#1252 人生を再生するイエス・キリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

 先日、地下鉄の車内広告に目がいきました。車両すべての広告が同じCMだったんですね。全然痛くない永久脱毛の広告でした。まあそれを見ながら思ったんですね。脱毛の技術はこんなに進んでいるのに、発毛の技術はいつになってもできないのはどういうことだろうと。やはり存在しているものを壊すということより、存在していないものを再生する方が難しいんだろうと思いました。ところで、聖書の神は再生の神なんです。罪に縛られていた者を解放し、咎に苦しんでいる者の咎を赦し、死に定められていた者に永遠のいのちを与える神なんです。この罪と死の解決を成し遂げるイエス・キリストについて、キリストが生まれる700年も前に次のような預言がなされていました。

私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。

ここから3つのポイントで考えてみましょう。

神は私達の作者

第1に、神とは私たちの作者であるということです。聖書は神のことを主と呼んでいます。それは私たちのオーナーであり、また主人という意味なんですね。
アメリカで1人の父親が娘に言いました。「優等で卒業できたら、私が大昔に買ったガレージにある車をあげよう。だけどプレゼントする前にダウンタウンの中古車センターに行って、いくらになるか聞いてきてごらん」娘は戻ってきてお父さんに言ったんです。「かなりの使い古しだから1,000ドルですって」「そうか。じゃ、今度は質屋さんに持って行ってごらん」娘は戻ってきて言いました。「100ドルですって。ほとんどスクラップだから」「そうか。じゃ、自動車クラブを紹介するから、そこで聞いてきてごらん」娘は戻ってきて言いました。「クラブの中の何人かが『10万ドル払ってこれを買いたい』と申し出た」と言うんです。この車は日産スカイラインR34といって、コレクターのなかでは超人気の車だというのです。そこで父親は娘に言いました。「正しい場所で君の価値が正しく判断される。評価されないからって怒ることはない。ただ居場所にならないところでケチをつけられているだけだ。だから君の価値がわかる人といつも繋がっていなさい」
私は今日この放送で、あなたの価値を最も正当に、そしてどんな人よりも高く評価なさる方を紹介したいのです。それはあなたの主なる神です。神はあなたを価値ある者として造られました。どれくらいすごい価値をもつ者として造ってくださったんでしょう。神のかたちに似せて造ったというのです。これは神という存在が人間のような姿をしてるという意味ではありません。人格を持つものとして造られたというのです。自由意志を持ち、考える能力があり、感情という気持ち、あるいは心の動きを持つものとして造ってくださったんですね。
神以上に偉大な存在はありません。その最も偉大な存在に似せて人は造られた。ここに神の愛が現されているのではないでしょうか。もしこの放送を聞いてくださってる方のなかに、誰かの言葉に打ちのめされて、自分の価値を疑って倒れている方がいらっしゃったら、どうぞこのメッセージを思い出してください。人の言葉があなたの価値を決めるのではありません。神があなたの価値を決めるのです。そして神はあなたを最高傑作としてお造りになったのです。

人間は神から離れ去ってしまった

第2に、人は自分の価値の根拠となる神から離れ去っているということです。聖書は私たちはみな羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行ったと語っています。
聖書によると最初の人間アダムに、選択の道が提示されました。自分の造り主とともに人生を歩む道を行くか、それとも神に背いて神抜きで賢く美しく強力な存在になろうとするのか。神とともに歩む道を願ったのは神ご自身です。しかし神に背いて自分勝手な道に向かっていくことを勧めたのは悪魔です。非常に残念なことなんですが、人類の共通の先祖であるアダムは、神の願う道ではなく神から離れていく道を選んだと聖書に書いてあるのです。その結果、アダムのすべての子孫に罪と死が受け継がれることになりました。私たちは生まれながらにして罪の性質を持っています。そして、死に向かっているのは先祖の選択の結果なんですね。
私は初めてこの説明を聞いたときに、非常に腹が立ちました。なんで自分のせいじゃないことの責任を私が取らなければならないのか。そんなの不公平じゃないかと思ったのです。アダムには神の方を選ぶのか、悪魔の方を選ぶのか、選択の余地があった。選択肢があった。だけど私は選ぶ前にすでに罪人としてスタートしてるというのは不当じゃないかと思ったのです。しかし、よくよく考えてるうちに、いやそうではないとわかり始めたんです。というのは、私にも選ぶ選択肢があると気がついたからです。アダムが神か悪魔かを選ぶことができたように、どんな罪人も神が提示するキリストによる救いと、悪魔が提示するキリスト拒絶の道を選ぶことができるからです。いつの時代も神が全ての人に近くにおられます。そして選択肢を与えておられるのです。そして神による救いを選ぶように訴えておられる方なのです。

救いの方法はキリストを信じること

第3に、救いの方法は私たちの咎を負い、十字架で砕かれ、3日目によみがえったキリストを信じることです。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせたと書いてあるとおりです。私たちが犯していた全ての罪、咎はキリストが一切合切背負ったうえで永久処分してくださいました。
ところで、咎を負えば負ってる人はその重さを実感することになりますね。罪を実感するっていったいどういうことでしょう。キリストは全く罪のない神のひとり子でしたが、私たちの罪、咎をその身に負ってくださいました。それはいったいどういうことだったんでしょう。
スピルバーグが作った戦争映画に『プライベート・ライアン』という作品がありますね。映画史上最高の戦争映画とも言われています。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の映画です。冒頭27分間、凄まじい戦闘シーンが展開されます。実にリアルな映像なんですね。実はこの映画が封切られたとき、多くの退役軍人たち、実際にノルマンディー上陸作戦に参加した兵士たち、またベトナム戦争の参加兵士たちが映画館に殺到したんですね。そして、そのなかの多くの人々は映画を見てフラッシュバックを起こし、その後トラウマ治療を受けなければならなくなったのです。戦争の残酷さを一度でも経験した者は、それを思い出すだけで打ちのめされてしまうのです。
キリストは一度の戦争、一度の人殺し、一度の罪ではなく、全人類が犯した全ての罪を自分の身に背負い、味わい、そのうえでさばかれてくださったのです。そのうえで罪を完全消去したその証拠として、死後3日目に復活されました。誰でもこのキリストを信じるなら、新しいいのち、新しい国籍、新しい人生が与えられます。
どうぞあなたもこの死んでよみがえったイエス・キリストを信じて、罪の赦しをいただいてください。心からおすすめいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:十字架の上

今日のみことば
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
(イザヤ53:6)