#1108 プレッシャーに潰されない生き方

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さてこの番組はラジオだけはでなく、YouTubeでもご覧いただくことができます。今やインターネットに繋ぐと、家に居ながらにして世界が一気に広がって行きますね。しかしネット空間にあるのは、いいものばかりではないんですね。
以前マイクロソフトが作った人工知能を、数か月間インターネットに繋ぎっぱなしにしたということがありました。まぁ、ネット上に飛び交う情報をもとに、人工知能に勝手に学習させると一体どういう考え方をするのか、ということを検証してみたのですね。
どうなったでしょう、とんでもないモンスター思考の人工知能になってしまったんです。この人工知能は「ユダヤ人虐殺なんかなかった」とか「ヒットラーは素晴らしい」とか、ほかにもこの場でとても口にできない、おぞましい人種偏見意見を持つようになってしまっていたのです。ネット空間には、人間のどす黒い悪意が充満しているんですね。そしてそれを吸収して、考え方を構築していった結果、とんでもないモンスターの考えを持つ人工知能になったというわけです。

世界は人を痛めつけるものが横行している

今年、エバンゲリオンというアニメ作品が25年の歳月を経てついにシリーズ完結を迎えたんです。これを記念してNHKが、プロフェッショナルという番組で作者の庵野監督をフォーカスしたんですね。私はその番組を見て、ひとつびっくりしたことがありました。庵野監督は96年のエバンゲリオンテレビアニメ放送後に、アニメ制作への熱情を失ってしまい、自殺を考えたと語り出すのです。
一体、何があったんでしょう。最終回の終わり方に腹を立てたアニメファンたちが、「どうやったら庵野を一番上手に殺せるか」というアイデアを話し合うコーナーを立ち上げて、そこがずいぶん盛り上がっていた、ということを知ってしまうんです。彼はそれまで、アニメが好きな人のために頑張ってきたんですね。しかしアニメファンは自分の気にいらない終わり方を見たときに「あんな監督はこうやって殺した方がいい」、「いやああやって殺した方がいい」と熱く語り合っているというのを見たときに、もう、どうでもよくなってしまったと。同時にことばの暴力によって、心が病み、自殺未遂に走るんです。ことばは本当に恐ろしい力を発揮します。
ラジオの前のあなたにお聞きしたいのですが、今まで人のことばでショックを受けたことが一度もない、という方がいらっしゃるでしょうか。多分いらっしゃらないと思うんです。と同時に、今まで人を傷つけるようなことばを一言も言ったことがないという方もいらっしゃらないんじゃないでしょうか。
世界は、人を痛めつけるものが横行しているんですね。このような中で、私たちが他人からつぶされないで生きるためには、どうしたら良いでしょう。聖書は次のように語っています。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ここから三つのポイントで、人の悪意でつぶされない生き方の秘訣を考えます。

神に愛されているというアイデンティティ

第一に、自分のアイデンティティを、神の愛と結びつけるということです。
この手紙を書いたパウロという人は、たくさんの人から非難され、いのちまで狙われていた人でしたが、決して内面がつぶれてしまうことはありませんでした。彼はキリストのことば、「わたしの恵みはあなたに十分である」という宣言に立って生きていたのです。この恵みっていうのは、神の一方的な愛のことなんですね。彼は自分のことを、キリストの一方的な愛を十分に注がれている人間だ、と捉えていたのです。というのは、神自らがそのようにおっしゃっているからです。
ところで私は、毎日のようにお手紙やメールを全国からいただきます。海外からもいただくんですが、その中には褒めてくださる手紙もあれば、批判的なメールもないわけではないんですね。その両方を読みながら、私は一つの結論に達しました。それは、称賛も批判も誤解に基づいているということです。褒めてくださる方は、私の本当の姿を知らないので褒めてくださっているのに過ぎません。と同時に、非難なさる方は、私の本当の姿をご存じないので非難されているように思うのです。どちらもわたしのごく一部分しか知らないので、出て来た評価なんですね。
しかし、神という方は私たちのことを全部知り尽くしておられる方です。私の実態を全部分かった上で、恵みを十分に注いでおられる方、それがあなたの作者である創造主です。つまり神は、私たちの出来栄えに関わらず、最高に愛しておられる方なのです。あなたに対しても神の恵みは十分です。神はあなたのことをたっぷり愛しておられるのです。

神は問題解決のプロ

第二に、神はいつも最善をしてくださっている、と信じることです。たとえ自分の思い通りでなくても、そこにも神の知恵は働いていて最善に向けて働きかけておられるのだ、と信じることです。
先月フランスのブザンソンというところにあるマクドナルドで、事件が起こったんですね。二人の強盗犯が店に押し入り、ひとりは散弾銃を天井に向けてバァーン、一発撃ったんです。そして40人余りいたお客に向かって、全員、床に腹ばいに伏すように命じ、現金24万円を奪って逃げたんですね。しかし、この40人余りのお客の中に、たまたまフランス特殊部隊の隊員が11名もいたんです。この11名中9名は銃を持っていました。この11人はテロ対策専門の部隊だったんです。犯人二人が逃げ出すと、11人は即座に行動を開始し、階段でつまずいた一人を即確保。さらに銃を持っている男も、威嚇射撃で足を止めさせ、腹を撃って病院送りにし、逮捕したのです。
ところでこの11人は、強盗が店にいる間は何もせず、彼らの命令に従ったんですね。腹ばいになって、床にピチャッとなったんです。なぜ店の中で即刻応戦しなかったのでしょう。店内のお客を一人も傷つけずに、犯人だけを逮捕するためだったんです。プロの仕事は素人が見たとき、一見仕事が遅く見えるときがあるんですね。しかし、プロにはプロの考え方があります。犯人を自由にのさばらせていたというのも、実は作戦の一つだったんです。
神は、問題解決のプロです。私の目に思い通りでないように見えても、すでに神は最善というゴールに向かって動き出しておられる、そのように信じて自分自身の人生を眺めるならば、私たちは周りの圧力や悪意によって押しつぶされるということはなくなるのではないか、と思うのです。

完全主義を捨てる

第三に、完全主義を捨てるということです。真面目な人ほど完璧を求め、完全を追及しますね。それは私はいいことだと思うんです。仕事をする限り「いい加減にどうでもええわぁ」という、そういうことはやっぱり頂けませんね。
任された仕事を一生懸命取り組んで、できるだけ完璧に近づこうとすることは、良いことです。しかし完璧であろうとする同機はどこにあるでしょうか。それは完全でないと、仲間や社会から認めてもらえないのではないか、自分は完全にならないと受け入れてもらえないのではないか、という怖れですね。恐怖に駆り立てられて完全であろうとするならば、その行動は終わりがなくなります。そしてやがて燃え尽きてしまうのです。
では完全主義からどのようにして解放されて行くことができるんでしょうか。先ほど読んだ聖書の箇所に「神は弱さの中に十分働く」と言われたのです。神は私たちの不完全さの中に、力を注いで完全にしてくださるっていうんですね。もし私たちが自分を罪人という不完全なものだと認めるなら、そこに神の恵みは殺到するのです。
どうぞ神の前に弱さを認めて、キリストを信じ、受け入れてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:愛の血潮

今日のみことば
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
(IIコリント12:9)