#1028 インマヌエルの神とは

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

昔、自動車メーカーのホンダが「命のダイレクトメール」という新車案内の手紙をユーザーに送ったことがありました。
実はこのダイレクトメールの便せんには植物の種が編み込まれていたのです。それでこの手紙を水にぬらして地面に植えると、やがて芽が出て、花を咲かせるというのです。
植物の種を内側に秘めた手紙は、文字通り命の手紙であったわけです。
ところで聖書はそれ以上にいのちの手紙です。聖書の約束を信じ受け入れることで、永遠のいのちが与えられるからです。
それで今日はこの永遠のいのちを与えるために、この世にこられたイエス・キリストについて、クリスマスのメッセージをお届けいたしましょう。聖書にこう書いてあります。

「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

ここから三つのポイントでお話いたしましょう。

信じるときの決め手

第一に、キリストの誕生は旧約聖書の約束を果たすためだったことです。
旧約聖書には、やがて人類の救世主が処女から産まれることを、誕生の700年前に預言されていたのです。この預言の約束をそのまま果たしたのがイエスの誕生なのです。
ところで私たちは誰かを信じようとするとき何が決め手になりますか。やはりその人の人柄ではないでしょうか。
その人はした約束を何があっても守って来た人であるなら信用できます。しかし、しばしば約束を破るような人なら信じるのが難しくなりますね。
そこで、聖書の神は信用できる方なのだと示すため、神は旧約聖書においてたくさんの約束を書かれたのです。その約束が一つもたがわず全て果たされてきたというのがユダヤ人の歴史なんです。

ディズニーランドのジャングルクルー

ところで、私は一回だけ東京ディズニーランドに行ったことがあります。その時ジャングルクルーというのに乗りました。
ボートに乗ってジャングルの中を進んで行くんですが、途中ワニやサイやライオンなど猛獣が襲い掛かろうとするんです。
危機一発を繰り返しながらゴールに到着します。その直前にボートの案内人が言うんですね。
「さあゴールです。このジャングルで出会ったどんな猛獣よりも恐るべきものたちがうろつく世界です。人間社会へのジャングルへの冒険、お気をつけて!」
うまいこと言うなあと感心したことを覚えているんです。実際、みんなおとぎの国を出て実際の世界に戻っていくとき、なんとなく寂しそうな顔をしていました。

必ず約束を守られる神

ところで、キリストにとってこの世界は、文字通り恐るべきことが待ち受けている世界でした。キリストがこの世に生まれたその後で、どんなことがキリストの身に降りかかるのか、イエスにはすべて分かっていました。
と言うのは、旧約聖書の中に、キリストが罪人たちにのけ者にされ、呪われ、殴られ、最後に殺されることまでが預言されていたからです。
それでもキリストはこの世に生まれてくださいました。それは約束であったからです。
した約束はどんなことがあっても守る、これが聖書の神です。だからこそ私たちはこの創造主を信頼してよいのです。

キリストはあなたのために来られた

第二に、キリストは私たちを罪から救うためにこの世にこられたのです。
人の罪をその身に負って、人の代わりに罰を受けるために来てくださったのです。
人の罪を身代わりに背負える方は罪のない人だけです。罪人は自分の罪のせいで罰を受けます。なので他の罪人の助けにはなれないんです。
ただ、どこにも罪のない方だけが、罪人の身代わりになることができるんです。
しかし、罪のない人間なんかいません。そこで神が人となってこの世界に来てくださったのです。
今まで歴史上、いろんな偉人が生まれてきましたが、基本的にはあなたと直接関係がありません。
しかし、キリストだけは別格です。なぜなら、キリストはあなたの罪を完全に消し去るために生まれた方であるからです。
したがって、キリストと関係のない人はいません。キリストはあなたのためにこの世に来られた神なのです。

一番の慰め

第三に「インマヌエル」、私たちとともに寄り添うために現れた方がイエス・キリストなのです。
あるクリスチャンのご婦人が、最愛のご主人をがんで亡くされたのでした。元気な方だったのですが、突如として体調を崩され闘病生活が始まったのです。
残念なことにご主人は1年足らずの入院生活の後に天に召されていったのでした。その時、気心の知れた友達がいろいろ彼女を励ましたくれたのです。
「これはあなたが天国にあこがれる人になるように神様が導かれたのね」とか、「このことを通してクリスチャンとして一皮むけて、ますます神様の栄光を現す人になるためなのね」とか、「このことがあなたに大きな祝福をもたらすのを信じています」とか。
ところが、彼女はそういう言葉で慰められなかったのです。いや、慰めよりもむしろ悲しみと怒りがこみあげて来るばかりだったというのです。
もちろん自分だって成長したクリスチャンになりたいと思っています。でも、神がそのためにこんなにも酷なことをなさるのだとは思いたくなかったというのです。
いい加減人間の慰めに疲れ果てて、後日病院の手続きを終え、病院から出た時、果物屋さんの前を通ったのでした。
その果物屋さんはご主人が入院中必ず立ち寄って彼の好物のオレンジを買って行ったお店です。
見るともなしに店を見ると、果物屋のおじさんが「いらっしゃい!今日は何しましょう。」と言うので
「いえ、実は主人はもう亡くなったんです。」
すると、おじさんはうなだれ、まるで詫びるように頭を下げ、そして黙って袋の中にオレンジやモモやブドウを入れ一言「奥さん召し上がってください」と手渡してくれたのでした。
これが一番慰めであったというのです。

寄り添われる主、イエス・キリスト

彼女が求めていたのは、なぜこんな病気になったのか、なぜ夫がこんなにも若くして死んでしまったのか、ということについての神学的説明ではなかったのです。
理屈ではなく悲しむ心にそっと寄り添う心に彼女は渇望していたのです。
キリストはなぜ人となられたのでしょう、なぜ「インマヌエル」、人と共におられる神となられたのでしょう。
人として人に寄り添う神であられることを人に確信させるためです。
あなたに誠実を尽くし、罪を解決し、悲しみの時にも、苦しみの時にも、喜びの時にも寄り添う救い主、それがイエス・キリストです。
どうぞこの方をご自分の救い主として受け入れてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:Green Sleeves マリアに抱かれ

今日のみことば
「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
(マタイ1:21-23)