#1113 あなたの少しの勇気と決断

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

さて私は昨年の9月、結婚40周年を迎えました。ルビー婚式というそうです。この40年の間に、2人の子供が成人し巣立ちました。そして2人の孫が生まれました。
また実にたくさんの人と出会い、多くの関係が生まれました。ある関係は私の人生に混乱を招きましたが、ある関係は私の人生を豊かに実りあるものにしてくれました。妻との出会いは素晴らしいものですが、最も感謝に溢れる出会いは、なんと言っても神との出会いです。この方との出会いがなければ、私の今の人生はありえない。この大きな祝福はこの出会いから始まりました。
今日はペテロがイエスとの幸いな関係に入った時の記事から考えたいと思います。イエスには、12人の弟子がいました。その中でもペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、この4人は特別な存在でした。イエスの初期の宣教は、イスラエルの北に位置するガリラヤ地方が中心でした。12弟子のほとんどはこのガリラヤ出身です。この地方の名前の由来は、ご存知ガリラヤ湖です。そしてこのガリラヤ湖周辺には、たくさんの町ができていました。今日の舞台、カペナウムもそのひとつです。この町はイエスが「わたしの町」と呼ばれ、宣教の拠点とされたところなんですね。またペテロたちの家があった町でもありました。

ペテロとイエスの関係の段階

さて、ある日の早朝、イエスが湖畔を歩いておられると多くの群衆が集まってきたんです。話を聞くためです。イエスのメッセージは人を惹きつける魅力がありました。しかしこの時、人の数があまりにも多かったんですね。
イエスは岸辺にあった小舟に乗り、岸から少し離れたところから話をされました。この小舟の持ち主がペテロです。ペテロの仕事は漁師。彼はこの日、深夜からつい先程まで湖で漁をしていました。あいにくこの日は、魚は1匹も捕れませんでした。この不漁はペテロたちを気落ちさせたかもしれません。もしかしたら、何日も不漁が続いていたかもしれないんですね。
自然相手の仕事はそんなものです。がっかりして、岸辺で網のゴミを取り修繕をして、明日の準備をしていました。それが終わった頃イエスが来られ、小舟を貸してほしいと声をかけられたのです。ペテロはイエスを船に乗せ、岸から少し漕ぎ出しました。今日はペテロとイエスの関係がどのように近づいていき、どのようにスタートしたのかを見たいと思います。
3つの段階があるんですね。1つ目は、イエスのことは知っているが、従っていこうとは考えていない段階。2つ目の段階、半信半疑だがイエスの言葉に従う決心をした段階。そして3つ目、イエスは信じて間違いのない方だと知る段階。順番に考えていきたいと思います。

知っているが従っていこうとは考えていない段階

第1段階、イエスのことは知っているが従っていこうとは考えていない段階を考えます。
ペテロはイエスの存在はすでに知っていました。ある婚礼の席で、イエスが水をぶどう酒に変えられた奇跡に立ち会っています。また少し前カペナウムのペテロの家に来られて、彼の姑の熱病を癒しておられるんですね。ペテロがその場にいたかどうかは分かりませんが、当然このイエスには不思議な力があるということは知っていたはずです。
しかし、このどちらもペテロの人生を変えるというものではありませんでした。なぜなら、それはあくまで他人事だったからです。あなたも周りのクリスチャンが「私は神を信じてこんな奇跡を体験した」とか、「有り余る祝福を受けました」と言うのを聞いたことがあると思います。でもそれらは、所詮他人事ですよね。私の人生と直接関係がないんです。
ですから、イエスに従って生きようと思わなくても当然です。ペテロも同じでした。イエスに不思議な力があることは分かっている。だからといって、この方に従って生きようとはまだ考えていなかったんです。

半信半疑だが言葉に従う決心をした段階

それでは、第2段階。半信半疑だがイエスの言葉に従う決心をしたということを考えます。
イエスは話し終わりました。ペテロは船で聞いていたと思いますが、魚が捕れなかったこともありこの日の話は心に入ってきませんでした。その時イエスがペテロに向かって言われたんです。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」
これはペテロには有り得ない言葉でした。だいたい今の今まで彼は漁をしていたんですよ。しかも1匹も捕れない。そのうえ太陽は高くなり、魚は湖深く潜ってしまったんです。捕れるわけがない。なぜ魚を捕りなさいと言うのか、無茶を言わないでください。そんな気持ちでしょう。だいたい私は疲れているんです。まあそれらの言葉をね、ぐっと飲み込み「お言葉ですから網は下ろします」と言ったんですね。ただ、下ろすだけですよという意味ではないかと思います。しかしその時、ペテロは経験したことのない重みを網に感じたんです。夥しい魚が網に入っていました。

信じて間違いのない方だと知る段階

3つ目を考えます。イエスは信じて間違いのない方だと知る段階です。
完全に信じていたわけではありません。はいはい、網は下ろします。それで満足ですよね。そんな気持ちだったかもしれません。魚が捕れるはずがないんです。漁はペテロの方が専門ですよ。半信半疑で下ろした網です。しかし、関係ないんですね。100%信じて網を下ろしても、50%信じて網を下ろしても、イエスの言葉に従い行動することには変わりはないんです。イエスの言葉に従った事実は同じなんですね。その時ペテロは初めて、自分の人生の中でイエスの力を体験したんです。これが彼の転機になりました。ペテロだけではなく、アンデレ、ヤコブ、ヨハネも同じでした。
大切なのは、信じる自分の力ではなく、信じる対象なんです。聖書にこのような言葉があります。「神はすべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでられます。」神はわからないように隠れておられる方ではないんです。私たちの誰もが神の力を自分の人生の中で味わえるように願っておられるんです。
しかしそれを体験するためには、リスクがあったとしても少しの勇気と従う決断があなたに求められるんですね。そして、その一歩があなたの人生を豊かなものに変えるのです。この決断をしていただきたいんです。心からおすすめしたいと思います。


使用CDジャケット
国分友里恵:ガリラヤ湖の不思議な人

今日のみことば
兵役についている人はだれも、日常生活のことに煩わされることはありません。ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。
(2テモテ2:4)