#1137 神は失敗しないので

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。慶相龍です。

かつて私は営業の仕事をしておりました。会社から専用の営業車を貸し与えられていたんです。
ある日のことです、私は当時の営業所長と一緒に、得意先に同行することになりました。すると所長は車に置いてあった私の聖書を手に取ってこう言ったんです、「君はこんなことを信じているのか」。所長がさし示した聖書の個所には、このように書かれていました「はじめに神が天と地を創造された」。私はこう答えたんです。「はい、所長、私は神を信じています」。
所長は言いました、「神がいるってことを信じているのか」。私は答えたんです、「それもありますけど」。所長は不思議そうに首をかしげていたんです。
ところで神を信じるとは、具体的にどういうことなのでしょうか。今日は、三つのことだけを考えたいと思います。

神の存在を信じる

一つ目に、神を信じるとは「神の存在を信じる」ことを含みます。
めぐみ在宅クリニックの院長で小澤竹俊さんという方がいます。彼は人生の最終段階にあるご家族などと関わっている人たちのために、講座を運営しているそうです。彼は「苦しむ人の力になるために必要なことは、相手から心を開いてもよいと認めてもらうことだ。そして、そうなるためには人の心という目に見えないものに気づく感性が必要だ」とおっしゃいます。
そこで彼は、受講生にビデオカメラを一台手渡して、こんな宿題を出すのです「風を撮影してきてください」。目に見えない空気の移動は、ビデオには映りません。そこで発想を変える必要があるのです。つまり風に揺れる水面のさざ波や、木々の揺れる様子などを撮影するのです。
天地万物をお造りになった、創造主である神の存在もこれとよく似た方法で確認することができるのです。聖書の語る神は目に見えない、霊的な存在です。そこでその存在を確認するためには、発想を変える必要があるのです。
目に見えない風は、風に揺れるものによってその存在を確認することができます。同じように目に見えない創造主の存在は、創造主によって造られた、被造物によってその存在を確かめることができる、と聖書は主張しているのです。つまり自然界に存在するものを詳しく見ると、そこには確かに人間の能力をはるかに超えた知性、デザインがあることがわかるのです。
デザインのあるところには、デザイナーが存在する、これは至極当然の話です。そして天地万物をデザインし、設計し造られた方、そんな方がいる、それが神、創造主だと聖書は語るのです。神を信じるとは、天地万物をお造りになった神はいる、創造主の存在を信じることなのであります。

罪がゆるされていると信じる

二つ目に、神を信じるとは「私は罪ゆるされていると信じる」ことを含むのです。
かつて私は、重度のニコチン中毒でした。「タバコをやめたい、タバコをやめたい」と、思っているのに、なかなか止めることができなかったのです。特にストレスを感じるたびに、ついついタバコに手が行ってしまうんですね。
ところが最近の研究によって、タバコで解消できるストレスというのは、ただ一種類しかないことがわかったのです。それは、ニコチンが切れたことによる肉体的な禁断症状だけ、であることがわかったということなんです。しかも、ニコチンが切れたことによる禁断症状というのは、禁煙して三日もすれば体には残っていないというのです。そしてこの事実を正しく知って、受け入れることが、ニコチンと決別するために有効だというのです。
ところで人間は、生まれながらに罪人であると聖書は語ります。罪のゆえにすべての人は死後に地獄の裁きをまぬかれることができないと、聖書は語るのです。
しかし聖書はそれだけではなく、それと同時にキリストが私たちの罪を背負って十字架で死んで、罪のきよめをなし遂げて三日目によみがえられたという歴史的事実によって、人間の罪が解決していると語ってくれるのです。その罪の解決は、キリストを私の神、救い主と信じる瞬間に、有効になると聖書は語ります。
禁煙して三日もすれば、タバコで解消できるストレスなど残っていない。この事実を受け入れることが人をニコチンから決別させてくれるように、「キリストを信じるなら、さばかれるべき罪はもうひとかけらも残っていない」という事実を信じて受け入れることが、人を死後の裁きから決別させてくれるのです。
神を信じるとは、「キリストのおかげで私は罪ゆるされている」、「私は死後の裁きから決別した者だ、永遠のいのちを持つ者になったのだと確信する」ことを含んでいるのです。

自分が神にとって存在価値がある

三つ目に神を信じるとは、「自分は、神にとって存在価値があるのだと信じる」ことを含みます。ドクターX 外科医大門未知子という連続ドラマが好きでした。女優の米倉涼子さん扮する、どの病院にも属さず、覇権争いや出世にも興味がない、すご腕の外科医が主人公です。
彼女が劇中で語るキメ台詞があります、それはこうです「私、失敗しないので」。そのことばどおり彼女は、どんな難しい手術をも成功させていきます。そしてついに、彼女を敵対視していた他の医師たちも、彼女を信頼していくのです。
ところで実際の世界では、失敗しない方は、神おひとりだけです。これも神を信じる理由なのです。そしてこう考えるのです。神がすべての人の造り主であるならば、この世には神にとって必要な人間しかいない、なぜなら神は失敗しない方だからです。
ただし、自らすすんで失敗の道を選び取る人もいるのです。そういう人のことを、神はどうすることもできません。その代表格がイエスを裏切ったうえに、最後まで神にゆるしをこうことなく、自ら命を絶ったイスカリオテのユダです。イスカリオテのユダは、私たちの反面教師です。最後までイエスを拒んで、自殺しただけでなく、地獄に行かなければならなかったユダのようには、決してならないでください。イエス・キリストを信じ罪ゆるされて、神とともに、神に従う生き方が回復されるなら、失敗しない神の目的に従った、あなた本来の存在価値は明らかにされていくのです。
名著「夜と霧」を書いた、ヴィクトール・フランクルが生前語っていたことばが好きです。「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない」。私はこのように言い替えたいのです。「あなたがあなた自身に絶望しても、神はあなたに絶望していない。なぜなら絶対に失敗しない神ご自身が、あなたをお造りになり、今あなたを生かしておられるからです」。
神を信じることは、「私には、神にとっての存在価値があるのだ」と信じることでもあるのです。どうか神を信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
松本優香:もうひとつの実を望まれ

今日のみことば
はじめに神が天と地を創造された。
(創世記1:1)