#1029 キリストは神のことば

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日「ご無沙汰している人に絵葉書であいさつを届けよう」というエッセイを読みました。
その際、葉書の内容は短いほどよいそうです。みんな忙しいからです。また字はへたなほどよいそうです。くせ字であればあるほど、一生懸命読んでもらえるからです。そして最後に表現は乏しいほうがいいそうです。相手に優越感を持ってもらえるからです。
そう言われても実際に絵葉書で便りを出す人は、とっても少ないそうです。今はSNSがあって、メールで送信した瞬間に相手にメッセージが届く時代であるからです。
わざわざペンを執り、文字を書き、切手を貼って投函するっていうのは面倒なことなんですね。しかし、この面倒くささこそは、相手に誠意が伝わる秘訣なのだそうです。
ところで、神さまは人類にいのちのメッセージを送ってくださいました。それは紙に書いた文字による手紙ではありません。神のひとり子自らがこの世界に人間として誕生してくださったのです。
この歴史的事実を記念する行事がクリスマスなのです。聖書の中にキリストの誕生を告げ知らせた御使いが話すことばが出てきます。

マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。

ここから三つのポイントで、クリスマスについて考えてみましょう。

山本周五郎の小学生時代

第一に、イエス・キリストは罪人に送られた神の便り、手紙であるということです。
聖書で語る罪とは造り主なる神との関わりを否定し、神から離れて生きることです。
ところで私の好きな作家に、山本周五郎がいます。本名清水三十六さんです。彼が小学生の時、国語の宿題に作文が出たのです。それで山本さんは、クラスメイトと遊んだ楽しい思い出を書いて、提出したのです。すると出来が良かったのでしょう。教室の掲示板に貼り出されたんです。
みんなの注目は彼の作文に集まります。すると作文の中で山本さんと遊んだはずの少年Aが「山本の作文は嘘だ。僕は山本なんかと遊んだことはない。」と言い放ったのです。
地味な少年だった山本さんは、クラスの人気者のAと遊んだことを、美しい思い出として大切に思っていたのですが、Aのほうでは、まるで迷惑をかけられたかのように、遊んでなんかいないと断言し、山本少年を嘘つき呼ばわりしたのです。

慕う相手に拒絶される痛み

ショックで頭の中が真っ白になった山本さんがうまく言い返せずにいると、やがてクラス中が「嘘だ、嘘だ」とはやし立てるようになります。そしてみんなに詰め寄られ、なすすべもなくなった時、担任の先生がやってきたのです。
クラスメイトが山本さんの嘘を告発すると、先生は山本少年の言い分を聞く前に、こう言ったのです。
「山本、こうも見事に嘘が書けるのはすばらしい。おまえは将来、小説家になれ。」
教師としてはこれで喧嘩両成敗をしたと思ったのでしょう。生徒たちの主張を受け入れつつ、山本少年の才能をほめたたえたんです。
しかし、このことは山本さんの心に一生残りました。結局、嘘つき少年にされてしまったからです。
何よりもショッキングだったのは、自分が慕った友人から「おまえと遊んだことなんかない。」と彼との関わりを断固否定されたことです。
結局のところ相手は自分が思うほどに、思ってはいなかったのです。しかし、慕う相手に拒絶された痛みは、一生残ったのです。

神はあなたを慕われている

私はこのことを知った時、なんてひどい友だちなんだと思いました。
実は私も同じような経験があったからです。しかし後年、クリスチャンになった時、気がついたのです。実は私自身も神に対して、同じことをしていたのだ、と。
造り主は私たちを愛し、慕い、祝福したいと考え、そして私の人生の中で何度も何度も助けてくださった方です。
あなたはまだ神を信じておられないかもしれません。しかし、今までの人生でどうにも自分でできなくなった時、自分が何かしたわけでもないのに、うまくいったということはありませんでしたか。
それは神が、あなたの人生を手伝ってくださったのです。神がそうされたのは、あなたを愛し、そして慕っておられるからです。
その神との関わりを否定して生きるのは、A少年が山本少年にしたのと同じことではありませんか。

あなたは神の作品

しかし、神はこの罪人のためにキリストを送ってくださったのです。というのは、反逆している人間の代表であるユダヤ人に対して「自分の民」と呼んでおられるからです。これが第二のポイントです。神さまは一方的に関係を切り、神を忘れた罪人をなおも「わたしの民」「わたしの宝」と呼び掛けられたのです。
私は先日、友人に連れられて彼のお母さんのお見舞いに行ったのです。認知症が進んで、すっかり自分の名前さえわからなくなってしまったそのお母さんに、息子である友人は私を引き合わせたのです。
というのは、まだまだ元気であった時、この方はこの「聖書と福音」の大ファンだったのです。ところがこのお母さん、何を思ったのか私のことを息子と思い込んで、実の息子さんを「この人は誰なの。」と尋ねられたのです。
それはもうなんとも言えない光景でした。しかし息子さんは少しも苛立たず、お母さんを叱らず「かあさん、かあさん」と慕っていました。私は本当に頭が下がりました。と同時に一方が忘れても、もう一方が忘れない限り、関係は続くものなのだと教えられたのです。
あなたは神を疑い、そしてすっかり忘れておられるかもしれません。しかし、神さまの側では、あなたは今なお、ご自分の作品として覚えられているのです。

キリストが罪を拭い取られた

第三に、キリストは私たちの罪から私たちを救ってくださる方です。
先日、床掃除をしていた家内が真っ黒になった雑巾をしげしげと見ながら言いました。
「何かがきれいになるためには、別の何かが汚れるんだね。これって深いと思わない。」
たしかに床にしても、食器にしても、それをきれいにするために使われるふきんは一度汚れを引き受けることになります。しかも、使えば使うほどぼろぼろになっていきます。そして使ってぼろぼろになればなるほど、人はそれを丁寧に扱うことはしなくなり、遠慮なしに力任せに絞ったり、こすったり、拭いたりするんですね。
キリストも同じです。キリストは私たちの罪を完璧に拭い去るために、身がぼろぼろになることもいとわず、処女から生まれた神の御子なのです。このキリストの降誕を記念すること、思い起こすことがクリスマスなのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを信じ、心に受け入れてください。あなたの心にキリストを受け入れることこそ、本物のクリスマス体験であるからです。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
竹下 静:天には栄え

今日のみことば
「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
(マタイ1:21)