#1124 この世の誘惑にさらされているあなた

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

コロナウイルスが蔓延するまで、いろんな所で聖書の話をしていました。そんな時、まだ信仰を持つ決心のつかない方から、こんな質問を受けたことがあります。
「尼川さんは今まで神様を疑ったことってないんですか?」まぁ自慢じゃないですが、何度もあります。神を疑ったことのない人なんて、果たしているんでしょうか。
またこんなことも聞かれました。「この世の楽しみや誘惑に未練を感じた事はありませんか?」ありますとも。イエスキリストの魅力を知って、少しずつ減りましたが、それでも世の魅力に今も惹かれることがあります。

罪の性質は消えるわけではない

私は今年で信仰生活35年。伝道者をしています。でも、私は罪赦された罪人に過ぎません。失敗の連続です。確かにキリストが大好きですし、神が喜んで下さる生き方をしたいと願っています。福音を伝えることが、生きがいです。主が行けと言われれば、どこにでも行くつもりです。
だからと言って、私のからだに沁み付いている罪の性質が消えるわけではないんですね。自力ではどうすることもできません。だから、神に頼るんです。
更に私は意思が弱く、「NO」と言えないタイプです。また子供の頃から3日坊主、決して優秀な人間ではありません。性質や特性はクリスチャンになったからといって、簡単に変わるもんではないんですね。他の人はどうか知りませんが、行き詰まった時、神を疑う気持ちがふと心をよぎります。世の楽しみに引っぱられることだってあるんですね。
もしこれらのことにあなたが思い当たるならば、知ってもらいたいことがあるんです。それを今日3つ考えます。1つ目は、神に近づこうとすると逆風が吹くという事。2つ目は、世の楽しみは手に入れるまで魅力的に見えるという事。3つ目、でも最終的に勝利するのはキリストに付く者であるという事です。

逆風は吹く

それでは、1つ目から考えたいと思います。神に近づこうとすると、逆風が吹くという事。
ある時イエスは弟子たちに、舟に乗ってガリラヤ湖を渡るよう言われました。弟子たちはその言葉に従いますが、途中激しい向かい風に会い、行く手を阻まれてしまいます。困り果てていた弟子たちの舟に、イエスが水の上を歩いて近づかれたんですね。ペテロはそのイエスに「もしあなたでしたら、私を歩いてあなたのところに行かせてください!」と求めたんです。
イエスはペテロに「来なさい」と言われました。ペテロは舟を出て、水の上を歩き進みますが、更なる強風が吹き、ペテロは恐怖のあまり沈みかけてしまいます。その時、イエスが彼の手をつかみ助けたんです。
これと似たことが信仰に進もうとする時、あなたにも起こります。神の命令に従う決心をし、キリストを主とする一歩を進み出そうとした時、思わぬ邪魔や困難に見舞われるんですね。ペテロの場合、向かい風、強風、そして舟の中にいた仲間の「危ないから行くな!」という、善意に溢れた言葉でした。これらは今も起こるんです。私たちが神に近づこうとする時、それまでなかった力が急に動き出します。
トラブル、親しい人の引き止める言葉、妨害。それは、あなたを神に近づけたくない力の表れなんですね。逆風は吹くんです。

魅力的に見える誘惑

2つ目を考えます。世の楽しみは、手に入れるまで魅力的に見えるという事。
ご存知「エデンの園」は、平和と安全と愛に溢れた場所でした。アダムとエバがここで暮らし、神と語らい、満たされた日々を送っていました。彼らには一つだけ、禁止事項があったんです。それは善悪の知識の木の実だけは、取って食べてはいけないというものです。
サタンは、その彼らをそそのかします。「その実を食べると、あなたに素晴らしいことが起こり、幸せになれるんだ。決して死んだりはしない。」と。アダムとエバは、その言葉を信じ、食べるんですね。神の言葉よりサタンの声に従い、自分の欲望を満したんです。この選択が、その後彼らをどんなに苦しい目に合わせるのか、その時はまだ分かりませんでした。なぜなら、人間は5分先の未来も見えないからですね。私たちにとって、この世の楽しみは確かに魅力的です。手に入れると満足し、最高の気分になるかもしれない。だから手に入れたいんです。サタンは、そのあなたに囁くんですね。「我慢する必要なんかない。やりたいことをやればいいんだ。神は、あなたの自由を奪い縛りたいだけ。騙されてはいけない!」と言うんですね。
でも、騙しているのはサタンです。欲望を満たすと気持ちはいいかもしれない。でもその後、虚しさが来ることも私たちは知っています。一時的な満足に引きずられてはいけないんですね。この世の誘惑は手に入れるまで魅力的に見えるもんなんです。

神の力を貰う

3つ目を考えます。最後に勝利するのはイエスに付く者であるということ。
イエスはなぜ人として来て下さったのか。もちろん十字架ですべての人の罪の身代わりとなり死ぬためですが、それ以外にもあります。私たちがサタンの誘惑に晒された時、人としてどう対処すればいいのかを示してくださったんです。
イエスは、サタンに3度誘惑されました。最後の誘惑はこうです。「サタンを拝めば、この世の栄華はすべてあなたに与える」と言うんです。その時、イエスは言われました。「さがれ、サタン。あなたの神である主を礼拝しなさいと書いてある。」旧約(聖書)の言葉です。聖書の言葉でサタンを退けたんです。
私たちはこの世の誘惑を、自力で退けることは出来ません。向かい風に阻まれ、この世の魅力に後ろ髪を引かれ、誘惑によろめきます。でもその時こそ、神の力を貰うチャンスなんです。もしあなたがバプテスマを受けていなかったとしても、聖書のことがまだ十分に分かっていなかったとしても大丈夫です。
神の力を貰うために、「イエス・キリストの名」によって神に祈ってください。神は、あなたが信仰の道を前進されることを願っておられるのです。祈っても失敗する時もあります。でも諦めないで、再チャレンジしてほしいんですね。
神はあなたをこの世界の苦しみや虚しさから救い出したいと願っておられるのです。心からお勧めします。


使用CDジャケット
小坂 忠:20世紀のアダム

今日のみことば
そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
(マタイ4:10)