#1125 十字架のキリストの祈り

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて先日私は、“笑う哲学者”の異名を持つ土屋賢二さんのエッセイを読みました。題して『比較による人生相談』です。髪の毛が薄いという悩みに対しては、影が薄いよりマシです。混雑する食堂に入ってもすぐに見つけてもらえますとおっしゃるんですね。モテませんという悩みに対しては、ゴキブリのように叩き殺されるよりマシです。中年過ぎると電車で隣に座ってももらえません。自分の家族にも嫌われます。今を楽しんでくださいと言いました。家で安らげませんという悩みに対しては、もし原因が奥さんであるなら殺人鬼と暮らすより遥かに恵まれてると思いなさいと言うんですね。一事が万事この調子で、自分より遥かに不幸な人や状況と比べて幸せを感じなさいという考えなんです。
確かにそれによって自分が思ってる程不幸じゃないなと気づく効果もあるかもしれませんね。しかし、今日私が皆様にお伝えしたいのは、聖書が語る幸いです。それは人との比較による幸せではなく、キリストとつながることによって与えられる幸せなのです。
今日は十字架にかかられたイエス・キリストの言葉から考えましょう。
聖書にこう書いてあります。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」

生涯において何一つ悪いことをしなかったキリストが体を3本の釘で打ち付けられる十字架処刑の場面です。3つのポイントで考えましょう。

自分自身を中心に置くという罪

第1に、キリストはあなたの罪をかばい、赦しを得させるために、あなたの代わりに死んでくださった方です。
ところで、良いことしかしなかったイエス・キリストが何故十字架にかけられたのでしょう。当時の社会的リーダーから憎まれのは何故なんでしょう。それはキリストが彼らにとって都合の悪い存在であったからです。実は私たちは生まれつき神のやり方より自分のやり方を好む傾向がありますね。正しい選択の代わりに悪の選択をするこの傾向のことを聖書は罪と語っているのです。そして英語で罪のことを『シィン』と言いますが『SIN』と書くんです。『S』=『South(南)』と『North(北)』の『N』の真ん中に『I
』という『私』が入るというふうによく説明されるんですね。私自身を世界の中心、人生の中心に置く時にはいつでも罪を犯しているのです。人生から神を除外してやりたい放題生きることです。

作者が罪の赦しを願われた

先日、私の友人が中古マンションを買ってリフォームをしたのです。子供たちが大きくなったため住み替えをしたんですね。新築同様の美しい内装を家族で見て回り大変満足されました。特に子供たちは自分の部屋がもらえることで興奮していたようです。
数日後、今度は彼一人で部屋に入ったのですが、そこで息を呑む光景を見たのです。何とどこから入って来たか蟻の大群が子供たちの置き忘れたケーキに向かって集っているというんですね。彼はケーキごと処分し部屋の蟻を全て追放し、殺虫剤を撒き散らしたというのです。
ローンを組んでその部屋を購入したのは彼自身だからです。それは彼の持ち物ですね。彼には侵入者を撃退する権利があったのです。
実はこの世界にもオーナーがいます。それはこの世界をお造りになった神です。作者ですから作品に対して権利があるのです。この世界も、あの人も、この人も、そして私自身も実は創造主なる神様の作品なんです。そして作者は作品に対して権限を持ってるんですね。この作者の権限を認めず作者を除外して生きることを罪と語るのです。しかし、この作者自身が十字架にかかってあなたの赦しを祈ってくださったのです。「父よ、彼らをお赦しください」とあなたの罪の赦しを最大の自分の願いとして祈られたのです。そしてキリストが身代わりに死んでくださったこの事こそが、いかなる罪人をも赦されるその根拠となっているのです。

究極の方が愛しておられる

第2に、キリストはあなたがどんな醜態を晒しても、また、いかに酷い過去があったとしてもあなたを愛することをおやめにならない方です。
アメリカの聖書説教者にリック・ウォレンという人がいます。彼の書いた本はアメリカだけで1500万部も売れて、そしてこのことでとても有名なった。その時に意地の悪い批評家たちのターゲットになってしまったのです。当時、彼の奥さんは癌でそのサポートのために彼自身疲れていました。その上、心ない批判によりひどく落胆していたのです。ところがある週末、彼が尊敬する世界的なクリスチャン著作家ジョン・ストットという方がやって来てこう言ったそうです。「実は今度本を書いたんですが、その前書きを書いてくれませんか。」ジョンには他に有名な牧師の友人が世界中にいましたが、そういう偉大な人たちの誰かではなく、彼は私を選んでくれた。それはこの上もなく大きな慰めになったというんです。もはや悪意ある批判者たちのことはどうでも良くなったそうです。それは彼にとって決定的な人から認められたという事実があるからです。
しかし、ジョン・ストット以上に究極の決定的な存在は神です。その神の御子があなたを愛しておられるのです。この事実に立てば他の人の言うことなんか大した事ではないのではないでしょうか。

キリストが一緒にいてくださる

第3に、キリストは隣で十字架にかかっていた犯罪人の悔改めを聞いて次のように言われたのです。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」キリストは死刑にされている犯罪人に「死んだ後のことは何の心配もいらないよ、私と一緒に天国にいるから」と約束してくださったんですね。
漫画家の宮川サトシさんという方には5歳になる娘さん、はなえちゃんがいます。仕事場から帰って家に着くと玄関先まで迎えに出たはなえちゃんが手紙をくれたそうです。全文ひらがなの手紙でそこにはこう書いてありました。
『おとうさん もしおとうさんがへびにたべられたら はなえもへびにたべられてもいいよ どうしてかとゆうと おとうさんがだいすきだから』
どうしてそんな手紙を書いたんでしょう。実は前日の夜、お父さんもお母さんもいつかは死んでしまうというふうに話をしたんですね。それで怖くなったんでしょう。そして死について考えたのでしょう。彼女にとって死は大きな蛇のイメージです。死とは蛇に食べられることだったんです。ではどうして自分もたべられていいと言ったんでしょう。蛇のお腹の中でお父さんと再会できるからです。例え死んでも一緒にいたいよという愛情表現ですね。
キリストは死後の世界まであなたと一緒にいてエスコートしてくださる救い主です。蛇のような死を復活で滅ぼしてくださった方、あなたのための救い主、あなたのために死んで墓に葬られ、三日目によみがえられた救い主、この方こそあなたのキリストです。
是非、このイエス・キリストを信じ永遠のいのちをいただいてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:十字架の上

今日のみことば
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
(ルカ23:34、39-43)