#996 救いをもたらす信仰とは

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

今日も聖書が語るグッドニュース、福音についてご一緒に考えていきましょう。
ここ数年聖書を共に学んでいる友人がいます。彼が最近こんなことを言っていました。
「近頃は木や石で作られた像に線香を供えなくなった。人間が作ったものではない、目には見えない本当の神がおられるなあ、と思うようになったんだ。」と。
彼は誰から言われるわけでもなく、そういう像に頭を下げる必要を感じなくなったというわけです。
本物の神を意識し始めたのなら、その神が用意しておられる本物の救いを是非手に入れてほしいなと願うばかりです。
さて、パウロというクリスチャンが次のように語りました。

主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。

(使徒16章31節)
今日は「救われるために主イエスを信じる」とはどういうことかを考えていきましょう。

イエスは預言通り生まれた

まずはじめに、イエスは特別な人であることを信じ、受け入れるということです。
聖書の表現によればイエスは人間の姿を取られた神のひとり子、罪のない御方とあります。
イエスは法律的にはヨセフとマリヤの子どもとなりましたが、結婚生活に入る前のマリヤの胎に、神の力によって宿ったのです。
処女が身ごもるというのは、2000年前当時では奇蹟ですが、現代では人間の技術でその状況を作り出すことができます。
平成28年には日本で5万4千人ほどの子どもが体外受精によって生まれました。計算では18人に1人はこの方法で生まれてきたことになります。
対外で受精させた卵子を母となる人の子宮に戻すわけで、理論上は肉体関係を持たない女性でも妊娠可能なのです。
全く同じ方法ではないですが、人間でもできることを全能の神ができないわけががありません。
この処女降誕についてはイエス誕生の700年ほど前に預言されていました。救い主の特別な誕生を神が予め宣言されていたのです。
夫であるヨセフはそのことを御使いから知らされたあります。
だれよりも状況がわかっている夫ヨセフがマリヤとイエスを受け入れているということこそ、これが事実であることを物語っています。
今から2000年前、イエスは神の霊によってヨセフ夫婦を通じてこの世界に送られたってくださったのです

イエスは罪のない方

次にイエスを信じるとは、イエスの十字架と復活のわざを信じ、受け入れるということです。
特別な人としてこの地に来られたイエスは罪の性質を持たないものと言われています。
罪のない清い方だけが、人間の罪の身代わりになることができます。
神と人間との間に壁のように立ちはだかっている罪の問題を神は解決しようとされました。
イエスは十字架の上であなたの罪を背負い、あなたら受けるはずであった神の裁きを身代わりに受けてくださったのです。
以前、息子が気胸という病気になりました。肺に穴が開いて、とても息苦しくなります。
自然に治ることもあるのですが彼の場合は手術することになりました。
主治医から事前に説明を受けました。肺を水に浸してから肺に空気を入れ、穴の開いているところを見つけて、穴をふさぐ。
それって自転車のパンク修理と同じではないですか。聞いていて思わず笑いそうになりました。
それはさて置き、問題はそこに至るまでです。以前は胸を開いて、必要ならば肋骨を何本が切り取って処置をしていたとか。
ところが今は、胸腔鏡という内視鏡を使って調べ、手術ができます。
わき腹に数か所小さな穴をあけるだけでその装置を入れて治療ができるのです。
胸を切り開く必要もなく、患者にとっても随分負担が減ります。患部の処置は同じでも、そこまでの過程が随分進歩したんですね。

イエスの死によって罪が解決された

実は人間の罪の問題解決についても同じようなことが言えます。
罪の問題は以前から聖書の中で取り扱われていました。
なぜなら、罪がもたらす神との断絶こそが、私たちの地上の生涯に、いや永遠に亘って様々な問題を生じさせるからです。
イエスが来る前は、罪のない動物を捧げることによって罪の問題が解決されていました。
しかし、そのやり方は救い主イエスが来られるまでです。
神が願われたのは永遠に有効な、一回限りの完全ないけにえです。
イエスはそれを成し遂げられ、さらに素晴らしい方法で人間の罪の問題の解決はなされたのです。
イエスがおこなった十字架と復活のわざと言っても、特に復活なんて自分で頑張ってできることではありません。
しかし、宣言通りイエスは死者の中からよみがえりました。これは神からの特別なしるしです。
イエスの死が普通の死ではないことを創造主が明らかにされたのです。
この死からの復活こそ、イエスの十字架のわざが完成されたことの証明です。
この十字架と復活のわざを信頼することにより、罪は覆われる、赦される、あなたは救われると聖書は語ります。

信頼している人には従える

第三に、イエスを信じるとは、イエスを人生の主として信頼して歩んでいくということです。
私は以前、小学校の教師をしていました。子どもたちを見てよく思わされたことは、指導者によって子どもたちの様子が変わるということでした。
スポーツや音楽などは特に顕著です。指導者が変わることで急にうまくなったり、強くなったり、すごい力を出したりするようになるのです。
そこに見られるのは指導者の適切なアドバイスです。同時に指導を受けるものたちの信頼度がとても高くなるのです。
この人は信頼できると思えば、自然にその人のことばに従っていきます。
「信頼しています」と言葉で言わなくてもその人の態度を見ればわかります。
従うということばは最近は好まれませんが、信頼している人に対しては驚くほど従っているのです。
そして、その指導者が本物であれば、指導を受けるものは持てる力を十分に引き出され、思っていた以上の歩みへと導かれるのです。

イエスを人生の指導者として歩む

イエスを信じるとはイエスを人生の指導者として歩むということです。
言い方はアドバイザー、カウンセラー、トレーナー、メンターなんでもいいのです。要するに主として歩むということなのです。
これまでの神に背を向けた歩みから方向転換して、イエスを信頼して歩むということがイエスを信じるということなのです。
イエスが嫌っている罪から離れ、イエスが喜ばれ、薦めている行き方に進もうとする意欲がますます強くなってきます。
がんばってそうなるのではなく、がんばる気持ちへと導かれるのです。
イエスは、ことばをかけるだけではなく、いのちをかけてくださいました。
この方を知れば知るほど信頼したくなります。そのことばに耳を傾けたくなります。そして、その信頼こそが救いをもたらすのです。
私たちができることは神に喜ばれる完璧な行いではなく、神を喜ぶ単純な信頼です。
おいしいもの、新鮮なもの、高級なものをお供えして神に受け入れてもらおうとしなくてもいいのです。
神が、すべてのお膳立てをして、私たちを受け入れる用意をされているのです。

あなたもあなたの家族も救われます

あなたの家族も救われる、と冒頭のみことばにありました。
これはあなたが救われたら自動的に家族が救われるという意味ではありません。
しかし、あなたがイエスを信頼すれば、あなたの生活は変えられていきます。
それを身近で見るのはあなたの家族です。
あなた自身ではなく、あなたの素晴らしいアドバイザーのことを家族が知るとき、家族に救いが近づくのは当然のことなのです。
そして多くの家族が後に救われてきたことを私はこの目でみてきました。
是非、神のもとに立ち返ってください。主イエスを信頼して、その救いを受けてください。
そして、その祝福が是非愛する家族の方々にも及びますように。心から祈っております。


使用CDジャケット
Shizuka:あなたの道を主に委ねよ

今日のみことば
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
(使徒16:31)