#1154 試練の中で出会える神

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

私は若い頃、絵手紙を習っていたんです。詩画作家の星野富弘さんへのあこがれが一つのきっかけだったんですね。有名な詩画作家で、日本にとどまらず海外でも個展を開かれるような方なんです。彼は大学を卒業後、中学教師になるんですが、その年の6月にクラブの模範演技中、頚髄を損傷し、首から下が動かなくなったんですね。24歳のときでした。体の機能と未来の希望とを同時に失ってしまったんです。どれほど絶望されたか、想像もできません。2年後に口に筆をくわえ、絵を描きはじめられました。4年後聖書の神を信じ、クリスチャンになられるんです。9年間の入院生活の後、郷里に戻って、作家活動をはじめられました。星野さんの作品は、多くの人の心を慰め、励まし、勇気を与えています。詩画集を何冊も出版され、またカレンダーやポストカードになり、群馬県と熊本県には富弘美術館が建てられ、毎年たくさんの方が訪れられているんですね。
星野さんの生き方を思うと「強い人だなー」、そう思います。でも「あなたは強いですね」と言ったとすると、間違いなく「そうではありません」と否定されると思います。それは彼の作品を見れば、よく伝わってきます。自分の力で、この試練を乗り越えられたのではないんですね。自分の弱さと向き合いながら、その中で神に出会い、支えられ、おおわれて生きてこられたんです。もちろん家族の支えと愛、そして血のにじむような努力があったことはまちがいありません。しかし神に支えられたということも、また事実なんですね。私たちは、星野さんのような試練に会うことはまずないでしょう。でも人生には想像もできない困難が、起こるものです。そのとき私たちは生きる力を失うかもしれない。今日は星野さんの生き方と作品の中から、そのようなとき、私たちはどのように歩めば良いのか、そのヒントを考えてみたいんです。

失うことによって手に入るものがある

一つ目に考えたいのは、失うことによって手に入るものがあるということです。星野さんは体の自由を失い、教師としての未来を失いました。そして動くことができないベッドの上で、口に筆をくわえて、詩画を描き始められたんです。それは平坦な道ではありません。何度も絶望し、神に叫んだことでしょう。自分の人生をのろい、他人をねたみ、悔し涙を流し、自暴自棄になり、死を願い、その中で支えられてこられたんだと思います。だからこそ悲しみに沈み、絶望した人の心にしみるような作品が生まれてくるんですね。体の自由を失うことで、大切な心を手に入れられたんです。作品を一つ紹介します。

黒い土に根を張り どぶ水を吸って
なぜ きれいに咲けるのだろう
私は 大ぜいの人の 愛の中にいて
なぜ みにくいことばかり 考えるのだろう

私たちは失うことを恐れます。でも何かを失ったとき、神は私にそれとは違う、別のものを与えてくださる。そう信じることは大切なんですね。今まで見えていなかった景色、それが見えるようになるんです。なぜなら神はあなたを心から愛し、あなたの人生を豊かにしたいと願ってくださっているからなんです。

過去の自分に戻らなくてもいい

二つ目は、過去の自分に戻らなくてもいいということです。私は今年で65歳になります。まだまだ若いと言われますが、日々衰えを感じるんですね。体力的には当然ですが、それ以上に内面の衰えを感じます。気力であったり、先に進もうとする意欲であったり、もう一歩という粘りであったり、それらが確実にダウンするんです。そんなとき、昔のあのときに戻れたら、と思うことがあります。私たちは自分の理想を思い描きます。「このようであったらいいのに」、でもそうはいかないんですね。星野さんもよくそのように考え、ベッドの上でもがいていたようです。ですが、決して私たちは過去に戻れません。あるとき星野さんは「ああ、べつに元に戻らなくてもいいんだ」と、現状を受け入れたそうなんです。こんな作品があります。

動ける人が動かないでいるのには 忍耐が必要だ
私のように動けないものが 動けないでいるのに忍耐など
必要だろうか そう気づいた時 私の体をギリギリに
縛りつけていた忍耐という 棘のはえた縄が
“フッ”と 解けたような気がした

私たちはこうあるべきだ。こうなったら幸せになれるという思い込みがあります。そこから解放される必要があるんですね。今を受け入れ「あのときに戻らなくてもいいんだ」、そして与えられているものに目をとめ、感謝をするときに自分を縛り付けていたものから、解放されるんではないでしょうか。

弱さはおおわれなければならない

三つ目のことを考えます。弱さはおおわれなければならないということです。星野さんが神と出会ったことは、大きなことでした。聖書にこんな言葉があります。「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」私たちはだれもが弱さを持っています。弱さのない人なんていません。生まれつきの弱さもあれば、星野さんのように後天的なものもあります。そしてこの弱さは、克服できないんですね。強くなれないんです。また無くなることもありません。ではどうすればいいんでしょうか。キリストの力におおわれなければならないんです。そして、おおってもらうには、まず自分自身がその弱さを隠さずに認める必要があります。

わたしは傷を持っている  でも その傷のところから
あなたのやさしさが しみてくる

星野さんの作品です。星野さんは弱さを持たれました。それは、この世界では試練としか言いようのないものです。その中で神に出会い、神の愛とやさしさに触れ、力を得たんですね。私たちの人生には、試練がつきものです。星野さんの味わったようなものではないかもしれませんが、いつか必ず試練の中で自分の弱さと向かい合うときがくると思います。そのとき、あなたを愛で包み、弱さをおおってくださる神を知っていることは、あなたの力になるんです。どうか星野さんの詩の向こうにある、神の愛を知ってください。そして、ご自分のものとしてください。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
大和田広美:いつもいっしょにいてくれる

今日のみことば
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
(2コリ12:9)