#941 不滅のいのちの与え主キリスト

伝道者:高原剛一郎

おはようございます、高原剛一郎です!

さて発明家として有名な人物にエジソンがいます。
彼は小学校1年生の時に、次から次へと先生に質問して困らせ、とうとう「君の頭は腐ってる!」と罵られて退学になったのでした。
しかし、幸い彼のお母さんは元学校の先生で、息子のエジソンの探究心にとことん付き合ったのです。
このお母さんがエジソンに伝えた事は一つだけです。
「もし困っている人がいて、あなたに助ける力があるときには助けなさい。人生が変わるから。」

子どもを助けたエジソン

彼は10代の時、新聞配達をしていました。
駅に入ってきた列車に新聞を持ち込んで停車時間内に売り込むんです。
ある時、駅で待機をしていると、向かい側のプラットホームにいた幼い男の子がプラットホームを降りて線路で遊び始めたのです。
しかもその線路に特急列車が近づいていたのです。
エジソンは急いでその幼子のところへ行き、間一髪救い出すことに成功します。

これをきっかけに発明王となる

さて、実はこの子は駅長の息子でした。
感謝の印として駅長さんはエジソンに電信技術を教えたのです。
これは当時の特殊技能で、この仕事に就く事は高い給料を保障されることでした。
エジソンは一躍この仕事にありつく事で多額の給料を得、自分の大好きな実験室を作り、そして科学実験に打ち込むことが出来るようになるのです。
誰かのために何かをすることはいつか必ず自分に戻って来るようです。
さてこのエジソンの発明はとどまるところを知りません。
いつしかエジソンは発明王の名を欲しいままにするに至ります。

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様々な発明をしたエジソン

エジソンが造りたかったもの

ところで、このエジソンが最後に作り出したかったものは一体何だったのでしょう。
どうにかして発明したいと全力で取り組んでいたものがあったのです。
それは何と死後の世界に行った人と交信する機械なのです。どうしてそんなものを作りたがったんでしょう。
彼はエネルギー不滅の法則を考えると、死後にも命がある、人格はいる、と結論せざるをえなかったと言うのです。
エネルギーというのは姿かたち現象が変わりますが、その総量は変わりません。
例えば、木を燃やすとパチパチという音エネルギーを出し、めらめらと炎を上げて光エネルギーを放ち、周りを温める熱エネルギーが放出されます。
これは木という物質が持っていたエネルギーが、別のエネルギーの姿に変わったんですね。
そして、放出されたエネルギーは別の形で周りに拡散したのであって、エネルギーの総量は変わらないという絶対法則です。
人間は生きてる間活動します。つまり命はエネルギーであるとエジソンは考えたのです。
死んでしまうと体からエネルギーは抜けてしまうが、それは消滅したのではなく、別の形に姿を変えて存在し続けていると考え、その存在と会話をしたいと願ったのです。

聖書が語る死後

ところで聖書は死後の命についてどう語っているのでしょう。
人間は死んだら無になって消滅するんでしょうか。
いいえ、人の体から抜けた霊と魂は存在し続けるのです。
その中で罪を持ったまま死んだ霊と魂は地獄の暗闇に落ちるのです。
しかし、罪の処分を終えている霊と魂は天国に迎えられるのです。
聖書の中でパウロという人がこのように語っています。

兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしよう」ということになるのです。

と。さて、ここでパウロという人は死後の命を確信しています。
その根拠はイエス・キリストが復活したのをパウロ自身が目撃したという決定的な事実があります。
十字架で殺されたイエス・キリストは、三日目に死を突き破って甦った姿で後日パウロの前に現れ、声をかけてくださったのでした。
彼にとって死後の命も復活もそれは、信仰と言うより目撃した事件であり体験したことなのです。

死んで終わりなら空しい

ところで、もし人が死んで終わりなら人生はどうしても投げやりになってしまうのではないでしょうか。
戦う哲学者の異名を取る中島義道さんは、ある大学の卒業式でこのような言葉を卒業生に贈っています。
「ご卒業おめでとうございます、どうせ死んでしまうのですが。皆さんはこの人生の新しい展開にやや不安を抱きつつも、大きな希望に胸を膨らませていることでしょう、どうせ死んでしまうのですが。自らの個性を見失うことなく、困難を糧にして、大きく成長する機会にして欲しいものです、どうせ死んでしまうのですが。何年かの後に、逞しく成長した皆さんの笑顔に会えれば、これほど嬉しいことはありません。どうせ死んでしまうのですが。今後の健闘を切に祈っています、どうせ死んでしまうのですが。」
どんな崇高な行動や、勇敢なあり方、美しい頑張りも、後ろに「どうせ死んでしまうのです」がくっつくと力が抜けますね。一時的あがきにすぎないように見えてしまうからです。
人生で一生懸命生きてる。そのやってる本人も見ている人もどうせ死んでしまう。
最後は誰ひとり覚えている者もなく、そういう人間がいたということすら知られることはありません。
それが人生というものであるなら、今さえ面白ければよい、さあ飲み食いしようではないかとなるのです。

迫害をものともしなかったパウロ

しかし、パウロはここで、死後のいのち、復活のいのち、天国の存在を語っています。
彼はキリストの復活を述べ伝えたがために毎日毎日大きな迫害を受けていました。毎日は死の連続でしたと語っている通りです。
キリストの復活の事を黙っていたら安楽な人生が待っているのに、それでも彼が語らずにはおれなかったのは、復活が本当にあるということを知っていたからでした。
そして復活したキリストは、間もなくキリストを信じる人を、死者の中から復活させるために再び来られるということを知っていたからです。
キリストはあなたの罪を負って十字架の上で死んでくださいました。それによってあなたの罪は完全処分されたのです。
その後三日目によみがえったキリストは今も生きている神です。
もしあなたがキリストを信じるなら、どのタイミングで死ぬことになっても、あなたの魂は即座にキリストのもとに直行するのです。
そしてキリストが再び来られる時、あなたの肉体も栄光の復活の体に変えられるのです。

死は恐怖でなく喜びのはじまり

今年の2月21日、アメリカのキリスト伝道者ビリー・グラハムという方が99才の生涯を閉じました。
この方についてニューズウィークという雑誌が1ページを丸々割いて記事を書いたのです。
彼は20世紀でもっとも有名な伝道者で、約70年間に2億人以上の人々に福音を語ったと書かれていました。
そして、記事の最後に彼自身の言葉が紹介されていたのです。
「いつの日かビリー・グラハムが死んだという知らせを見聞きするでしょうが、でもそんな事は信じないでください。私はむしろ生き生きしているはずです。神の御前で。」
キリストの救いを受け取った人にとって、死は恐怖ではなく、喜びの始まりに過ぎないのです。
どうぞあなたもイエス・キリストを信じて永遠のいのちを受け取ってください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
イエス様の弟子たち:偉大な主の愛

今日のみことば
「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしよう」ということになるのです。」
(第一コリント15:31)