#1106 悲しむ心に注がれる神の恵み

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日私は、イギリス軍特殊部隊のメンバーだった人が、砂漠やジャングルで一人取り残された時、どのようにして生き残るのかについて実演する動画を見ました。この人によると、人間は、目当てが何にもないところでは、まっすぐに歩くことができない生き物だって言うんです。
人間の手に利き腕というのがありますね、右利きとか、左利きとか。それと同じように足にも利き足があるというのです。利き足の歩幅の方が若干広めになりがちです。また厳密には右足と左足の長さが違っているようです。そこで、やみくもに歩いていると、同じところをぐるぐる回るだけで、いつまでたってもジャングルから脱出できないというのです。
まっすぐに進むためには、いくつか方法があります。日時計を使って方角を確認し続けるというのも一つです。また遠くにある物を目標に見ながら進むというのもその一つですね。
いずれにせよ「人間は外側からの何らかの助けなしにはまっすぐに歩めない」という言葉がとても印象的でした。そして、これは、道路を歩く歩行だけではなく、人生の歩き方についても言えることではないかなと思うのです。
今日は、人生を正しく導くイエス・キリストの言葉から考えます。キリストはこう言われました。

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

少年刑務所でのカウンセリング

さて、ここで語られてる悲しみとは何を悲しむ悲しみなのでしょう。ずばり、自分の罪を悲しむ悲しみなのです。自分だけでまっすぐに生きえないということを悲しむ悲しみです。自分で自分を立派にできない悲しみです。なぜそれが幸いなんでしょう。神の恵みは、罪を悲しむところにあふれんばかりに注がれるからです。
福岡にある少年刑務所で、1万人以上のカウンセリングをしてきた臨床心理士に、相部和男さんという方がおられます。ある時、少年院でも手のつけられない乱暴者の少年の個人面談をすることになったのです。彼は生後間もなく父親と死別し、母親はほどなく彼を捨てて男のもとに走ったのです。それで親戚のおじ夫婦のもとで育てられます。
おばは、自分の子どもには小遣いをあげるのですが、彼には一銭も与えることはしませんでした。またご飯は2杯までで、それ以上のおかわりは禁止。極端な差別を受けていました。そのため小学校二年のころから盗みを働き、やがてやめられなくなっていきます。おじは、それを見つけるたびに体罰を加え、裸にして外へ放り出しました。小学六年の時、たまたまおじいさんがやってくるのです。そして初めて、おじ夫婦が自分の本当の両親ではないことを告げられるのです。

夢にまで見たお母さんの裏切り

ますます心すさんだ彼は、暴れまくるんですが、ある時、生みの親であるお母さんに会いたくなります。そして、中学卒業後間もなく、彼はおじいさんに連れられて本当のお母さんに会いに行くのです。夢にまで見たお母さんは、はじめは優しく歓迎してくれました。しかし、思い切って言った一言「一緒に住みたい」と言ったその瞬間、態度が冷たくなり「二度と来ないでくれ」と言い渡されるのです。お母さんは男性と同棲していたからです。
この世界で自分を愛してくれるたった1人のお母さんというイメージが完全に壊れた後、彼はやけくそになり、やがて少年院入所と退所を繰り返すようになるのです。彼は少年院の中でも暴れます。どうにもならない人間とみられていたんですね。
しかし、相部さんは、時間をじっくりかけて彼の心の叫びを聞いたのです。四回の面談で、自分の醜い過去をどんなに告げても、決して見限ることがない、決して軽蔑することがない、決して関係が切られないんだという、そういう信頼感を相部さんに持つようになると、彼は自分の内面についてより深く、正直に打ち明けてくれるようになってきました。恐らく彼の人生の中で出会った、血のつながらないお父さんのような存在。それが相部さんだったのでしょう。彼は前向きに生きるように変わって行くのです。

罰の代わりに注がれる愛

ところがある日、相部さんがカウンセリングルームに入ったとき、机の上のインク壺のインクが二割ぐらいしか残っていない。前日、満タンでした。そして、この部屋でのカウンセリングは、彼以外にしていないのです。相部さんは早速その少年を呼び出したのです。彼は恐怖のあまりうなだれ、震え、まともに顔を上げることができません。やっとのことで蚊の鳴くような声で「先生、すみません。」そういうのが精一杯でした。相部さんは「インクを持ってきなさい」と言うと、彼は自分の瓶を持ってきました。ところが、瓶にもほとんどインクが入っていないのです。「どうしたの?」と聞くと「みんなに配ったんです。先生、本当にごめんなさい。僕は違反ばっかりだったので、院内作業に出ることが禁じられてるんです。それで、作業賃を一切もらえません。ここでは何一つ買えないんです。それで盗んだインクを売りました。ごめんなさい。」
相部さんは、目の前で泣き崩れていく少年の告白を聞くと、少年のインク壺を引き寄せて、自分のインク壺を傾け、残りを少年の瓶に注いんだんです。少年はびっくりして相部さんの手を止めようとするのですが、あっという間にインクは一滴残らず注がれました。それを見た時、少年は嗚咽したのです。自分は、信頼を裏切って罪を犯したのに、関係を断ち切ることなく、罰の代わりに愛を注がれたからです。
罪を悲しむ罪人は、神から見捨てられてしまうような、そのような心境になりがちです。しかし、それは誤解です。罪を悲しむ罪人の心に神がなさるのは、恵みです。自らの罪に気付き、それを正直に告白するものに対して、神は赦しを注いでくださる方なのです。

ただ信じるだけ

ところで「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」とキリストはおっしゃったのですが、ここで言ってる慰めという言葉は、「援助」とか「助け」とか「支援」という意味があるんですね。
もし私たちが、自分の罪をありのままにキリストに告げるなら、キリストは即座に赦しを差し出すだけではなく、人生を前に向かって進んでいくために、必要な知恵や勇気をも与え、私たちを支援してくださる方なのです。
私たちがすべきことは、キリストが私の罪のために死なれたこと、墓に葬られたこと、そして三日目によみがえられたことをただ信じるだけなのです。
神はその告白を喜び、あなたの罪を全て赦し、あなたを神の子としてくださいます。どうぞ、イエス・キリストを信じて、永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
レーナ・マリヤ:アメージンググレイス

今日のみことば
心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだからです。
(マタイ5:4)