#1061 キリストに出会ったマタイ


メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。尼川匡志です。

某銀行のコマーシャルを見ました。60秒の短いものですが強く心に刺さりました。日本人のNBAプレーヤー、八村塁さんが出演されています。彼の13歳、17歳、18歳、それぞれの時のバスケットに対する熱い思いが、短いコメントの中に詰め込まれています。そして最後にキャッチコピーが流れるんです。このようなものです。「信じられないことは、信じることで生まれる。」
日本人がアメリカのプロバスケットチームで通用する、それはとても信じられないことでした。しかし、彼はそのことが実現すると信じたんです。そのことから始まったと言うんですね。「だから自分を信じろ!」これがこのコマーシャルに込められたメッセージだと思います。
私は一流のアスリートではありません。だから残念ながら彼のように自分を信じるということはとても出来ません。もしかしたら、多くの人もそうではないでしょうか。

聖書の神によって人生が変わった

私は自分がいかにあてにならない人間かをよく知っています。子供の頃、正月に、「今年は何々をしよう」と心に決めました。たいていのことが三日坊主で終わってしまうんです。悲しいことです。大人になって、「もうこんなことは二度としない!」と心に強く誓うんですが、しかし、舌の根が乾かないうちに、その誓いを破ってしまうということが何度あったことか。ですから、間違っても「自分を信じる」などと私は言うことができません。
しかし、35年前、私は聖書の神に出会いました。そして、神を信じたんです。その時から人生が大きく変わり始めました。信じられない素晴らしい人生がスタートしたんです。私は新約聖書の第一番目の書、「マタイの福音書」がとても好きです。それは、この福音書を書いたマタイという人物に強く惹かれるからですね。
この人は福音書記者ですが、イエスに出会い信じる前まで取税人という仕事をしていました。当時最も嫌われた仕事です。彼の人生の転換点が聖書にしるされていますのでお読みしたいと思います。

イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。

三つのことを考えたいと思います。

キリストなしの価値観

一つ目は、マタイがイエスに出会う前の人生観です。
目に見えるものが全てであると彼は考えていたと思います。彼の人生の中に神という文字は恐らくなかったんではないか。もしあれば、取税人という仕事を彼は選択しなかったんです。マタイの人生の中心は神ではなくお金でした。だから、人から嫌われても儲かるこの仕事を彼は選んだんです。マタイがどんな人生を歩んできたのかはよく分かりません。恐らく、厳しい状況の中で成長してきたのではないかと思います。私は以前、新聞でこんなコラムを読みました。それは、人間は、物語や絵本を読んで悲しいとか、かわいそうとか、感じるというのは生まれつきの因子だけではないと言うんです。親の育て方、また環境、それらの要因によるんだと言うんですね。この児童心理学者の方が言われるには、子どもは親が悲しむ姿や感情に日々に触れながら学習していくと言うのです。感情もそうなら人生観や価値観も私たちの周りから受けることが大きいと思います。
マタイの親がどのような人だったのか分かりません。でも、人の感情よりも、思いよりも、お金に価値を置いていたのではないかと想像するんですね。そして、私たちが今生きている現代社会も、人の気持ちよりも目に見えるものに価値を見出しているのではないかと思うんです。その影響は私たちの考え方の中にも知らず知らずのうちに入って来てるんではないでしょうか。

イエスは近づいてくださった

二つ目、そんなマタイに、ある時、イエスが近づいて来られました。そして、「わたしについて来なさい」と言われたんです。
さて、私たちは人生のある時、突然、神が介入されてくることがあるんです。この番組を今聞いておられるあなたは、もしかするとその時なのかもしれません。しかし、神はずっと私たちの心を見続けておられたのです。私の心が満たされていないことや、悲しく傷ついていることも、不安を持っていることも、今トラブルを抱えていることさえも、実はご存知なんです。そして、私たちに近づいて来てくださるのです。神は人間の魂の造り主、私たちを愛し祝福の人生を与えたい方なんです。私たちがもし空しい人生を生きているなら、心から心配してくださり、その心に語りかけてくださるんです。「わたしについて来ないか。」私たちは一日先の未来さえも、いや5分先ですら分かりません。だから占いや運勢を信じます。それが何の根拠もないことが分かっていながら、それであるならキリストに従った方がどれほど幸いでしょうか。
マタイの人生にこの時何かが起こっていたのかそれは分かりません。トラブルを抱えていたのかもしれません。自分の人生はこれでいいのか、こんなことのために生まれてきたのか、そんな心の状態であったのかも分かりません。しかし、マタイには悩みを打ち明ける友も、相談する人もいなかったんです。自業自得なのかもしれませんが、そんな時イエスは彼に近付いて声をかけてくださったんです。軽蔑するのでもなく、叱責するのでもなく、あなたの人生をわたしに任せないか。心痛む人間にとって、自分のことを受け入れてくれる人の言葉は分かります。イエスは誰からも愛されていないマタイを心から愛し、受け入れ、そして声をかけてくださったんですね。意味のある人生を歩いて欲しいからです。

マタイという名前の意味

三つ目です。マタイという名前の意味を考えます。
マタイとは「神の賜物、プレゼント」という意味です。取税人は、当時ユダヤ社会から除外されていました。殺人者や姦淫するものと同列に嫌悪されていたのです。この仕事を彼は自分で選択しました。そんなマタイを、イエスは、最も愛する弟子の一人として召されんですね。マタイが福音書を書く時、イエスの力ある奇跡をまとめて記している箇所があります。自分がイエスに見出されたこの記事を記しているんです。つまり、この出会いは神の奇跡であり、神からのプレゼントなんだという思いを持っていたからに違いありません。私はマタイに惹かれます。それは、このマタイと同じ思いを持っているからです。そして、キリストは今あなたの心をじっと見つめ「わたしについて来ないか」と言われているのです。ぜひこのキリストを信じてください。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
Migiwa:愛するものは主のもとに

今日のみことば
イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。
(マタイ9:9)