#942 懇願する神の愛

メッセンジャー似顔絵

おはようございます。慶相龍です。

アメリカのドナルド・トランプ氏が大統領選に当選したころ、彼の長女イバンカ・トランプさんが次期駐日大使になるかもしれないと騒がれたことがあります。
美人でエリートの彼女です。もし本当だったら日本ですごい人気が出そうと、期待する声でにぎわいました。
ところで大使というのは、国家を代表して他国へ派遣される最上位の外交使節のことです。
実は聖書の中で、パウロという人が神の国から遣わされた大使として、キリストに代わって私たちにメッセージをしてくれている重大な箇所があります。
今日はそこから考えたいと思います。
聖書のみことばです。

こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

3つのことを考えたいと思います。

罪は人のうちに実在する

1つ目は、あなたのうちにも罪は実在するということです。
罪というのは、神に造られた存在であるにもかかわらず、神を無視して自分勝手な生き方をすることです。
罪というのは人のうちに実在して、人間を悪に向かわせ、人間を破滅に追いやる恐ろしい力なのです。
優秀な大学を卒業、一流企業に就職、尊敬されるに値する地位にまで上りつめ、人もうらやむような生活をしている、そのような立派な社会的地位を築き上げた人が、女性のスカートの中を盗撮、逮捕され、ニュースで報道され、それまでのキャリヤを棒に振るような社会的制裁を受ける。
これに似た事件が数多く報道されていることは、あなたもご存じではないでしょうか。
なぜ人間はこのような悪を行ってしまうのでしょうか。社会的制裁を受けて初めて「なぜこんなことをしてしまったのだろうか。自分で自分が分からない」と、後悔せずにはおれないことをどうして行ってしまうのでしょうか。

カット

人は悪を行ってしまう

悪を行ってしまう危険性はすべての人にあるのです。
なぜでしょうか。すべての人の中に神を無視して、自らを悪に向かわせ、自らを破滅に追いやる罪という恐ろしい力が実在して働いているからです。
そしてこの罪の本当の恐ろしさは、罪に対する死後のさばき、地獄という永遠の破滅の場所に行ったときにはじめてわかるのです。
なぜ罪を解決しないままこんなところに来てしまったのだろうかと後悔することのないようにと、神はあなたに懇願しておられるのです。

キリストが代わりに罪とされた

2つ目にあなたの中に実在する罪は、キリストによって既に取り除かれた、ということです。
神は罪を知らない方、つまりキリストを私たちの代わりに罪とされました、と書いてあります。
神であるキリストは、あなたと同じ人間のかたちを取ってこの世界に来てくださいました。
あなたという人間の身代わりになるためです。
神であるキリストは十字架にかけられ、死んで下さいました。
あなたに対する神のさばきと怒りのすべてを引き受けて、あなたを神の義、罪のない者とするためです。
ですから神の方でなすべき、あなたの罪の解決に必要な手立ては、もうすでに完成しているのです。
罪の解決があなたに実現するために、あなたに残されていることはたった一つのことだけなのです。

神から和解を申し出られている

3つ目に、罪の解決が実現するためにあなたにただ一つ残されていることは、神の和解を受け入れるということです。
神の和解を受け入れるというのは、あなたの救い主としてイエス・キリストを受け入れるということです。
私たちの中には神に対する罪が実在しています。
神の心を考えることもなく、神に対していつも自己中心に振る舞い、神に対していつも困ったときだけの神頼み、良心の呵責もなく神を操ろうとしています。
神に対して罪を犯しても後悔することもなく、罪悪感を持つこともありません。あるときは神に依存していると思えば、次の瞬間には神以外のものに依存して神を無視します。
しかしそのような罪人に対し、神は疲れることもなく、嫌がることもなく、突き放すこともなく、見捨てることもなく、なんと神の方から和解を申し出て下さっているのです。

父とのコミュニケーション

先日入院中の母を見舞いに、自動車で父と出かけました。
父は耳が遠く、また記憶力も少し衰えています。
クルマの中で父と会話をするにも、コミュニケーションがうまく取れないのです。
私は次第に父と会話することが、めんどくさくなってしまいました。
そして自分でも気づかないうちに、トンチンカンな受け答えしかできない父にいらだっていました。
バックミラーをのぞき込むと、後部座席の父はどことなく寂しそうでした。私は「しまった」と思ったんです。
母へのお見舞いを終え、クルマで父を自宅に送ろうとしました。すると父が私に、「ご飯食べに行こう、おごるから」って言うのです。
私は、父がわずかな年金を自分の小遣いとして使っていることを知っていたので、「いいよ、いいよ」と遠慮したんですけれども、「そんなこと言うなよ、ご飯食べに行こうや」と言い続けるので、これ以上遠慮するのも悪いと思い、一緒に大型ショッピングモールのレストラン街に行きました。
父は値段の張るレストランを見ては、「ここに行こう」と言うんですけれども、私はそれを抑えて、手ごろな価格の店を選びました。
すると父は、メニューを見てはその店で一番高い料理を私に食べさせようとするのです。私は心刺されました。
さっきまで自分を邪険に扱っていた息子に対して、なけなしのお金を使ってでも懇願するように、最高のものを食べろと言ってくれる父のやさしさと愛に心打たれたのです。

神は懇願してくださっている

なけなしの金を使ってでも、息子に最高のものを食べさせたいと懇願するように願ってくれた、そのような父のやさしさを思うときに、私は神様のことを思い出したのです。
神は、あなたが、そして私が、どんなに罪深い者であったとしても、それでもたった一人の御子イエス・キリストを犠牲にしてでも、最高のそして完璧な罪の解決をあなたに提供したいと願って、ご自分から懇願するように、和解を申し入れておられるのです。
あなたの造り主、あなたの魂の真の親である神は、何と優しい方でしょうか。何とあなたを愛している方でしょうか。
「神が私たちを通して懇願しておられるようです、私たちはキリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」。
パウロはキリストに代わって、自分も懇願するようにそう言いました。
神の和解を受け入れてください。
キリストを信じて罪の解決と、罪を解決できた人にだけ与えられる永遠のいのちをご自分のものとしてください。心からおすすめいたします。


使用CDジャケット
竹下静:ただあなたの愛の中で

今日のみことば
「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」
(第二コリント5:20,21)