#1159 氷点が語る原罪と聖書の答え

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、今年2022年はクリスチャン作家三浦綾子氏生誕100年です。それで大きな書店では三浦文学のコーナーが設けられていて、改めてその作品群に注目が集まっているようです。
この方のデビューは鮮烈でした。朝日新聞創立85周年記念で1千万円懸賞小説が募集されるんですが、全くの素人であった彼女の作品が堂々1位に選ばれるんですね。その作品こそは『氷点』という小説です。そして、この『氷点』のテーマは原罪なのです。
小説の冒頭は二人の男女の密会シーンから始まります。札幌の大病院の院長夫人夏枝は若くて美しい女性です。彼女が自宅の応接間で会っているのは、病院に勤務している若くてハンサムな村井というドクターです。夫は出張で明日まで帰って来ません。長男は女中が映画に連れて行っているのでしばらく帰って来ません。邪魔する者は誰もいない中で村井が言い寄ってくるんですね。その時、部屋の扉がガラッと開きます。入って来たのは3歳の娘ルリ子でした。遊んで欲しいというんですね。とんだ所で水を差す展開です。しかし、これを機に娘を膝に乗せたりして、「私は人妻ですよ。馬鹿なこと言わないで。」と、ぴしゃりと彼をはねつけてやったらいいんです。
ところが彼女は娘に「外で遊んで来なさい。」と言って出すんですね。魅力的な男性と二人きりの時間を過ごすということをどうにもやめたくなかったのです。口では拒否していますが、態度は娘を外に出して二人きりの時間を持とうとしているのです。やがて村井が出て行くと入れ替わるように夫が帰って来るんです。ドキッとするんですね。出張が一日短くなったというんです。普段だったら朗らかな気持ちでお帰りなさいと思えるのになんだか後ろ暗いのです。でも夫と話していると“ああ自分はつくづくいい男と結婚したなぁ”とも思えます。やり手で、医者としても、経営者としても、夫としても、また二人の子供の父親としても申し分ない男性です。なのにあの二人の時間がなぜか楽しくて楽しくてたまらない。次に会った時、彼女は自信がありません。

“制御できないもの”:原罪

“制御できないものが自分の血の中に流れているのを夏枝は感じていた”と小説にあります。この“制御できないもの”、これが原罪なのです。
ところで、家から出した3歳のルリ子はどうなったでしょう。なんと通りがかりの男に首を絞められて殺されるんです。夫は妻が妙な時間を過ごしている間に、娘が殺されてしまったということに苛立つ思いが収まりません。やがて、殺された娘の代わりに女の子の養女が欲しいと願う妻の願いに応えて、友人の施設から女の子を引き取るんですね。養女にするためです。そしてこの女の子は、実は犯人の娘だというんです。その事実を伏せた上で、妻に育てさせるという決心をこの夫はするんです。夫は妻を愛しています。しかし、愛してるだけに暗い疑念がよぎる中、妻を苦しめてやりたいという気持ちがもたげてくるんですね。今まで彼は自分のことを理性的な人だと思っていました。何事に対しても沈着冷静な判断ができると自負していたのです。しかし今や、自分でも驚くようなどす黒い恐るべきアイディアが心の中からいくらでも湧いてくる。一体どうしてこういう恐るべきものが湧いてくるんだろうか。しかもそれを彼もまた制御できないのです。この人間の理性で制御できないもの、これが原罪なのです。

原罪は自分の意思でもある

ところで、一般には制御できないものは、自分がそうしたいこととは別物です。そうせざるを得ないものは、本人の意思とは無関係のことです。例えば、一本道を歩いている時、その道を歩かざるを得ないのであって、それはその道を歩きたいから歩いている訳ではありません。その道しかないのでそこを歩いているのです。自分の意欲とは関係なしにそうしているだけですね。ところが原罪というのは、そうせざるを得ないことをすることでありながら、同時にそうしたいのでそうしているんです。
夏枝も、夫もそうせざるを得なくてそうしていると同時に、それをすると決めているのは自分の意思なんです。自分の意思であるならそこには責任が生じます。しかし、普通は自分の意思で選びとるものは選び取らないこともできるが、こちらの方を選ぶという訳です。ところが原罪の場合、選び取るのは自分ですが、選び取らずに済ませることができないものでもあるのです。してはならないことを欲し、しかもそれを止めることが出来ないというモンスターのようなものが、人間の血の中を流れているのだというんですが、これが原罪です。
あなたはそういうことを自分の中にお感じになったことはありませんか?頭ではダメだとわかっていながら、そのダメなところから逃れることができず、そしてそれをやる時に、それは誰かに驚かされて無理やりにやらされたのではない、むしろ自分の意思でやっているということです。私にはそういうものがありますね。自分の中に罪の性質が流れているということを認めざるを得ないのです。

人の罪を完全に赦す権威

この小説の終わりの方に、主人公の養女である陽子が自分の中にある罪を知って絶望し、そして自殺する場面が出てくるのです。服毒自殺する彼女は、その前に遺書を書くんですね。こんな内容です。「お父様 お母様 どうかルリ子姉さんを殺した父をお赦しください。今こう書いた瞬間、赦しという言葉にハッとするような思いでした。私は今までこんなに人に赦して欲しいと思ったことはありませんでした。けれども今、赦しが欲しいのです。お父様に、お母様に、世界のすべての人々に、私の血の中を流れる罪をはっきりと赦すと言ってくれる権威あるものが私は欲しいのです。」やがて雪の中で彼女は薬を飲んで倒れ伏します。彼女の上には雪が積もっていくことでしょう。
ところで、この遺書の中にあったように、人の罪を完全に赦す権威などあるのでしょうか。絶対的な権威でいかなる罪をも赦し切るという、そのような救いがあるんでしょうか?あります。神はキリストによってあなたの罪を赦してくださるのです。聖書は次のように語っています。

さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

どのようにして罪が赦されるか、どのようにして罪は完全に覆われるのか。キリストがあなたの罪を背負って十字架の上であなたの罪を永遠完全処分してくださったので、罪は完全に赦され、そして覆われるのです。小説の中ではこのキリストの十字架の死と復活は書いていませんが、聖書の中にはその解答が書かれているのです。どうぞあなたはこのイエス・キリストを救い主として受け入れて、自ら死を選ぶ道ではなく、自らいのちを選ぶ道を選び取ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
ノア:雪よりも白く

今日のみことば
さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
(イザヤ1:18)