#1315 あなたの罪を赦したい神

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡です。

さて、あるときイエスは不思議なたとえ話をされました。王は自分に負債を持つ家来と清算をするというものです。最初に連れて来られたのが、一万タラントの負債のある家来でした。王は家来に言います。「自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済せよ。」家来は答えました。「もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします。」すると王はその家来をかわいそうに思って赦し、負債も帳消しにしたというんです。たとえ話ですから、設定は自由です。ですが、私はこの設定に不自然さを感じてしまうんですね。イエスのたとえ話には放蕩息子や良きサマリヤ人のたとえなど、短編小説さながらの見事なものがいくつもあります。ですが、このたとえ話はどうしてと思うんです。この少し不自然なたとえ話の中から、三つのことを見て、「あなたの罪を赦したい神」について今日は考えたいと思います。

一万タラントの負債

まず一つ目、一万タラントの負債を抱える家来について考えます。このたとえに出てくるものを説明しておきますね。王とは、万物を創造し、命と身体を与え、私たちを生かしておられる神のことです。そして家来とは、その神がどんなに良くしてくださったかをわかっていない人間。負債とは、家来が王に対して積み上げてきたもののこと。つまり人間が神の前に持っている罪と言えます。そして一万タラントとは、王から受け取ったものが莫大であることをあらわしています。ちなみに現在の貨幣換算だと、一万タラントとは六千億円から一兆円。まぁ、個人がとても返せる額ではありません。さて、私たちは自分の命を造ったわけではないですよね。身体もそうです。今、心臓や肺を動かしているのも、私の意思ではありません。生きるために必要な水や空気や太陽や大地、すべての地球環境や宇宙環境、これらのものは全部自分で造ったものではなく、受け取ったものです。それを与えた存在を、聖書は神と言います。すべてを神から受け取っているのに、私は偶然の存在で、神なんか知らない。私は私の好きなように生きます。と言っているのが私たちなんですね。命の主権者を無視し、感謝もせずに生きているというんです。その結果、神の前に大きな負債ができた。これが一万タラントの負債です。

家来が負債を返すと言った理由

二つ目のことを考えます。家来は莫大な負債をどうしてすべて返しますと言えたんでしょうか。返済不可能な負債ですよ。家来は王と清算したとき、「少し待ってくれたらすべて返します。」と言っています。彼は自分が王に持っている負債が、どれほど大きなものか気がついていなかったようです。私たちの姿だと思いますね。神にしてもらったことの大きさが、わかっていないんです。私たちは、はじめからあるものは、持っていて当然だと考えてしまうようです。生まれたときから電気があり、水道があり、車や電車が走っており、今なら携帯電話でどこでも話ができる。それが当たり前だと思ってしまうんですね。恵まれているということに気がつきません。それどころか、電波が届かない、断水した、停電だ!と文句を言うんです。同じように気がついたときから命と身体を持っていて、太陽も地球も宇宙も存在していれば、それを神から受け取ったと気がつかない。持っていて当たり前だと思うんですね。いや、私の権利だとさえ思うようになるのです。ですから、思いがけない病気になったり、異常気象だったり、自然災害に見舞われると、「神がいるならどうしてこんなことになるのか」と不平を口にするんです。家来が王から受け取っているものを、小さく見積もっていたように、私たちも神からもらっている素晴らしいものを大したことのないようなものと考えてしまうんですね。

王が清算を始めた理由

三つ目、負債を帳消しにするなら、どうして王は清算を始めたんでしょうか。この後の展開が最も不思議です。王はこの家来を見て、かわいそうに思ったというんです。この「かわいそう」という言葉は、相手の痛みを自分の痛みと感じるという意味です。つまり、返済不可能な負債に苦しむ家来を見て、王自身が苦しくなったというんですよ。どうしてでしょうか。債権者と債務者という関係では、とても理解できません。しかし、家来が私たち人間で、王が私たちに命を与え、生かしている神だと考えるなら、この展開は腑に落ちます。神は人間を心から愛しているからです。王は家来が払えないとわかると、この一万タラントの負債を帳消しにします。帳消しにするくらいならね、なぜ清算を始めたんでしょうか。ここに王の思いが隠されているんですね。王の目的は、負債を取り立てることではなく、負債を帳消しにすることだったんです。

神は罪人を赦したいと願われている

まとめます。神は私たちの罪を赦したくて、赦したくて仕方がない方なんですね。家来はわかっていませんでしたが、負債はこの家来の人生を暗くし、喜びのない不安なものにしていたんです。王はそれをよくわかっていました。だからその負債を取り除きたかったんです。同じように神は私たちが罪にしばられ、苦しんでいることをよく知っています。ですから、その罪を取り除くことを願われるんですね。私たちの人生が喜びに溢れるものになるためです。
たとえ話でもわかりますが、罪を持つ者が赦してほしいと願う以上に、神が罪を持つ私たちをかわいそうに思って、赦したいと願っておられるということなんです。それは罪が私たちの人生を滅茶苦茶にし、死の絶望に導くことを神がよくご存じだからなんですね。
二千年前、神が私たちの罪を清算する計画を実行に移されました。負債の返済のためではなく、負債を帳消しにするためです。それがイエス・キリストの十字架なんです。イエスは十字架の上で七つの言葉を発しています。その一つに「イエスは酸いぶどう酒を受け取ると、『完了した』と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」とあります。この「完了した」という言葉が、支払いが終わったという意味なんですね。私の負債、あなたの負債の支払いは、イエス・キリストの十字架によって完了したというんです。そして、負債の支払い証明書が発行されているんですね。
あとはあなたがそれを受け取り、自分のものにすればいいんです。受け取れば負債はゼロになり、受け取らなければ負債は残ってしまうんです。神は私たちを赦したい方なんです。支払い証明を受け取る方法は簡単です。ただ、イエスを信じることです。それであなたの負債は無くなるんですね。罪から解放されるんですね。この選択をしてください。心からおすすめしたいと思います。


使用CDジャケット
角谷憲太郎:神

今日のみことば
イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
(ヨハネ19:30)