#985 アメージング・グレイス

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

私は以前「アメイジンググレイス」という讃美歌を取り扱ったドキュメンタリー映画を観ました。
南アフリカという国がとうとう、アパルトヘイトを撤廃したことを記念して、ロンドンの大きなスタジアムでコンサートが開催されるのです。
コンサートと言いましても、12時間以上続くんですね。
出演するのは、ヘビメタロック、ハードロック、パンクロックで、スピーカーから重低音が大音量で放出されます。
会場はアルコールとドラッグで騒然としています。
ところでこのコンサートにおいて、主催者はどういうわけか、トリに黒人のオペラ歌手ジェシーノーマンをもってくるのです。
ノーマンは自分の出番が来るまでの間、更衣室でインタビューを受けるんですね。
彼女は非常に知的な方で、アメイジンググレイスの歌詞について彼女流の解釈を加えていくのです。

静まり返った会場

さて、いよいよ彼女の出番になりました。舞台に彼女が立った時、聴衆がやじりだします。
というのは今までの出演者たちとあまりにも音楽のジャンルが違いすぎるからです。
誰一人、聴いてないんですね。みんなアルコールと薬物でぶっとんでるんです。
しかし彼女は、バックバンドなく、楽器なし、伴奏一切なし、ただアカペラで歌い出すのです。
その声はかき消されて、人々の耳に届きません。
しかし、一番を歌い終わった時、会場にいた七万人が静まり返っていたのです。
二番の歌詞はこうです。「私の心に恐れを起こさせたのは、恵みでした。そしてその恐れを取り去ってくれたのも、恵みでした。」
三番はこうです。「ここまで私を安全に導いたのも、恵みであり、そして恵みはとうとう私を私のふるさとへと導いていかれたのです。」
七万人の中の何割かの人々は遠い昔、日曜学校で習った歌詞を思い出しながら歌い出し、そして最後は大合唱となるのです。
私にとって忘れられない映画の一つです。
さて聖書の中にこう書いてあります。

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。

ここから三つのポイントでご紹介しましょう。

宗教とは人の努力

第一に恵みとは、神から出た神の一方的な愛のことです。
ところで、この番組のタイトルは「聖書と福音」です。
ところが新聞のラジオ番組欄を見ると、短く「宗教」と記されています。私にとって実はこれは不本意なことなんですね。
というのは、宗教とは神を喜ばせようとして、人が何かをすることだからです。
しかし、恵みとは神が人のところまで手を伸ばして寄り添うことなのです。
すべての宗教は「行いなさい」というひと言で要約することができます。
我々の決めたリストに挙げられていることを行ったら、神の愛を獲得することができる、というわけです。
それぞれの宗教にそれぞれの独自のリストがあって、比較すると互いに矛盾していると思います。
正反対のことを主張している部分もあるでしょう。しかし、共通しているものはこれです。
神さまに好きになってもらうためには、働いて、苦しんで、奮闘して、頑張らなければならない、という教えです。

聖書は恵みについて語る

聖書はこのような考え方を「律法主義」と呼んで、最も神の心から離れた考えであると語っています。
なぜなら、神が人を愛するのは、人が神に何かプラスになることをした結果のご褒美なのではなく、神ご自身の性質だからです。
あなたが絶好調の時でも絶不調の時でも、神さまの愛は増えたり、減ったりしません。
あなたに対する神さまの愛は、限りがなく、切れ目がなく、無条件で、移り変わることがない。
そしてあなたはそんなすごい愛を受けるに、値しないのです。
受けるに値しない者がただで受け取ることを、この上もなく喜ばれる神の態度のことを、恵みというのです。
恵みとは、あなたが決してお返しができなくても、神さまが無償で与えてくださることです。
この恵みによって神はあなたの罪をキリストに背負わせ、あなたの罪を完全に帳消しにしてくださったのです。
恵みとは、あなたの負債を神が代わりに負担して、完全に打ち消してくださることです。

あなたが救われるのが神の願い

第二に、神はこのように恵み深い方なので、今信じることが難しい方でも、お願いすることができるのです。
聖書は言います。神のひとり子、イエス・キリストはあなたの罪のために十字架で死に、墓に葬られ、三日目によみがえられた、と。
この三つのことについて、どうぞこれからも聴き続けてください。そして聴きながら、この神の真実の証言をわからせてください、信じさせてください、信じる勇気を与えてください、と祈っていただきたいのです。
というのは、キリストを信じる信仰も神が恵みによって与えてくださるからです。
神に願うのです。神は喜んで、その祈りを聴いてくださるからです。
なぜなら、あなたが罪と死後のさばきから救われるのは、あなた以上に神の願いであるからです。

タダより高いものはない

第三に、この恵みは神の賜物です。
それはプレゼントなんですね。なので、このプレゼントを素直に受け取ることを学ぶ必要があります。
実は人間同士の関係においては、タダより高い物はありません。
私たちは何か、大きな犠牲を払わないと、いいものは受け取れないという社会システムの中で成長してきました。
ですから、恵みを受け取るということが実は、へたくそなのです。はっきり言って恵みに対して警戒心を持ってしまうのです。
あるクリスチャンが夜明けごろに夢を見たそうです。それは光り輝く姿をした神の前に、たった一人で呼び出されるという夢でした。
神は彼の名前を呼んだのです。その瞬間、彼の口から出てきた言葉は「ごめんなさい、赦してください、申し訳ありません、すんませんでした、もうしません」です。
ひたすら謝り続けるという夢なんですね。
具体的に何かについて謝罪しているわけではありません。
ただ神の光に照らされた時に、自分のどうしようもない過去や今の自分の心の醜さなどを意識した時に、ひたすらぺこぺこ謝ってる状態が、一番心落ち着く状態だったというのです。

ただ恵みを受け取るだけ

しかし、そんな彼に神は「赦す」と言われたのではなく「もっと反省せよ」と言われたのでもなく、ただ「一番大切なことを学びなさい」と言われたというのです。
その時に目が覚めるんですね。起き上がって聖書を紐解て、ようやく答えを見つけたそうです。
それは、恵みを受け取ることを学ぶということなのです。
神が受け入れてくださることを、受け入れることが大切なのです。
それ以上に神さまを喜ばせることは、ありません。恵みとは神の一方的な愛の証です。
あえてこの恵みを別の名前に言い換えるならば、イエス・キリストご自身の人格です。
どうぞあなたも、この恵みのキリストを信じ、受け入れて、永遠のいのちを是非いただいてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
レーナ・マリヤ:アメージング・グレイス

今日のみことば
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
(エペソ2:8)