#1156 心の声を聞きとるイエス・キリスト

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日私はとても恐ろしい本を読みました。「地面師」という本です。これは他人の土地を勝手に売り飛ばす闇の詐欺集団のことです。立地の良い土地に目をつけて地主になりすまし、書類を偽造し、不動産業者や開発業者に土地を売り払い、莫大な金を受け取るのです。この詐欺にかかる業者は年間100件以上になります。三日に一回くらい数億円、数十億円の詐欺事件が起こっているというんです。
どうして不動産のプロがこんな詐欺集団に騙されるんでしょう。彼らを上回るプロだからです。そうです。騙しのプロ集団であるからです。全体のストーリーを描くリーダー、パスポートや免許証を偽造する印刷屋、振込口座を用意する銀行屋、そして、なりすまし屋。年恰好はもちろん、矛盾なく話ができるのかどうか、事前にリーダーが面接するそうです。そして捜査が自分たちに及ばないような人物を選ぶというのです。どういうことでしょう。地主役には認知症気味の老人を当てるというのです。そうすることで、地主役が捕まったとしても本人がその状態ではしゃべりようがないからです。
こうして本当の地主が知らない間に勝手に土地を転売し、警察が動いても、全体像が複雑で立件できないようなところにまで持っていくというのです。本当の所有者をこけにして、所有物を好き勝手して売りさばいて富を得ている集団。それがこの法治国家の日本でうようよしているということを知った時、私は怒りを禁じえませんでした。
ところで聖書は、すべての人が罪人であると言っています。なぜでしょう。すべての人はこの世界の本当のオーナーである神をいないことにして、創造主の持ち物であるこの世界を自分の好き勝手に利用しているからです。主権者、所有者、オーナーを無視して、その権利を踏みつけることが立派な犯罪であるとするなら、この世界の本当のオーナーである創造主なる神を無視するということもまた、罪だということができるのではないでしょうか。

悪人ザアカイ

ところで、他人の財産を悪知恵と権力でふんだくりながら、富を築いていた人物に対して、キリストが優しく声をかけるという事件が聖書の中に出てくるのです。事件が起きたのはエリコという町です。そこに一人の悪名高き取税人のかしら、ザアカイという人物がいました。
イエスが町に来ると聞いた彼は、一目イエスを見たいと思って、いちじく桑の木に登り、上からじっと見ていたのです。というのは彼は背が低かったため、そうでもしないとイエスの姿を見ることができなかったからです。町は時の人であったイエスを迎えて大騒ぎでした。しかしイエスは人々の歓声を素通りしながら、ザアカイの登った木の下にまで来て立ち止まられたのです。
聖書はこう語っています。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。ザアカイ 、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。

ここから三つのポイントでイエス・キリストとはどういう方なのかということをお伝えしましょう。

名前で呼びかけられた

第一にイエスは、ザアカイ、と名前で呼びかけになられました。
二人は初対面です。にもかかわらずイエスはザアカイの個人名をご存じでした。イエスは彼を、取税人のかしらよ、と職業の名前で呼びませんでした。また、不正蓄財でお金持ちになった人よ、と皮肉ることもありませんでした。イエスがご覧になったのは、彼のしてきたことでもなければ、彼が積み上げてきたものでもない、彼自身だったのです。一人の人格、神に愛されている人として、ザアカイをご覧になったのです。

急いで降りて来なさい

第二に、急いで降りて来なさい、と言われました。
彼がいたのは、葉の生い茂るいちじく桑の木の枝です。今でもこのエリコに参りますと、いちじく桑の木があちことに植えられています。成長すると大木になるんですね。その葉が実に密に生えているのです。なのでこの枝にいると、自分からは周りが見えるのですが、周りからは身を隠すことができるのです。しかしイエスは、そこから急いで降りて来なさい、と言われたのです。
ところで聖書をみると、罪を犯してやましい気持ちになった人間が一番最初にしたことについて記録されています。その初めの人間アダムとエバは罪を犯した時、木の間に身を隠したのです。木の茂みにいるということは、身を隠すということです。身を隠すのはやましく、恥ずかしく、うしろめたいからです。実に羞恥心は正しい人の前に出ることをためらわせるのです。とても受け入れてもらえるとは思えないからです。
しかしそんなザアカイにイエス・キリストは言われました。急いで降りてきなさい。その意味は隠れなくてもよい、恐れなくてもいい、そのままのあなたでわたしのところに来なさいと、招かれたのです。

客として泊まる

第三にキリストが言われたことばはこれです。
わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。
聖書をみると、最も名誉なことの一つ、それは旅人が客となって泊まってくれるということなのです。なので客人を迎えた人はどんなことがあってもそのお客さんを守るんです。また客人はどんなことがあっても守ってくれる人だと信用して、そこに宿をとるのです。
客として泊まるとは、最大の信用表明であり、相手に対する賞賛の行為なのです。この名誉をイエス・キリストは札付きの悪人として有名であったザアカイにお与えになったのです。それは彼が人生の転機を心から願っていたからです。
確かに今までは罪を重ねる人生でした。しかしそういう生き方に嫌気がさしていました。そうでなければわざわざ木の枝に登ってイエスを見ようなどとはしなかったことでしょう。なんとしても救い主を一目でもいいから見たい、しかし「イエスさま」と声をかける勇気はとてもない。あまりにもひどい人生を生きてきたからです。
自分の心の中で葛藤があり、立ち往生している、でも本心は救ってもらいたい。そんな思いが彼にはあったでしょう。イエスはザアカイのその本心をしっかりと見抜いておられました。だからこそ、声をかけられたのです。

キリストは罪人を救うことを喜ばれる

ところで、スピルバーグという映画監督は「ハリーポッター」の映画化の時に監督としてオファーを受けたんです。しかし、断ってるんですね。なぜでしょう。誰がやってもヒット作になることがわかったからです。どんな監督がやっても感動作ですから、これは売れるとわかっている、そういう仕事はわくわくしないので受けないというのです。彼が受ける仕事とは、一見どうにもならん話を感動作にする、そのような仕事に自分はやりがいを感じて取り組むというのです。
神から離れて、どうにもならなくなったザアカイの人生は、人が見ればなんの魅力もないでしょうが、イエスにとっては目を離せない物語であったのです。このまま失望して滅びる人生にしたくないという思いが、イエス・キリストの中に突き上げてこられたのでしょう。
キリストは罪人を造り変え、赦し、救うことを何よりも喜びとする方なのです。
どうぞあなたも、ザアカイのようにイエス・キリストをご自分の心の家にお迎えください。
心からお勧めします。


使用CDジャケット
松本優香:イエスのもとに

今日のみことば
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
(ルカ19:5)