#1112 人間を超越する神の発想

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

さて、先日私は、元リッツ・カールトン・ホテル日本支社長だった高野登さんのエッセーを読みました。
まだ高野さんがホテルマンだった頃のお話です。あるご家族と彼の出身地である長野県戸隠について話が弾んだって言うんですね。実は、このご家族は、大の信州好きだったのです。それで高野さんはうれしくなって、戸隠名物のそばの話をしたんですね。まあのってきたら話が止まりません。故郷に誇りを持ってるので力も入りますね。
ところが途中で奥様が申し訳なさそうに言われました。「高野さん、ごめんなさいね。うちの娘、そばアレルギーなの。おそばの話はちょっと辛くて。」実は、そばという名称を聞くだけで反応してしまいそうなほどの体質だったのです。
信州が大好きイコールそばが大好物とは勝手な思い込みでした。人それぞれ思う所は違うんですね。

人の考えと神の考え

同じ信州ファン同士でも考えは必ずしも同じではないとしたら、ましてや人と神との考えにはもっともっと大きな開きがあるに違いありません。聖書の中にこんな言葉があります。

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

天と地が交じり合えないほどに隔たっているように、人の考えと神の考えは違うんですよと聖書は語っているのですが、いったいどんな点が違っているんでしょう。

本物の神は人の祝福を願われる

第一に、神ほど人間の幸せを願ってる方はないという点です。
日本のことわざに「触らぬ神に祟りなし」というのがありますね。まあ一言で言うと「面倒なことに余計な手出しをするな」という戒めです。つまり神とは、下手に関わると厄介なことになるという、ややこしい相手という前提がここにありますね。何か良くないことがあると、「罰が当たった」というのも、神は罰を当てる存在というイメージがあるんでしょう。
しかし、人間が考えた神は祟ったり、罰を当てたり、何かめんどくさい存在なのですが、あなたをお造りになった本物の神は、あなたを生かし、あなたの祝福を願う方なのです。

面倒くさい存在、それとも……

北野武さんが超売れっ子になった頃、彼のもとにしばしば現れてお金をせびっていく人がいたそうです。いったい誰でしょう。実の母親のさきさんです。しかも、要求する金額が20万円、30万円と、まとまった金額なんですね。やれ温泉に行くからとか、孫にプレゼントするからとか、今まで育ててやったんだからとか、まあ、武さんは、実の母親ながら「強欲なばあさんだなあ」と思っていたそうですが、どういうわけかお母さんに頭が上がんない。まあ、心優しくもお金を渡してたんですね。
そんななか、1994年8月2日、彼が47歳の時、深夜にバイク事故を起こした彼は、頭蓋骨陥没、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右胸骨複雑骨折、瀕死の重傷を負うことになるのです。しかも、酒気帯び運転だったので書類送検、起訴猶予処分でした。一命はとりとめたものの、後遺症が残る可能性があり、新聞には「再起不能」の文字が躍ったのです。
そんななか、お母さんが見舞いに来てくれました。そして耳元でこう言われたそうです。「お前は金遣いが荒いから、いつかはこんなことになると思って」そう言って通帳と印鑑を置いて行ったのです。それは彼の名義で積み立てた通帳でした。息子から取り上げたお金は一円も使わず、しかも、そこに自分の年金の一部を加えて一千万円近いお金を用意していたのです。「万一再起不能でもこれで何とか後の人生を暮らしなさい」と言って病室から去っていったそうです。
それから5年後、お母さんが亡くなられるのですが、葬儀では武さんは、人目をはばからずに大泣きしたのでした。厄介な強欲ばあさんと思っていたら、とんでもない。万が一のために備えをして息子である自分を守っていてくれていたのです。何という誤解をしていたのでしょう。
あなたにとって神は面倒くさい存在ですか。実は、神は、あなたのために永遠のいのちを用意しておられる方なのです。どんな心優しいお母さんよりお母さんの心で、どんな先見の明のあるお父さんよりお父さんの心で、あなたを愛しておられる方なのです。

神はあなたを赦される

第二に、どんな罪でも赦していただけるということです。いやそれどころか、罪が深ければ深いほど受ける恵みは一層深くなるというのです。
神はどんな罪も赦してくださいます。しかも赦した後、それをすっかり忘れてくださるのです。人間の場合、たとい許してもされたことをいつまでもいつまでも覚えていますね。ひどいことであればあるほど、記憶は鮮明になります。
しかし、神の考えは、人の考えとは違います。神は赦すだけではなく罪を忘れてくださるのです。あなたは自分の罪に絶望していませんか。もはや自分なんか救いようがない奴だと諦めていませんか。それは人間の考えです。神はあなたを赦してくださるのです。神の考えは人の考えよりもはるかに高くて異なっているのです。

キリストを救い主として受け入れる

第三に、人が罪赦される方法は、修行でも善行でもなく、ただキリストがあなたの罪を背負って、身代わりに罰を受けてくださったこと、そして三日目によみがえられたことを信じることによって救われるのです。
昔見た映画で、悪者に捕らえられているお姫様を救い出す物語がありました。ところが、救助のためにやって来た人物は窓から部屋に侵入してきたんですね。「さあ一緒に逃げましょう」と誘うのです。しかし、怪しすぎるのです。窓から入ってくるのは泥棒のすることではありませんか。幼いお姫様はどうしても踏ん切りがつきません。果たしてこの人を信じていいのか、悪いのか、よく分からないって言うんですね。しかし、彼女自身の協力なしにそこから助け出すことは出来ないのです。
キリストは十字架に架かって、まるで極悪人のように処刑された救い主です。何と救い主らしくない姿でしょう。しかし、この、身代わり処刑になることをもって救われるという、この救いの計画を実行された方以外にあなたを救える方はいないのです。
そして、あなたのために一度死に、墓に葬られ、三日目に復活されたキリストを信じることこそが、神の救いの計画なのです。それはあなたの考え方と合致しないかもしれません。
しかし、神の考えは人の考えよりも高いのです。どうぞこのキリストをご自分の救い主として信じ、受け入れ、あなたの造り主のもとにお帰り下さい。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:天の喜びと無限の愛を

今日のみことば
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
(イザヤ55:9)