#1094 全知全能の神が保証する希望

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて3月は、卒園式、卒業式の月ですね。今年は、コロナ対策で人数が絞られるようですけれども、挙行されるところがほとんどだそうです。
そして、そこで流されるエンディングの音楽は、今でも『蛍の光』が多いそうです。私もあのメロディーを聞くと、即、お別れモードの気持ちに切り替わってくるような、そんな気持ちがするんですね。
ところで、この原曲は『オールド・ラング・サイン』という曲で、その詩の内容は、別れとはまるで逆のものなんですね。付き合いの長い友人との関係を祝して、「一杯やろうぜ!」という楽しみの歌、交わりの歌なのです。それが、いつの間にかお別れソングとして広まってしまったんですね。
こういうことって実は、よくあることなのです。今知っているもののルーツをたどると、実は、正反対の意味を持っていたということがあるんです。私はその代表は、バイブルではないかと考えています。多くの人にとって聖書、バイブルは、堅苦しい本、いかめしい本、窮屈な宗教書のイメージがあるんではないでしょうか。
しかし、聖書はずばり、希望の書物、私たちに生きる望みを与える神のことばなのです。聖書の中に次のように書いてあります。

あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせ、栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。

ここは、神によって保障されている希望が紹介されている箇所ですね。実は、世の中には、希望をうたいながら、失望で終わってしまう話が実に多いんです。

希望の残酷さ

大阪府在住のハードボイルド作家に、黒川博行さんという方がいらっしゃいます。彼は、6度目の正直で直木賞を受賞されました。つまり、候補になること6回。初めて候補にあがってから、何と18年を経て、とうとう栄冠を手にされたわけです。
待っていた期間が長かった分、さぞ嬉しかったでしょうと皆が思ったんですが、ご本人は一言、「ほっとした」って言うんですね。いったい何にほっとされたんでしょう。もはや、これからは候補者にならなくても済むことにほっとしたって言うのです。
候補者になると、編集者と一緒に結果を待つ「待ち会」というのに出ることになります。実は、4度目の候補者になった時、内心手応えがあり、今度は取れるだろうと思っていました。東京の飲み屋で待ち会をやったそうですが、出版関係の編集者が30人くらい集まったそうです。
最初は賑やかなのですが、7時を過ぎるとシーンと静まり返ります。店に電話がチリンとなる度に、皆一斉に固唾を飲むんですね。「もうあの緊張感に耐えられない」って言うんですね。結局その時も落選したんですが、編集者たちの手前、暗い顔をしていられません。行きたくもないカラオケに行って、歌いたくもない歌を歌い、ホテルに1人帰ってから号泣するのです。
その時、つくづく実感するのは、希望というものの残酷さです。なまじ候補者になって、もしかしたら貰えるかもと希望を持つから、そうでなかった時に、ずったずたになるって言うんですね。実に希望は、絶望の前触れにもなりえるものなのです。

確実な希望の根拠

しかし、聖書が語っている希望は、神にかかっている希望です。それは実現するかどうか分からないというようなものではありません。
100%確実に実現する、キリストによる救いの希望なのです。キリストを信じるなら、神はあなたの全ての罪をきよめ、あなたを赦し、あなたを神の子として大喜びで迎えてくださるというのです。
この希望が確実である根拠として、聖書は三つのことを語っています。

キリストの十字架

第一に、キリストは、あなたの罪を背負って十字架の上で死んでくださったことです。
あなたの過去の全ての罪を知りながら、あなたから顔をそむけるのではなく、あなたの罪を負って、身代わりに罪の刑罰を受けてくださったのです。罪が全くないキリストが、罪人のために代わりに砕かれることは、旧約聖書の中にある神の約束であり、預言でした。
キリストはその預言通りに身代わりの死を実行してくださったのです。根拠のある赦し、それがキリストにある赦しなのです。

キリストの復活

第二に、キリストは、死後三日目に神によってよみがえらされたことです。
実はキリストは十字架に架かる前に、幾度も幾度も繰り返し、前もって語られたことばがありました。それは、十字架にかけられた後でよみがえるという約束です。生きている間に約束したことを果たすのも大変なことです。
しかし、キリストは、死んで三日目によみがえるという約束をされたのです。そして、その約束通り、死後三日目にキリストは復活し、弟子たちに何度も何度も現れ、ともに食事をし、語り合ったのです。
誰も守れるはずのない死後の復活の約束を、完全に果たしたのであるなら、こんなに信用できる方は他にいないということになるのではないでしょうか。

神からの栄光

第三に、キリストは、栄光を神によって与えられました。これは天に上って、今、神の隣にいるという意味なのです。弟子たちはその様子を直接目撃しました。キリストは、オリーブ山という山から、天に上って行かれたのです。キリストが、すっかり見えなくなった後、その後も天を見上げてる弟子たちに対して、御使いが約束を伝達します。「イエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」つまりキリストは、再び天からやってくるのです。それまでの間、神にかかった信仰と希望のメッセージを人々に宣べ伝えなさいと言うんですね。クリスチャンとは、キリストを、死者の中からよみがえらせて、栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人たちです。どうぞあなたも、あなたのために死んで、よみがえり、再び来られるイエス・キリストを信じて、永遠のいのちを受け取ってください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
斎藤直江:鷲のように

今日のみことば
あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせ、栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
(1ペテロ1:21)