#1164 人を駆り立てるもの

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

ところで私が住んでいる大阪の東住吉区には、長居公園という市民公園があります。そこにヤンマースタジアム長居という陸上競技場があります。先月ここで、日本陸上選手権大会が行われました。
私が注目していたのは、中長距離の女子選手、田中希実選手です。この方、成績もさることながら、エントリーする競技種目が多いんですね。この大会でも、800メートル、1500メートル、5000メートルにエントリーしていました。800メートルを二位でゴールインして、75分後に5000メートルに出場し、ぶっちぎりの一位で優勝したんですね。超人的です。
ここまでの成績をたたき出すためには、まさに血のにじむようなトレーニングがあるわけです。あるスポーツライターが彼女にインタビューをしたんですね。「一体何があなたをこのような過酷な練習に耐えさせているのですか。あなたを駆り立てている動機って一体何ですか。メダルですか。名声ですか。タイムですか。」すると彼女は意外なことを言うんですね。「本番で楽に走るためです。本番で苦しいとパフォーマンス悪いですから、結局勝てません。勝てないレースをやってしまうと身体は疲れる、気分は落ち込む、ついには陸上が嫌いになるかもわからない。でも本番でいいパフォーマンスができたら、こんなに気持ちいいことない。」というふうにおっしゃるんですね。
私もなんとなくそれがわかるような気がします。一回の本番、真剣勝負のために日頃の準備に駆り立てられてるということは、私もほんのわずか経験しているからです。
ところで、あなたは人生を生きていく上であなたを突き動かしているものって、一体なんでしょうか。聖書は、人生を生きる上で、人生を駆り立てるものについて、次のように語っています。

だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

ここから三つのポイントでお話しましょう。

人は何かの主人に自分を捧げている

第一に、人は自分の人生を捧げる主人を持っている、ということです。
人間は、自分の時間も能力もお金も体力も、惜しみなく使うに値する何かを求めています。そしてそれを見つけた人はそれに人生を投資していくんですね。まさに何かの主人に自分を捧げている、これが人生ということができるでしょう。

自分の人生を捧げる様々な主人

第二に、自分の人生を捧げる主人は二種類あって、それは神か、それ以外か、のどちらかです。
ある人は有名になる、という主人を持っています。そのためにやれることはなんでもやります。またある人は、お金持ちになるという主人に仕え、また別の方は歴史に名前を残すことに人生を捧げ、また別の人は異性にもてるということを人生の目的にし、また別の人は日本を良くすることに一生を捧げるという、そういう人もいらっしゃることでしょう。
そして今、とくに注目されている一つの主人は、承認欲求という主人です。つまり人から、すごい、すばらしい、おもしろい、すてきだ、と肯定されるために自分の人生を使うということです。しかしこれは、とても危ういことなんですね。人の心はころころ変わるため、人の評価もころころ変わるからです。

承認されないことによる心の傷

実は先月から、チャンネル登録者数が100万人を超えるようなユーチューバーたちが、次々と番組を停止したり、活動を休んだりしています。みんなメンタルをやられてしまい、適応障害という病気になってしまってるんですね。原因はアンチコメントによってダメージを受けて、立ち直ることができなくなったっていうんですね。
私も自分のユーチューブチャンネルを持っていますので、よくわかります。ほとんどのコメントは応援コメントなんですが、ごく一部のアンチコメントを読むと、やっぱり気分が滅入るんですね。ある時、私を励まそうとして、一人の方がこんなふうに言ってくれました。「賛否両論巻き起こるのは、高原さんが高原さんらしくしているからですよ。」なるほどと思って気持ちが新しくなりました。
すべての人に愛されることなんか、不可能ですね。自分らしくすれば、好き嫌いが分かれてくるっていうのは自然なことです。しかしどうしてもこの人にだけは認めてもらいたいという人から否定されたならば、人の心は大きな痛手を負うのに違いないのです。

母の愛を得たかったピーター・パンの作者

「ピーター・パン」という作品があります。デイズニー映画にもなりました。ネバーランドを舞台に繰り広げられる冒険物語なんですね。ところが一般に知られている「ピーター・パン」とは別の物語があります。「ピーター・パン」が発表される前に、作者のジェームズ・バリーが書いた「ピーター・パンの冒険」という作品なんです。主人公のピーター・パンはこの作品の中では、人間じゃないんですね。半分鳥、半分人間のどっちつかずなんです。生後一週間で成長をやめて、家出をし、ロンドンの公園で暮らしているんです。
興味深いのはこのピーター・パン少年の性格なんですね。ずーっとお母さんを慕い求める少年なんです。家出の理由は一日中遊びほうけることでしたが、ある晩、お母さんが泣いている夢を見て、家に戻るんです。すると扉は閉まっていて、どんなにお母さんの名前を呼んでも返事がない、もはや自分の居場所は家の中には、なかったという話なんですね。
実は、作者のジェームズ・バリーのお兄さんはスケート中に事故で死んでしまいました。それを嘆いたお母さんはその日から寝たきりとなり、弟のジェームズのことは一切面倒を見なくなったのです。ジェームズは兄を亡くしてしまうだけではなく、母の愛を失くしました。そしてその時から身長がストップします。彼は生涯153センチなかったと思います。結婚しますが、名ばかりで、近くの公園で犬や子どもたちと遊び暮らしていく中で、「ピーター・パン」という作品が生まれるんですね。ピーター・パン得意のポーズは彼のお兄さんがよくしていたしぐさです。
ジェームズ・バリーはなんとかお母さんの愛を得ようとして、このポーズをしてみせたと言われています。大人になれなかった少年とは、まさに作者自身のことであったのです。彼は、お母さんを人生を捧げて振り向かせるべき主人と捉えていました。しかし、その愛は、得ることができなかったのです。

あなたを愛される神を自分の主人にする

第三に、人がいやされるのは、神を自分の主人にすることによる、という答えです。
多くの人は両親や配偶者、子ども、先生、友人など、そういういろんな人たちからの評価を自分の支えにしようとします。しかし、そうすることで結局、それらの人に自分の人生を支配させてしまってるんですね。
社会的に見て、押しも押されもせぬ大成功者であるのに、未だに親から、よくやったと言ってくれないということで、その親に受け入れてもらおうと躍起になっている人がいます。また別の人は、同僚や仲間からのプレッシャーに悩んでいます。いつも人がどう思うのかということを気にしています。しかし、どんなにあなたが頑張っても、あなたを完全な愛で愛する人は、いません。人にはそんなことはできないのです。
ではそういう人はどこにもいないんでしょうか。ただお一人だけ、あなたを無条件の愛、一方的な愛、廃れることのない愛、たといあなたが罪人になり果てたとしても、その罪を背負って身代わりに死んでくださるほどの愛であなたを愛し、受け入れてくださる方がおられます。その方こそは、イエス・キリストです。
あなたの作者である神は、イエス・キリストを通して、真の創造主なる神に立ち返ることができるように導いてくださっています。
ぜひこのイエス・キリストを信じてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
戸坂純子:主われを愛す

今日のみことば
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
(マタイ6:24)