#986 全能にして謙遜なるキリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日、『人類文明の知識量』というエッセイを読みました。
文明ができたのが今から500世代前、近代科学を覚えたのは20世代前、そして、インターネットが初まったのは僅か1世代前のことです。
このインターネットの効果によって現代の高校生は数世紀前の学者よりも博識だと言われています。
さて、この知識の増大は私たちの生活にすごい便利さと繁栄をもたらしてくれました。
でも、この知識について聖書は次のように語っているのです。

しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。しかし、だれかが神を愛するなら、その人は神に知られています。

ここから、3つのポイントで聖書メッセージをお届けしましょう。

アルジャーノンに花束を

第1に、知識には人を高ぶらせる面があるということです。
私が昔読んで忘れられない本に『アルジャーノンに花束を』という小説があります。
主人公のチャーリーは知的障害を持つ青年です。しかし、彼は人を疑うことを知らず、誰にでも親切で、いつも周囲に笑顔を振りまく好青年なのです。
ある時、彼が通う学習クラスの先生から脳の手術を受けてみないかと誘われるのです。
なんでもその脳の手術を受けたハツカネズミは驚異的な記憶力、思考力を身につけたスーパーマウスになり、今や学会ではアルジャーノンという名前をもらって注目の的だというのです。
実際、チャーリーは迷路クイズでスーパーマウスのアルジャーノンと勝負するんですが、簡単に負けてしまうんです。
舌を巻いたチャーリーは僕もその手術を受けるというのです。そしてその結果、彼はIQ68からIQ185の超人的天才に変わるのです。
大学の授業を受けても、彼は難しい問題を次々と解いていきます。

変わり果てたチャーリー

しかし、彼は賢くなるにつれ、今まで見えていなかった醜い現実が見えはじめるのです。
信頼していた友達は実は自分を騙していじめていたということが分かります。
また、自分の知能の低さで母親が自分を捨てたことも突き止めるのです。
彼は人間に対して鋭い観察眼を持つにつれて、やりきれない気持ちになっていくのです。
それだけではありません。彼にとっては何でもない問題に四苦八苦している凡人たちを見た時、彼は見下げるようになるのです。
こんな簡単なことも分からないで悩んでる凡庸な人たちにイライラしはじめるのです。
そして、そういう愚か者たちと関わりを持つことが人生の無駄のように感じはじめます。
やがて、自分に全能感を持つようになった彼は鼻持ちならない人柄に変わっていくのです。
彼のところからは友達が一人去り、二人去り、とうとう誰も相手にしなくなります。
手術前には感じたことがなかった孤独感にさいなまれるんですね。
しかし、そうなってしまった理由が自分の態度にあるということが彼には分からないのです。
というのは、彼の方がいつも答えとしては正しいからです。
正しいことが分からないで、いつまでも時代遅れなことにしがみついているような人間は、彼の目に価値のない人のように見えるのです。
いつの間にか彼は、知識を持っているか持っていないかで人間の価値まで計ろうとする人に変わり果ててしまったのです。

知識で人を測る不毛さ

この本のラストは衝撃です。チャーリーが飼っていたスーパーマウスのアルジャーノンがある日異変を起こすのです。
あんなに何でもできていたのにどんどん能力が落ちていくのです。
何とこの脳の手術の効果は一次的なものにすぎなかったのです。
ピークを迎えるとどんどん低下していき、最後は元の状態よりもはるかに低くなって正気を失って死んでしまうのです。
このアルジャーノンの最後はやがて自分がたどる姿でした。
それで担任の先生に彼は手紙を書くのです。
「僕は裏庭にアルジャーノンの墓をたてました。もし時間があったら花束を手向けてやってください。」
彼は自分が何もできなくなる運命にあることを知ってはじめて、知識で人を測る価値観がいかに不毛なものであるかに気づくのです。
しかし、私たちは上手くいっている時や若い時、高い地位についた時、大きな成功を収めた時、何か自分が特別な存在のように思って太々しい態度に出やすいのではないかと思うのです。

見下さなかった全能者

第2に、愛は人を育てるという事実です。
知識は人を尊大にします。出来る人は出来ない人を見下げます。
強い人は弱い人を軽んじます。高い地位の人は部下たちを機械の部品のように見なす傾向があります。
しかし、聖書の中にたった一人、誰よりも賢く、誰よりも高いところにおられた方で、誰よりも正しく、誰よりも強く、誰よりも能力のある方なのに、決して人を見下げることのなかった方がいらっしゃるのです。
それが、イエス・キリストです。
最高の力を持ちながら、最も低くなって、罪人や遊女やアウトローにも寄り添って、励まし続けた神の御子です。
どうして、最高の知恵と最高の謙遜がこのキリストの中では同居することができたのでしょう。
それはキリストが神から離れた人間をとことん愛しておられたからです。
愛というのは人格を我慢強くさせます。また、謙遜にします。
相手にプラスになることのために、もの凄い力を発揮させるもの、それが愛なのです。

人を育てる愛

今から9年程前、河野裕子さんという歌人が64歳で亡くなられました。ご主人も短歌を読まれる方です。
お二人の間では31文字の短歌が約千首も読み交わされていたのです。
夫婦の間で恋の歌が40年も交わされるとは本当に美しい物語だと思うのです。
しかし、私の胸に特に迫ってきた詩は河野さんがいよいよ亡くなられる日が近づいていく中で歌った歌です。
抗がん剤治療の副作用でボロボロになりながらも彼女は夫に向けて歌を歌うのです。
その中にある一首です。「一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため」
激痛の中でも一日に何回も笑顔を見せるのは、“私が去った後、あなたの心の中に苦しむ妻の姿ではなく、幸せそうだった妻の姿を残すためです。” と。
これは、残された後、振り返った時に夫にとって力となるものを残しておきたいというそういう歌です。
それは、哀しみではあるけれど後悔や挫折とは違う、人を育てようとする意思がこもっている歌です。
この人を育てようとする意思こそは愛なのです。
キリストは罪人を再生することにいのちをかけたので、全能者であられたのに謙遜だったのです。

キリストを信じる幸い

第3に、神を愛する人は神の支持を受けるということなのです。
誰よりも神を愛されたイエス・キリストはあなたの罪を赦すために十字架の上で死んでくださいました。
そして、墓に葬られ、三日後によみがえられたのです。
このキリストを自分の救い主として受け入れることこそが最高の知恵だと思うのです。
キリストを信じる人々には神が赦しと永遠のいのちを与えてくださる方です。
是非、このイエス・キリストをご自分の救い主として受け入れてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
大和田広美:ああ愛されて

今日のみことば
しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。しかし、だれかが神を愛するなら、その人は神に知られています。
(Iコリント8:1-3)