#1111 生きている実感-自由と解放

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて先日私は、大阪大学の松村真宏准教授の記事を楽しく読みました。この方は仕掛け学の第一人者です。仕掛け学っていうのは、人間が問題解決に向かって行動するように仕向けていく学問なんだそうです。
例えば、ヨーロッパのある公園では、ゴミのポイ捨てがなくならずに困っていました。ところがゴミ箱に、ある仕掛けを施したのです。ゴミを入れると、ヒュー、ドンという大げさな効果音が鳴るようにしたのです。人々はおもしろがって他人が落としたゴミまで拾って、そしてゴミ箱に入れるようになったっていうんですね。
この教授が勤務する大阪大学のキャンパス内ゴミ箱にも、工夫がしてあります。ゴミ箱の上にバスケットボールのゴールが設置されてるんですね。ゴールのリングにゴミが入ると、ごみ箱にそのままストンと入る仕掛けなんですが、効果抜群なんだそうです。
人間は良いとわかっていることでも、強制されたことについてはやりたくありません。しかし、自らおもしろい、楽しいと興味をそそられると、本来面倒くさいことであったはずのことも、ついつい自発的にやってしまうのです。

自由意志は凶器になり得る

私はその話を読みながら、つくづく人間っていうのは自由意志を持ってるということを痛感いたしました。自由意志を持つというのは、させられることが嫌です。しかし、自らがやりたいと思うことをする時には、生きてる喜びを味わうんですね。
神は人間をお造りになられた時、自由意志を与えてくださいました。その理由の一つは、人が生きる喜びを実感するためであったのです。しかし、この自由意志は使い方を間違うとひどい凶器にもなりえるんですね。
この世の中の多くの犯罪は、犯人の身勝手な喜びの追求の結果もたらされているものが多いのではないでしょうか。一体、良い自由と、悪い自由の線引きはどこにあるのでしょう。おそらく、他人の自由や尊厳や安全を損ねるような自由というのは、行き過ぎた自由、悪い自由ということになると思います。

神との関係が切れている

そしてこの自由意志の乱用を神に対して使うことを、とくに的外れの罪というのです。人は自由意志を使って、自分に自由意志を与えた創造主を否定するようになりました。これほどひどい的外れはないでしょう。しかし、その結果人は神との関係が切れてしまったというのです。
聖書の中に次のようなことばがあります。

見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

神が祝福の神であるなら、どうして私の人生はこんなについていないんだろうとよく聞く質問があるんですね。その一つの理由は、その方が神との関係を切っているからなのだというのです。

SOSのクリスマスカード

今から二年前、2019年12月22日、イギリスの六歳の女の子が大型スーパーマーケット テスコでクリスマスカードを買ったのです。そのカードにメッセージを書こうと開いてみると、そこには、SOSのメッセージが書き込まれていたのです。
「このカードを手に取る方へ。私は上海政府外国人刑務所に捕らえられ、強制労働させられている者です。どうか私を助けてください。そしてこのメッセージをイギリスのジャーナリスト ピーターハンフリーに渡してください。」
びっくりした女の子は親と相談し、ピーターハンフリーに伝えたのです。彼はただのジャーナリストではありません。私立探偵をも行う特殊技能の持ち主であったのです。そして中国に入国し、さまざまな手段で、この外国人専門の刑務所に入り込んで、レポートを作り、それをサンデータイムスというイギリスの新聞に、特ダネ情報で知らせたのです。
冷暖房が一切ない刑務所の中で、夏は暑すぎ、冬は寒すぎる環境の中で、朝5時半にたたき起こされ、強制労働していることがよくわかりました。それがわかった時、このクリスマスカードを売っていたテスコというスーパーマーケットチェーンはすべての店から、この商品を撤去し、この中国企業との取引を打ち切ったのです。
これは中国企業にとって、大ダメージでした。と言いますのは、テスコという会社はイギリス国内に二千店舗近い店舗を持っているだけでなく、北半球十数か国に合計三千点近い店を持っていたのです。世界五大流通企業の一つ、それがテスコという会社なのです。そのテスコが一切取引を打ち切ったことで、この中国企業は大損害を被ることになったんですね。

神の倫理観

ところでどうしてテスコは取引を止めたんでしょう。中国企業が外国人を強制労働させてることを知ったからです。悪を行う企業と取引することはまともな企業がすることではない、と判断したのです。なぜならそれは相手の罪に協力することと同じことになるからです。企業倫理がしっかりした会社であればあるほど、不正な企業との付き合いはしないのです。
神は誰よりも、何よりも、高い倫理観の存在です。正義と公正を愛する方です。この方は罪と関係することはできません。なぜ人間は、無制限の祝福を神から受け取り損ねているのでしょう。人の罪が、神と人との間の仕切りとなって、祝福を取りこぼしているのです。神に祝福する気がないのではありません。神はあなたを祝福したいのです。

罪を完全に消し去る方

しかし、人が神との関係を断ち切っているがために、その祝福が届かないのです。しかし、先ほど読んだ聖書と同じイザヤ書の中に、こういうことばも書いてあるのです。

さあ、来たれ。論じ合おう。主は言われる。たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

古代イスラエルでは、緋色は、樫の木に寄生するエンジムシという昆虫のメスをすりつぶして、それを染料としたのでした。この生物以来の赤い色は、一度ついてしまいますと、洗い流すことが極めて難しいものであったのです。つまり緋のように赤いというのは、どんなものによっても消えない、というニュアンスが込められているのです。
ところが、人間がどうやってもどうにもならない真っ赤な罪を、神は、雪のように白くしてみせるというのです。一体、どのようにしてでしょう。罪なきキリストのいのちによって、罪を跡形もなく、消し去ってくださるというのです。キリストこそ、あなたの罪を完全に解決し、あなたを神の祝福に与からせる立場に引き入れてくださる、救い主です。どうぞあなたもこのイエス・キリストを信じてください。心から、お勧めいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:その翼

今日のみことば
見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

さあ、来たれ。論じ合おう。主は言われる。たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
(イザヤ59:2, 1:18)