おはようございます。高原剛一郎です。
AKB48のプロデューサー秋元康さんの話です。
彼がニューヨークに行ったとき、街角の工事現場をみて不思議なものを見つけるのです。
そこには、野球ボールぐらいのサイズの穴が開いているのですね。
しかもその工事現場だけではありません。意識してみると、ニューヨークの工事現場という工事現場にはみんな塀に穴が開いているのです。
それで友人に、理由を聞いたのですね。何と、塀に穴をあけておかないと塀を壊して中をのぞかれてしまうからだというのです。
ニューヨーカーたちは塀の向こう側で何かがつくられているとき、どんなしゃれたものが建つのか完成するまで我慢できないのです。
なんとかして覗き込もうとして、壁が壊されてしまうことがあるので、最初から覗き穴をあけた塀でかこつけてあるというのですね。
いや、さすがニューヨークですね。
この積極性は見えない向こう側の世界には、何かわくわくするものが待っているという、信念が生んでいるのです。
神さまが与えて下さる希望
これは人生全般についても言えることだと思うのです。
もし未来に良きことが起きると信ずることができるのなら、人はもっと積極的に冒険的な人生を歩むことができるのではないかと思うのです。
今日は、神さまが人類のために準備してくださった希望についてお話しいたしましょう。
聖書にこう書いてあります。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえるのです。
ここには三つの希望が約束されています。
もしも負の面を知られたら
まず第一に、キリストは一度、私たちのために死んでくださったという事実です。
先日私の友人が、とても興奮して憤っているのですね。それはレスリング強化部長のパワハラ問題に腹を立てていたのです。
実は彼自身が職場で立場を利用した上司の嫌がらせに参っていたので、とても他人のように思えなかったのでしょう。
特に、当事者とされている人は、ついこの間まではヒーローのように報道されていたので、何か裏切られたような気がするというのです。
一見華々しく、選手思いの監督のように見えて、実は陰湿な面があったので、見損なったと叫んでいるのです。
しかし私はその叫びを聞きながら、別のことを考えていました。
彼が私を友人として付き合ってくれているのは、私のオモテの面しか見ていないからではないかと。
私も他の人と同じように二面性があります。人前では紳士的に振る舞っていますが、人知れず思うこと、心の中にある卑しい思いや、無礼なことをされたときの自分の反応は本当に自分でもうんざりするようなものです。
そういう私のマイナス面を彼はほとんど知らないけれど、もし徹底的に私の内面にある負の面をすべて知り尽くしたら、私を友達と思えなくなるのではないかと考えたのです。
キリストはすべてを知ったうえで愛してくださる
実はキリストという方は、私やあなたの心の中すべてをご存知の方です。
あなたが今まで、人知れぬところでしてきたことすべて、そしてすべてのつぶやき、すべての恥ずかしい事を全部ご存知です。
そしてそれらを全部知ったうえで、なおあなたを愛し、あなたを思がうままに、ご自分のいのちを十字架の上で捨てて下さったのです。
それはあなたの罪を完全に償うためなのです。
あなた以上に、あなたの闇をご存知な方は、あなた以上に、あなたのことを愛しておられるお方なのです。
早撮りのスピルバーグ監督
第二に、キリストは死後三日目に復活されたということです。
この復活のゆえに、人は死んで終わりではないということ、罪の赦しを持って死んだ人には、勝利者として神の前に立つことが保障されているという希望があるのです。
ところで、ユダヤ人の映画監督にスピルバーグという人がいます。撮影した映画はどれもこれも大ヒットですね。
この映画監督の特徴は、撮影時間が非常に短いということなのです。
リハーサルはほとんどしません。すさまじい早撮りで、3時間以上の映画も2か月で録り終えてしまうのです。
どうしてそんなに早くとれるのでしょう。見せたいラストシーンが決まっているからです。
彼は映画を作る際には、ラストシーンから撮影するのですね。
最初から作っていくという、積み上げスタイルでは、途中で行き詰った時、方向性を見失う可能性があります。
しかし、ラストシーンがもう決まっていたら、途中で迷ってもゴールがはっきりしているので、打開することができるのですね。
人生の最期にどうなりたいか
ところで、あなたは人生をどう生きたいですか。最後に、どこにたどり着きたいですか。
最後、どうなっていたいとお思いでしょうか。
最後の最後、神さまの前に立った時、どうなっていたいと望まれますか。
裁きの対象となっていたい、という人はいないと思うのです。
神さまの前に、人生の勝利者として罪許された神様の子どもとして歓迎されたいとは思いませんか。
キリストを信じ受け入れる人には、罪許され、そして神様の子どもとして喜んで受け入れて下さるというその勝利者の立場を神様は与えて下さるのです。
これは全力で生きる動機付けになると思うのですね。
栄光のからだ
第三に、キリストはまた来て、私たちの肉体を栄光のからだにかえて、天国に連れて行ってくださるという希望です。
これをキリストの再臨と言います。
キリストは再び来られる方です。その瞬間すでに亡くなっているすべてのクリスチャンは、栄光のからだにかわり、生きていてキリストの再臨を経験するものは、死を経験することなく、永遠のからだに変えられて天に上げられるのです。
工事完了、忍耐感謝
今年の2月、アメリカでビリー・グラハムというキリスト伝道者が、99歳で亡くなりました。
ご遺体は連邦議会議事堂に7時間置かれ、全米から国民がやってきたそうです。
これはトランプ大統領の発案であったと言われています。
生涯に2億人以上の人々にキリストを述べ伝えたからです。
ところで、奥様のルース・グラハムさんは、今から11年前にすでに亡くなられていますが、彼女のお墓には、一風変わった文章が刻まれているのです。
「工事完了、忍耐感謝」とあるのです。
まだ二人が若かったころ、自宅の近くに高速道路の工事が始まったそうです。
ところがこの工事期間がとっても長くて、その間車は渋滞、騒音と粉塵と、イライラで、地域住民はずいぶん我慢を強いられていたのでした。
ところが数年後、とうとう高速道路が完成しました。
その時開通ゲートに大きな横断幕が張られたのです。そこには、「工事完了、忍耐感謝」と書いていました。
彼女はそれを見て、私のお墓にはこれを刻んでねと頼んだんだそうです。
キリストの再臨という希望
というのは、キリストを信じると、その瞬間に罪の赦しを頂いているのですが、人格的にキリストに似るには、長い時間がかかるからです。
クリスチャンにとってこの地上の生涯は、キリストに人格的に似ていくための工事期間なのです。
そしてこの工事期間の間、多くの人に迷惑をかけるものなのです。
しかしついにその工事が完成する時がやってきます。
その時には見違える姿に、変貌しているのです。
一体その変化はいつ起こるのでしょう。キリストが再び来られる瞬間に起こるのです。
そしてキリストの渡来は、そんなに遠いことではないと私は信じています。
これが、神があなたに準備された希望です。
この希望はイエスキリストを受け入れた人にもたらされるものです。
どうぞあなたも、今日こそキリストを信じ、その希望に生きる人とされてください。
心からおすすめいたします。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
(1テサロニケ4:14,16,17)