ごきげんいかがですか。那須清志です。
先日、新聞の見出しに『アマゾン火災』とありました。
私はAmazonの会社倉庫が家事か?と思ったのですがそうではありません。南米アマゾンのジャグルで大規模な火災が発生していることを伝えていたのです。
昔、アマゾンと言えばジャングルをすぐ思い浮かべていたのですが、いつの間にかアマゾンは大手ネット通販会社のことと反応するようになっていました。
一時期はアマゾンと言えば仮面ライダーアマゾンを思い浮かべていました。年代が割れますね。
このようにある言葉を聞いた時、思い浮かべるイメージは変わることがあるのです。
聖書に書かれてある神についても当てはまります。聖書が語る神は天地万物の創造主です。あなたの魂を生み出した魂の親なる方です。木や石でできた偶像でもありません。
その神がどのような思い、性質を持っているかを明かにしているのが聖書です。
次のような聖書の言葉があります。
主よあなたがもし不義に目を留められるなら主よだれが御前に立てるでしょう。
しかしあなたが赦してくださるゆえにあなたは人に恐れられます。
この言葉から聖書が紹介する神について考えていきましょう。
神は聖く正しい方
第1に、神は義なる創造主です。
すべてのものを造られた方と同時に、悪いこと、不完全なこと、罪を決して有耶無耶にはせず、正しい裁きをなさる方であるということです。
以前、アメリカの大企業アップルの本社に勤めるエンジニアと会い、大阪を少し案内しました。
彼は何に驚いたと思いますか? 地下鉄です。この地下鉄を戦前に作る技術を持ち、時間に正確な運行システムを作れる日本人はすごい!と言っていました。
分刻み、秒刻みのシステムを作るというのは、日本人の気質の現れの一つと思います。“街がきれい”とか“清潔に保たれている”という特徴も日本人の持つ性質・気質がもたらしたものだと思います。
さて、聖書が語る神は驚くべき技術を持ち、この天地万物を維持、運営するシステムを造られた方です。そして同時に正義なる方です。
悪を許すことができません。聖書の中で“あるべき状態ではない” “弱さに捕らえられている”と何度も指摘しています。
しかし、それは人間が憎いからではありません。あなたのことが気がかりだからです。
このまま神から離れて罪の中で滅びていくことを、神は性質上耐えられないのです。
聖く正しい方であるがゆえに人間の罪を嫌われますが、人間のことを愛しているので、関係を回復したいと願っておられます。神はそういうご性質の方なのです。
イエスの死はあなたのため
第2に、神はあなたの赦しを願っておられます。
残念ながら神の御前に私たちは不完全です。神を知り、自分を知れば知るほど神の御前に立てないと痛感します。
しかし、赦されるチャンスが訪れました。それは神の方で救いを用意されたからです。
以前、ドキッとするようなタイトルの映画がありました。ズバリ、『バカは死ななきゃ治らない』という映画です。
映画自体は恋愛コメディで、人間の不思議、愚かさ、滑稽さを皮肉るように付けたタイトルと思います。
この言い回しの意味を実用日本語表現辞典では次のように説明しています。愚かであるという性質は直そうとしても治しようがない、バカ者でであることは手の施しようがないなどの意味の表現だと。
ある意味で人間の愚かさは死ぬまで治らない。しかし、それでは遅いのです。罪の中で死んでしまったら後は裁きを待つだけです。
ですから、神は救いの道を用意されました。手の施しようのなくなった人間のために、神が手を施されたのです。
それは、罪を犯した人が死ぬのではなく、身代わりに救い主が死ぬというものです。
その救い主こそイエス・キリストです。これがイエス・キリストの十字架の死の意味です。イエスの死はあなたのためでした。
イエスが死ぬことによってあなたを治そうと神は救いの計画を実行に移してくださったのです。
イエスは十字架上で苦しまれた
7月に起こった京都アニメーション放火事件は多くの人々に衝撃を与えました。
犯人に対する憤りと亡くなった方々への哀悼の念に胸を締めつけられた方も多いことでしょう。
私は一つのインタビューが強く心に残りました。ある犠牲者のお父さんの言葉で次のようなものです。
「一つだけ安心したのが娘の死んだ状況ですね。話によるとまず煙が来て窒息ですね。一酸化炭素、酸欠状態であっという間に意識は無くなってたと。遺体は焼失してしてるんですけれどその時点で意識は無くなって、その後で焼けたという話を聞いた。焼けて苦しむということがなかったということです。」
これは父親しか言うことが許されない言葉だと思います。また、父親しか言えない言葉だと思います。
亡くなった娘さんが最期の激しい痛み、苦しみを経験せずに逝ったことを知って安心したと言われているのです。
死だけでも受け止められないのに、その上苦しんだと知ればその悲しみはさらに深くなったことでしょう。
実は、神もかつて私たちのためにひとり子イエスを十字架の上で失ないました。この地上で完全な生涯を送られ、人々に良きものだけを残した方が、最後は十字架の上で死なれたのです。それも想像を絶する苦しみを味わいながら。
神の約束通り全人類の罪の刑罰を身代わりに受けられました。人が受けるべきすべての悲しみ、すべての苦しみをすべて受けてくださいました。
このイエスの死によって私たちは治るのです。罪、赦されるのです。
神とともに歩む
第3に、神はあなたとの歩みを願っています。神の救いの道は開かれました。
イエスを信頼する者は新しいいのちを得て、この地上ばかりでなく永遠に神の御前に立つことができます。その証拠としてイエスは死後三日目によみがえられました。
イエスは天に帰られましたが、今も生きておられ私たちと共に歩むことを願っておられます。魂の親と健全な関係の中で永遠に向かって歩むのです。
今の車の多くは鍵は使わないでドアのロックを外し、エンジンをボタンで始動させます。
一昔前はリモコンのボタンを押して鍵を開けました。今は更に進歩して小さなリモコンのような鍵をポケットに入れておけば、取手に触れば鍵が開きドアを開けることができます。
一般にスマートキーと言われますが、日本語に訳すと『賢い鍵』ですね。初めてそれを使った時は驚きでした。
しばらくして、さあドアを開けようとしても開かないのです。それもそのはずスマートキーを次に運転する友人に渡していたのでした。]
いつの間にか自分はいつでもドアの鍵を開けることができると勘違いしていたのです。私が鍵を開けることができたのはポケットにスマートキーが入っていたからです。
神と共に歩むということも少し似ています。私たち自身から力がですのではありません。力が出たとしてもそれは神からです。
共に歩んでくださる救い主は完全で素晴らしい方なので、その方のそばにいる時に素晴らしい人生を経験できるのです。
世界中でこの生ける救い主イエス・キリストを信頼していく人がいます。恐怖で従っているのではありません。
神を神として崇め、恐れ敬い、赦しを与えてくださる神を喜びつつ歩んでいるのです。
あなたも『スマートキー』ならぬ『スマート救い主イエス・キリスト』を信頼し歩み出されることを心からお勧めいたします。
しかしあなたが赦してくださるゆえにあなたは人に恐れられます。
(詩篇130:3-4)