#1316 いつまでも残る3つのもの

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

 アメリカのテレビドラマで長年にわたって、正義の弁護士役として人気を集めた俳優に、ヒュー・オブライエンという人がいます。彼は、芸能界に入って運良く成功した人は、五つのプロセスを通ると語っています。
 第一段階は「ヒュー・オブライエンって誰」っという段階です。新人の時には、まず名前を覚えてもらうことが一番大事なことですね。
 第二段階は「ヒュー・オブライエンを紹介してください」これは初めて成功を味わうときです。声がかかって出演回数がすごく増えていくんですね。
 第三段階は「ヒュー・オブライエンのような人を紹介してください」です。これは全盛期なんですね。誰もが私のような人をほしがってる。でも私を雇う金がないんです。それは私が超売れっ子でギャラが高いからですね。
 第四段階は「若かった頃のヒュー・オブライエンのような人を紹介してください」です。誰でも年をとります。芸能人は比較的年をとらないように思われますが、しかし、かつてのヒロインもやがてお母さん役、おばあさん役に回るんです。
 そして、第五段階は「ヒュー・オブライエンって誰」です。ヒュー・オブライエンはいつか死にます。そして彼のことを知っていた人々も死にます。やがて彼を知っている人は一人もいなくなります。まるで初めっからいなかった人のようになり、やがて誰もその名前を口にしなくなります。そして新人の時と同じように「ヒュー・オブライエンって誰」って言うんです。
 人はたとい成功したとしても、最後は人々の記憶の中にすら残らない。まるで水蒸気のように、今あったかと思うと、次の瞬間どこにもない。これが人生であるとしたら、なんて空しいんでしょう。
 ところが聖書は、この空しい存在の人間に、神さまは、いつまでも残るものを与えることができるのだと語っているんです。聖書はこう言います。
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」

いつまでも残るもの① 信仰

 ここに永遠とつながる三つのものが紹介されています。いつまでも残るものの第一番目は、信仰です。 ところで信仰って本当にいつまでも残るもんでしょうか。
 先日、リスナーの方のお手紙にこんなことが書いてありました。「私はこの番組を聴いてるときには、よーし信じよう。きっと間違いない。神さまを信頼して生きていくぞと思うけど、ラジオを切ってニ、三時間もすると、やっぱり私には無理だ。私がクリスチャンになるなんて言ったら、親からどやされ、友達から煙たがられ世の中わたって行くことなんかできない。やっぱり無理と思えてきて、そうこうしているうちに三年経ちました」って言うんですね。
 また別の方のお手紙にはこう書いてありました。「教会へ行ったらそれはそれは見事な信仰の方々ばかりで、そういう偉大な信仰者を見ていると、とてもじゃないけど私も信じてるなんて言えなくなる。私は教会へいって慰められる代わりに、劣等感を植えつけられてしまいます。いつになったら立派な信仰に到達できるんでしょうか」
 私はこのニ通のお手紙を読みながら、信仰というものを誤解しておられるように思えてなりませんでした。信仰で一番大切なことってなんでしょう。それは立派さ、あるいは揺るがないというその不動のもの、あるいは篤い信仰というように、その信じ方にあるんじゃないんです。信仰で一番大事なのは、何を信じているのかという信仰の対象なんです。では、聖書の語る信仰とは何を信じることなんでしょう。ひと言で言うと、神は私が自分でできないことを代わりにしてくださると信じることなんです。
 昔、北森嘉藏という人がいました。彼は信仰をサルの親子とネコの親子の関係になぞらえて説明しています。お母さんザルは両手足を使って、木によじ登っていきますので、背中の子ザルは、自力でしがみついていないと振り落とされてしまうんですね。ところがネコの場合は、母ネコが子ネコをくわえて運び歩くので、子ネコが眠ろうがあばれようが、決して振り落とされることはないんです。
 聖書の語る信仰とは、サル型ではなく、ネコ型なんです。私の信念でキリストに従い通してみせるというのではありません。神には弱い私をも、従わせることができると信じる信仰なんです。信じる者の実力にかかっているんじゃなく、信じられる神の能力にかかっているという在り方が聖書的信仰なんです。神がしてくださるということであるなら、それは途切れることがありません。すなわち、いつまでも残るんです。

いつまでも残るもの② 希望

 いつまでも残る第二のものは希望です。ところで、希望の「希」という漢字は「薄い」とも読めるし、「まれ」とも読めますよね。ですから、日本語で希望というのは、「望みが薄くてまれにしかかなわない」と言うことを意味するんですね。それはいつまでも残るものとは言えないものです。すぐに消えていくものです。しかし、その約束を交わした相手が、絶対的に嘘偽りのない存在であるとするならば、どうでしょうか。聖書は私たちに神の約束に基づく希望を語っています。
 どうして神さまの約束は、いつまでも廃れることはないと、言い切ることができるんでしょうか。実は神さまは人類歴史の中で、何十回も何百回も、約束したことは、何があっても必ず果たしてこられたという実績を残しておられるんです。そしてその実績を記録しているのが、聖書なんです。中でも最大の記録は、キリストの復活です。人間にとって何が不可能といって、死を滅ぼすこと以上に難しいことはないでしょう。しかし、キリストは前もって語っていた約束通りに、一度死に、三日目に死を突き破ってよみがえられたのです。この衝撃的事件を目撃してしまったがゆえに、弟子たちはキリストの福音を宣べ伝え、聖書の福音はローマ世界に爆発的に広がっていったんですね。

いつまでも残るもの③ 愛

 第三に、いつまでも変わらないもの、しかもその最大のもの、一番すぐれているものは愛です。と聖書は語るんです。 私の人生の最大の宝物は、私が出会った人々の中にあると思います。なぜそう思うかというと、この人たちこそは、今の私を作った人々だ。と思うからです。今の私を形作るために、神さまがお用いになったお一人お一人だと思うからです。その中には、すでに亡くなられた方もいます。しかし、亡くなられたからと言って私の中で決してその人の存在が消えることはありません。「ヒュー・オブライエンって誰」とは言えないのです。私には。むしろ時間が経つにしたがって私の中で大きくなり、勇気を与え、心の芯をあたたかくし、奮い立たせる人たちです。
 では、いったい彼らは私に対してどんな素晴らしいアドバイスを下さったんでしょう。正直言って覚えてないんです。私は彼らが語ってくれた知恵については、さっぱり覚えてません。しかし、彼らが私にしてくれたことについては、残っているんです。彼らは私のために、泣いてくれました。応援してくれました。祈ってくれました。ひと言で言うと、愛してくれたんです。 このような愛を人に与えることができたのは、彼らがまず神からいつまでも変わらない愛を受けていたからだと思います。何かを残せる人生は、いつまでも変わらないキリストとつながることで始まるんですね。どうぞあなたもイエス・キリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。
 

使用CDジャケット
ノア:いつまでも残るのは

今日のみことば
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
(1コリ13:13)