#1130 いのちの水の泉である創造主

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

実は私はYouTubeで『ごうちゃんねる』という個人チャンネルを開設し、毎週2回メッセージを発信しています。そのために自宅の一室にスタジオを作りました。スタジオには一眼レフカメラがあって、それで動画の撮影をしているんです。
先日、このカメラの取扱説明書をネットで読んでビックリしたんですね。自分が使っている機能以外に実にいろんなことができるということが分かったからです。取扱説明書をしっかり読むと困った時の対応方法を知ることができます。もっと早く目を通しておけば良かったと思いました。
ところで人間にも取説があるということをご存知ですか。バイブルです。人間を造った神が人間に与えた『神と人生についての説明書』です。この聖書の中に祝福された人生の秘訣が書かれてあるのです。聖書はこう言っています。

—主のことば—わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。

ここから3つのポイントでお話しましょう。

作者だけがあなたを満たすことができる

第1に、主とはあなたを人格を持つものとして造られた作者であられるということです。
ある哲学者はこう言ったそうです。「この世界は物質で成立っている。しかし、物質だけではない。命もある。ところがどんなに長い時間を経過しても物質が自動的に命に変化する訳ではない。命が誕生するためには物質の世界を超えた働きかけがどうしても必要だ。更に、この世界は命だけはない。人間には心がある。しかし、どんなに長い時間を経過しても命から心が自動的に生まれる訳ではない。命があってもそこから考えたり、愛したり、悩んだりする心が発生するためにはもう一つ高度な働きかけが必要なのではないか。偉大な心を持った存在の働きが命、人格のためには必要なのではないか。」というんですね。
その通りです。私たちは自然にただの物質から人格を持つものに変化したのではありません。心を造った方がおられるのです。心を造った方は心を満たすこともおできになる方です。あなたの心を本当に満たすことができるのはあなたの作者なる神様だけなんです。

神があなたの価値を認める

第2に、それにもかかわらず人はこの神を否定し、離れて生きるようになりました。このことを聖書は罪と語っています。
ところで、先ほど読んだ聖書では神のことを『いのちの水の泉』と語りました。神とは干からびた心を潤す『いのちの水』です。しかも『泉』と語っているように汲めども汲めども尽きることなく湧いてくるいのちの源なんです。神の恵み、神の祝福、神の愛には限界がありません。いつまでも途切れることがないのです。言わば変わらない無限の有り余る恵みこそが神の愛なのです。あなたがどんなにしくじりをしても決して見捨てない神です。その神があなたを高価で尊いと宣言しておられるんですね。

神の愛は変わらない

あるご夫婦の話です。実は奥様は非常にキレやすい質の女性なんです。気に入らん言葉やプライドを傷つけられたりしますと次の瞬間ライオンのように吠えたけるんですね。まるで瞬間湯沸かし器ですよ。そんな彼女は以前からとっても感じの良い婦人を知っていました。そしてその方は実はクリスチャンだということが分かり、「あなたが行っている教会に私も連れて行ってほしい。」と志願されたんですね。こうして約2年間、教会に通うようになりました。そして、キリストが自分のようなものを本気で愛していのちまで捨てて贖ってくださったということを知りクリスチャンになったのです。
ところがクリスチャンになった後もやっぱりキレるんですね。性格はすぐには直りません。ある時ご主人が言いました。「2年も教会に行ってキリストを信じた信じたと言ってるけど、お前ぜんぜん変わってないじゃないか。それでもクリスチャンか。相変わらず、すぐに不機嫌になる、すぐにキレる、すぐに腹を立ててヒステリー状態になる。一体、教会に行って何を学んでるの?」
その時、彼女はこう言ったそうです。「あなたの言う通りね。」これにはご主人もビックリ仰天なんですね。以前だったら「そういうあなたはどうなのよ。人のこと言う前に自分のことも考えてみたらどうなのよ。」と逆襲が始まったものです。ところがこの時には自分が不完全であるということを指摘されたのにもかかわらず、それを素直に認められたんですね。
何故そんな変化が始まっていたのでしょう。たとい不完全であっても神は私を見限ることなく、愛することをやめられることはないということを信じていたからです。自分の情けない振る舞いも神様の愛を取り消す力がないんだということが分かり始めていたからなんですね。揺るがない神様の愛をしっかり受け止め、この神としっかりつながると自分の弱点に向き合うことができるようになります。自分の弱点を見てもそれによって自分の価値がなくなることはないという安心感を持っていることができるからです。そのように信じれるのは神の愛が尽きることのないいのちの水の泉のような方である。決してこの方の愛は変わることがないということを信じるからなんですね。

根本的な人生の解決

第3に、人生の虚しさや心の空虚を神のよって満たすのではなく、神以外のもので気晴らしをしてごまかす罪についてです。聖書はそれを偶像礼拝というふうに言うんです。
息子がまだ小学生の頃、ゲームに熱中していた時がありました。我が家はゲーム機を買わなかったんですけど、友達から借りたゲーム機ですっかりはまってしまったんですね。とにかくゲームに支配されているような様子で注意をしました。するとこういうふうに言ったんですね。「お父さん、どうしてボクがゲームにのめり込むか分かる?ボクは死が怖いんだ。でもゲームをしている時だけはそれを忘れることができるんだ。死ぬことを考えずにすますためにゲームをしているんだ。」
そんなことを考えていたのかと驚いたことを今でも覚えております。しかしゲームは死の問題を解決しません。ただの気晴らしに過ぎないからです。世の中には面白いものがいっぱいありますね。そして、それ自体は悪くないでしょう。しかしそれが、死や人生や永遠や神を考えることを麻痺させてしまうのであるなら、それは罠となっており、それは偶像礼拝という罪です。そしてそれらは壊れた水溜めにしか過ぎないのです。
根本的な人生の解決はいのちの水の源である神に帰ることなのです。どうぞ、あなたもイエス・キリストを信じていのちの水の源である神様に帰ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
松本優香:十字架のかげに

今日のみことば
—主のことば—わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。
(エレミヤ2:13)