#1107 幼子から学ぶべきこと

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、日本の漫画原作者で、初期の『ゴルゴ13』や『子連れ狼』を生み出した作家に小池一夫さんという方がおられました。先日この方の特集記事を読んだのです。
彼は亡くなられるまで、50年以上に渡って次々と作品を書き続けたんですね。「どうすれば息長く活動することができるんでしょうか」という質問に対して、こんなことを答えておられました。「実は時間には、自分のための時間というのと人のための時間という2種類があって、自分のための時間を、人のための時間が犯し侵食し始めるとすごくストレスになる」と言うんです。「育児だろうが、仕事だろうが、まず逆算して自分のための最低限の時間を確保してからやることを決めないと、不満だらけの人生になってしまいますよ」と言うんですね。
「なぜなら人生とは時間だから」と仰っていました。これはある意味、聖書の考えに通じる知恵だと思います。聖書によると、人は6日働いて1日は必ず休むことを勧められているからです。仕事から離れる時間、自分自身と対話する時間、自分の人生の意味を思い巡らす時間、神の前に自分の使命を考える時間は、自分を取り戻していくために不可欠な時間なんですね。
今日日曜日、いつもと違ったあなたの造り主について、考えてみられるのはいかがでしょう。

イエスと幼い子供

さて、聖書の中にこんな話があります。ある時、人々が幼い子供たちを連れてイエス・キリストの所にやってくるんです。イエスに手を置いて祈ってもらうためです。ところがそれを見た弟子たちがこの人達を叱るんですね。多忙を極めるイエス・キリストに、馴れ馴れしいにも程があるとでも思ったんでしょう。ところが聖書はこう書いています。

イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

さてここでイエス・キリストは、大人も子供から学ぶべき点があると語っておられるようです。今日は3つのポイントで、子供に見習うべき点についてお話しましょう。

子供のようにシンプルに信頼する

第1に、子供は親が提供するものを最高、最善に受け取るという態度です。
ところであなたは、今のお住いに満足しておられますか。あるいは何か不満がありますか。一般的には私達は今よりもっと広い家、もっと日当たりが良い家、もっと駅まで近い所、近くにショッピングセンターがあったり、便利であったり公園が近くにある、そんな家が良いという風により良いものを、もっと高級なもの、もっとおしゃれな家が良いと考える人が多いように思うんですね。
しかし基本的に子供は、自分が育ってる家そのものについては不満はありません。例え狭くても、駅から遠くても、間取りが変わっていても、家のことでぶつくさ文句を言っている子供に、私は会ったことありません。子供はお父さんお母さんが幸せそうにしているところであるなら、うさぎ小屋みたいな家でも満足しているんですね。世の中には我が家よりも広くて、綺麗な家があるんだということくらいは子供も知ってます。友達の家に遊びに行ったら、庭付きのそして大きなガレージのある家のことを知っているでしょう。しかしそういうものを見たとしても、だからといって我が家に特段の不満を抱くということはないんですね。
子供は親が提供するものを単純に良いものとして受け止めるのです。そしてその根底にあるのは、親に対する信頼です。それと同じように、人は自分を造り自然界を準備し、今まで生かしてくださった神に対して、もっと単純にもっとシンプルに信頼しようではないか、その信頼する姿勢に学ぼうではないかとキリストは仰るのです。

神はありのままで受け入れて下さる

第2に、子供は自分の気持ちに対して正直であるということですね。
自分というものを実際よりも偉大に見せかけたりするってことはありません。幼ければ幼いほどそうです。ありのままの自分で親のところにいくんですね。
先日私は、チャイルド・ライフ・スペシャリスト (Child Life Specialist) という資格を持っている佐々木美和さんの講演をYouTubeで視聴しました。病院で長い闘病生活を送っている子どもたちを支援する専門職、それがチャイルド・ライフ・スペシャリストという仕事です。
彼女がアメリカの病院に勤務していたときの話です。毎週太い注射を打たなければならない4歳の女の子がいたんですね。彼女は診察室に行く前に、同じ病室の人たちにこう言うんです。「私、絶対泣くから。」そう言って自分で診察室に向かうんです。そして注射を打つと、宣告通り「ぎゃーー」と廊下に響きわたるような叫び声をあげるんですね。しかし腕はじっとそのままにしてるのです。そして打ち終えると「やっぱり今日も泣いちゃった。だって怖くて痛いんだもん。でも、私はよく頑張った。」そう言って帰っていくそうです。
彼女は怖いときには「こわーい」と叫び、痛いときには「いたーい」と喚くんです。それが自分だと受け入れてるんですね。しかし、もし「泣くのは弱虫だ」とか「良い子は叫ばないんだ」と自分の気持ちと裏腹なことを無理強いしているとどうなるでしょう。それでも泣いてしまったときに「ああ、自分は弱い子供なんだ。悪い子供なんだ。自分はダメ人間だ」と思うに違いありません。同じ泣くにしても注射を受けた後で、私はよくやったと思えるか、私はダメ人間なんだと思うのかでは、随分自己イメージが違ってくるように思うのです。
彼女は弱い自分をありのままに認めて、ドクターのところに向かいました。それはドクターが、泣いても叱らずしっかり受け止めてくれるということを知っているからです。神はあなたの魂のドクターです。あなたが立派なふりをするよりも、ありのままの姿で神に告白することを喜んでくださるし、喜んで受け入れてくださる方なのです。
ちなみにこの女の子は、ある日の治療で「ぎゃーーー」と叫んだ後で、「あれ、今日涙が出てないわ」と気付き、それからは叫ぶことも無くなったそうです。

神の国は「恵み」

第3に、神の国を受け入れるということです。
人間の国には、人間の国のルールというのがありますね。民主主義の国には、民主主義の国のルールがあります。民主主義がそのルールです。独裁国家には独裁者自身がルールブックになっていますね。それと同じように、神の国には神の国の原則があるんです。
では神の国の原則とは一体何でしょう。一言で言うなら『恵み』です。最も弱い所、最も傷ついてる部分、最もひどいダメージのものに向かって注がれる神の一方的な愛。これを恵みと語るんです。神様の前に自分が罪人であることを認めれば認めるほど、神はその正直な心に一方的な愛と赦しを注いでくださるのです。
どうぞ、あなたも子供のように神の国そのものであられるイエス・キリストを受け入れてください。キリストは喜んであなたを受け入れてくださいます。イエス・キリストを心から信じてくださいますように、心からおすすめします。


使用CDジャケット
大和田広美:Special Treasure

今日のみことば
イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
(マルコ10:14-15)