#1032 あなたを見守り捜し救うキリスト

メッセンジャー似顔絵

明けましておめでとうございます。高原剛一郎です。

今年も聖書と福音をよろしくお願いします。
さて、先日私は、長年コンサートや演劇でディレクターをしておられた方とお話しました。実は彼は最近クリスチャンになったのです。
「どのようにして神が分かったんですか」と訊くと、「夕焼けを見ていたときに、突然疑問がわいてきた」と言うのです。
とある日の夕暮れ、ふと目を上げて見ると、とてつもなく美しい夕焼けが目の前に広がっています。多くの人に美しいものを見せる仕事をして食べて来た彼は、こんなにも美しすぎるものを無料で見ていていいんだろうかと疑問に思ったそうです。
そしてこの大きな自然の、圧倒するばかりの美で、心の中が感動で満ちているのに、それを自分に見せているのが誰なのかが分からないということに、心が落ち着かなくなったというのです。
心は畏怖の念に満たされている、しかし私にそのような感動を与えている、自然界のディレクターとでもいうべきお方、感動の原因者を知らないままでただ感動だけしている、ということに違和感を感ぜずにいられなかった、というんですね。
そして聖書を読んで、バイブルが語る神こそは、自分を祝福し、偉大な作品を惜しげもなく見せてこられた神だ、と分かったのです。
自然界を見るだけで神の存在を確信する方がいるということに、私も感動しました。
さて、今日はこのバイブルの中心主題である、イエス・キリストのことばをご紹介しましょう。
あるときキリストが、反発する人々に向かって語られたことばです。

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。

ここから、三つのポイントでお話ししましょう。

すべての人は失われている

第一に、神は失われた人を探す方だ、ということです。
この「失われた人」ということばは、ギリシヤ語では中性名詞が使われています。男性名詞ではなく、女性名詞でもない。中性名詞が使われているとは、つまりはすべての人類というニュアンスがこの「失われた人」ということばに込められているのです。
一体、何が「失われ」ているんでしょう。神との関係を「失って」いるのです。そして神は、造り主の下から離れて、人生と言う迷路の中に迷い込んだすべての人を、今、捜しておられるのです。

神は上から捜しておられる

昨年の十月、アメリカのミネソタ州に住む、イーサンハウスという6歳の少年が行方不明になりました。彼は自宅裏の森で、犬と散歩をしていたのですが、4時間たっても家に戻って来ません。
ミネソタはとっても寒い州です。辺りはどんどん暗くなっていくばかりです。警察もお手上げになり、地元の人に協力を呼びかけると、一人の男性が名乗りを上げたのです。
彼はこの周辺のことを熟知している人でした。この辺り一帯は、足首まで水位が上がる沼地で、夜間は最悪のコンディションになるというのです。
名乗り出たスティーブさんは夜8時、持っていたドローンを持って寒空の中を出て行きます。彼が持っていたドローンは、3万ドルもする赤外線カメラ搭載ドローンでした。彼は産業用ドローンのカメラマンだったんですね。普段は農家の人たちのために、このドローンを使っていました。
逃げ出した家畜を見つけるために、ドローンで上から探すのです。しかもこのドローンは、人間の目には見えない、熱を感知する能力が備わっているのです。
辺りが冷たくなればなるほど、体温を放熱する人間や動物は、より感知しやすいのです。目立ってしまうのです。
午前1時半、スティーブさんはとうとう少年と犬の形をした熱源をキャッチしました。ドローンを近づけてみると、まぎれもなくイーサン少年が映っていたのです。少年と犬は茂みに横たわっていました。もう歩き疲れて動く体力がなかったのです。
しかし上からの赤外線カメラで彼らは発見され、そして見守られていたのです。もしそのことを知っていたなら、きっと勇気がわいてきたに違いありません。
これと同じように、神は上からあなたのことを捜しておられる方なのです。そして神様はあなたがどこにいようが、天から見守っていてくださる方です。
その神様の目には、人の目には見えないあなたの心の叫びをも、しっかりと映っているのです。

実際に地上にきて捜された

第二に、キリストは「失われた人」を「救うために」、人の子となった方です。
ドローンで発見した後、スティーブさんはすぐに警察に連絡しました。人口2500人の町で、700人が捜索に出向いて、彼らを探し当てたのです。
ただ眺めているだけではなく、実際に救い出すためには、少年が迷い込んだ現場にまで出向いて行かなければなりません。
神様も同じです。神はただ人間の困窮を、上から眺めているだけではないのです。
神は自ら人となって、迷える人間の住むこの世界にまで出向き、地面を歩き、ひとりひとりの罪人を訪ね歩いてくださったのです。
この罪人を捜すために来られた、人となられた神こそイエス・キリストなのです。

少年をかばった教師

第三に、キリストは私たちの罪を「贖う」ために来られた方です。
私は先日、アメリカの高校で起こった事件をユーチューブ動画で見て、心打たれたのです。
一人の少年がショットガンを持ってふらりと教室に入ってくる。ドアを開けると、そこにはキーノン・ロウという教師がいました。キーノン先生はすぐに状況を理解し、そこからは直感で動き始めるのです。ショットガンめがけて突進し、両手を銃にかけたのです。
教室内の生徒は絶叫し、みな逃げ出しました。キーノン先生は、フットボールのコーチであり、同時に非武装の警備員でもあったので、銃を奪う前に銃口を人から遠ざけるためにベストを尽くしたのです。
そして先生は犯人の18歳の少年をそのまま廊下へと誘導し、他の先生が銃をその場から撤去したのです。少年は、自分以外の誰にも危害を与えるつもりはなかった、と繰り返し言っていました。
その間、キーノン先生はその少年と話し、近づき、そしてハグしたのです。監視カメラはそのすべてを録画していました。
少年は叫びます、「だれも僕のことなんか気にしてくれない。」
「いや私は気にしてる。だからここにこうしてる。私がついてる。」そして彼を温かく、抱きしめたのです。
フットボールコーチの大きな体が、小柄な少年をすっぽりとおおい隠している様子がはっきりと映っていました。
銃には、自分への危害のために一発だけ弾丸が入っていました。キーノン先生はそれを確認すると、少年を弁護する立場に立って当局に話したと言われています。

キリストによる「贖い」

さて聖書の中には、「贖い」ということばがよく出てきます。このことばの意味は、覆うとか、隠すという意味です。
罪のないキリストが、マントのようにあなたのすべてを覆って、神の前に罪を消し去ってくださることを説明するときに使われることばなのです。そしてこれこそが、救いということばの意味なのです。
どうぞあなたもキリストの犠牲による罪の赦しを受け取ってください。


使用CDジャケット
国分友里恵:99の羊は

今日のみことば
「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
(ルカ19:10)