剛一郎です!
私は大阪市内の公立小学校を出たんですが、1、2年生のころは本当に学校がピリピリと張りつめたところでした。と言いますのは担任の女の先生がそれはそれは厳しい方だったんです。給食なんて残そうのもなら、放課後まで残して全部食べさせていました。体罰なんてしょっちゅうでみんなそれが当たり前だと思っていたんですね。特に忘れ物、落とし物については飛びっきり厳しかったんです。ある時、授業で図画工作の時間になりました。クレパスという画材で遠足の思い出を描くんですが、隣の席のT君が何と忘れ物をしたんですね。クレパスを忘れたんです。……(つづく)
アサフ:サン・オブ・ゴッド
新約聖書 ローマ人への手紙6:23
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
おはようございます。高原剛一郎です!
今年2006年は、日本人で二人目のノーベル賞受賞者となった物理学者、朝永振一郎博士の生誕百年にあたるそうです。因に彼の大学時代の同級生 湯川秀樹さんは、彼より16年前に日本人ノーベル賞第一号となっています。すごいクラスだったんですね。さて、朝永博士は、色紙に何か書いて下さいと頼まれると、決まって書いた文章があるんですね。「不思議だと思うこと、これが科学の芽です。よく観察してそして考えること、これが科学の茎です。そして、最後に謎が解ける、これが科学の花です。」うまいこと言いますね。自然を見て不思議だなあ、どうなっているんだろうと思うことが科学の始まりなんですというのですね。ということは、不思議とも何とも思わないところには、科学は発達しないんです。……(つづく)
アサフ:信仰と希望と愛
旧約聖書 イザヤ書43:4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
おはようございます。高原剛一郎です!
ある経営コンサルタントの方が、昔話の桃太郎を使って会社経営のアドバイスをしておられました。鬼退治に行く桃太郎のところに犬、猿、キジがやってきて、家来にしてくれと頼むんですね。この犬というのは忠実な部下、忠犬ということばのごとく、とにかく実務を忠実にきっちり果たす人のことだそうです。次に猿というのは、知恵ある部下でアイデアマンです。大きいプロジェクトの成功には冴えたアイデアは欠かせないんですね。ところで犬と猿というのはとても仲が悪い動物です。一緒に仕事をさせると何かと衝突しやすいんですね。そこで登場するのがキジです。このキジはムードメーカーなんですね。……(つづく)
アサフ:あきらめないで
新約聖書 ヘブル人への手紙2:14〜15
そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
おはようございます。高原剛一郎です!
先日、私は生物の絶滅についてのデータブックを読み、びっくりしました。それによると、あの人気者でみんなに大事にされているコアラですら、あと10年から15年で絶滅の恐れがあると言うのです。理由はユーカリの木が茂るコアラの生息地の8割が失われたからです。いや、コアラだけではありません。今地球上の植物の8種類に1種類が絶滅の危機にあるそうです。そして両性類の3割、鳥類の8分の1、ほ乳類の4分の1が絶滅の恐れにあります。そしてチンパンジーやゴリラなどの霊長類の半分は人間の活動で絶滅の危機に瀕しているというのです。そして、現在の生物種の絶滅は過去のどの絶滅期よりも急速に猛烈なスピードで進んでいるというのですね。……(つづく)
アサフ:雪の大地に
旧約聖書 創世記 1:31
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
おはようございます。高原剛一郎です!
日本語の中には一字違いで大きく変わってしまうものがあります。くちが濁るとぐちになりますね。似ていますが意味が違います。「ほっとする」というのと、「ぼうっとする」というのも似ていますが違いますね。そして、「ほっておく」と「そっとしておく」というのも似て非なるものだと思うんです。一体どこが違うんでしょうか。見守る側の気持ちと体勢が違うんですね。こいつはどうしようもないから「放っておく」というのは諦めと無関心が前提となっています。しかし、いつかきっと良くなると信じて今はそっとして置こうというのは、期待とそして待つ側の自信が前提になっているんですね。……(つづく)
アサフ:ゆるし
新約聖書 ローマ人への手紙3:23〜24
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
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