#1093 勇ましく高尚なる生き方

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日私は、立命館アジア太平洋大学の学長である出口治明さんの本を読みました。
戦国の三傑といえば信長、秀吉、家康ですが、自分が仕えるとしたらダントツで信長だって言うんですね。信長は話せばわかる人なので、機嫌が良いときに話せば良い。仮に逆鱗に触れても、せいぜい高野山追放くらいで済む。謀反を起こさない限り、いのちは取られませんって言うんですね。しかし秀吉は怒ったら、一族郎党皆殺しにされるので仕えたくない。家康は何を考えているのかよくわからない上に、新しいことにはあんまり興味が無さそうなので、仕える上司としては面白くない、というふうに書いてありました。彼がこの本の中で上司について触れたのは、上司との関係が良くないと、仕事がうまく行かないということを知っているからです。

全宇宙の上司

ところで聖書によるなら、この全宇宙にも上司がいます。この全宇宙を支配する上司の中の上司、トップの中のトップ、それは創造主なる神です。しかも人間のように欠陥がある、欠点のあるような、そのような上司ではありません。それどころか全知全能の賢さで、私たちの幸せを心から願っていてくださる方なのだというのです。
キリストが十字架に架かる前日、弟子たちに向かってこのように語られました。

あなたがたは心をさわがせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

ここに人が幸せに生きるために必要な、三つのことが語られています。

パニックになった夫婦

第一に、心をさわがせない、ということです。心さわぐとは恐れや、心配、不安に支配されることですね。
ネットでこんな話を読みました。女性がリビングのソファでくつろいでいると、庭から一匹の蛇が侵入して、あろうことか自分が座っているソファの下にもぐり込んだというのです。大声をあげて夫を呼びました。夫は入浴を中断して、バスタオルを腰に巻いて助けに来ます。飼い犬も興奮してリビングに入って来ます。ご主人は四つん這いになってソファの下をのぞき込んでいたとき、飼い犬の濡れた鼻が足の裏に当たりました。その瞬間、足裏を蛇にかまれたと勘違いして、ご主人は気を失うのです。夫人は救急車を呼んで、ご主人はストレッチャーに乗せられようとしたその瞬間、蛇を見た救急隊員の一人が患者を落としてしまいます。足が変な方向に曲がったのを見た奥さんは気を失ってしまいます。やがて蛇は悠々と部屋から出て行きました、という話です。

恐れるな

ところで蛇がしたことは、部屋に入って行って、部屋から出て行っただけです。何一つ人に危害を加えていません。しかしこの夫婦は、大怪我と心神喪失状態に陥っているのです。いったい何がこの二人を打ち倒したのでしょう。蛇ではありません。蛇に対する恐怖心がこの二人を打ち倒したのです。
私たちの人生においても招かれざるものが侵入してくることがありますね。病気になったり、事故にあったり、リストラにあったり、大切なイベントが中止されたり。そのとき出来事そのものよりも、その出来事に対する破滅的な妄想によって、何倍も、何十倍にも心身がむしばまれてしまうのではないでしょうか。恐れは人を滅ぼすのです。そこでイエスは語りました、「恐れるな」。聖書は、三百六十五回も「恐れるな」と語られてるようです。人を励ます神のことば、それがバイブルです。

杞憂:天を信頼しない

第二に、全知全能の神を信頼しなさいということです。なぜなら恐れ、不安、心配の原因は、絶対的に信頼できる神を見失っているというところにあるからです。
余計な心配をすることを杞憂と言いますね。これは杞人憂天ということばから出たものです。憂天っていうのは、天を憂うと書いて、憂天と書くんですね。昔、杞という国の人が、天が落ちて来ないかといつも本気で心配して、そのために夜も眠れなかった。何という無駄な心配をしているのだろうかという、そういうわけですね。
しかし同じようになぜ、天体が落ちて来ないかを考えて、科学的真理を発見した人もいます。ニュートンです。リンゴの実は下に落ちてくるのに、どうして月や太陽は地球に落ちて来ないのかを考え、万有引力の法則を見出すのです。同じ現象を見ても、心配で眠れないということで終わる人と、法則を見出して喜んでいる人との違いは、どこにあるんでしょう。その人の持つ世界観に由来するものなのです。
実はニュートンは聖書の神を信じていました。彼の著作の多くは、聖書の研究書です。この世界はでたらめに発生したものでなく、作者なる神によって作られた作品である、神は人間が住みよいように、地球だけではなく、この全宇宙を設計されたのだ、という世界観を持っていたのです。そしてこの全宇宙の作者は、人を愛する方だとバイブルによって信じていたのです。

楽天:天を信頼する

ところで杞人憂天、杞憂の反対語は楽天だと言われています。楽天とはどういう意味でしょう。天を楽しむという態度なんですね。自分の境遇を天の与えたものとして受け入れ、クヨクヨしないで人生を楽観することです。
ところでここでいう天とは、宇宙のことではなく、宇宙をコントロールしている神のことを指しているのです。楽天は、神という天を信頼するというところから生まれてくる態度なのです。
なぜ心さわぐんでしょう。神を見失っているからではありませんか、とキリストはおっしゃるんですね。この「神を信じなさい。あなたに造り主がおられ、そしてその造り主はあなたを愛しておられるのだ、ということを信頼しなさい」というのです。

恐れの根本的解決

第三にイエス・キリストを信頼することです。キリストこそ、人の恐れの根本原因である罪を完全解決してくださった方だからです。
数年前、わたしはある地方の集会に招かれました。そこに初めて教会に来た方がおられたのです。彼女は小学生時代に図書館にあったキリストの伝記を読んで、一つの疑問が折にふれて消えては現れるようになっていた、というんですね。何と三十年間も。「どうしてイエス・キリストのように優しくて、賢くて、聖くて、誠実で、思いやりのある偉大な方が十字架で死ななければならなかったのでしょう」。それはあなたの罪を赦すためです、と申し上げたとき、彼女は固まってしまったんです。自分の罪は、キリストが犠牲にならなければ赦されないほど、深く、ひどく、おぞましいものであったということに驚き、またそんな罪人の自分のために、キリストが自ら犠牲となってくださったことに、感動したからです。それは小学校の図書館にあった子供向けキリスト伝には、書かれていないことだったのです。
キリストは単なる立派な人ではありません。人となった神です。しかも、人をさばくために人となってこの世に来られたのではなく、人を罪から救うため、永遠の刑罰から救い出すため、あなたを赦すために、十字架に架かってくださった方です。そして死後三日目によみがえった、救い主なのです。
どうぞあなたもこのキリストを信じ、永遠のいのち、永遠の赦しをいただいてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Shizuka:あなたの道を主に委ねよ

今日のみことば
あなたがたは心をさわがせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
(ヨハネ14:1)