#1157 理解と信仰

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。三綿直人です。

私が、かつて勤めていた会社のトップは孫正義という方でした。彼が、大好きな歴史上の偉人と言えば、坂本龍馬であることは有名ですね。さらに経営者として尊敬している方は、藤田田だということも公言し、社外取締役も依頼して受けていただいていました。
この藤田田という方は、日本マクドナルドの創業者、トイザらスを日本に招き入れた方として有名ですね。今、皆さんが、マクドナルドを食べられるのも藤田田さんがいたからです。
この藤田さんがマクドナルドを始める前、藤田商店という小さな商社を営んでいました。敗戦から日本全体が立ち上がり、復興を目指しているときのことです。アメリカの某企業からトランジスタラジオ3千台の注文が入るんです。大口契約ですね。いよいよ納品という時、何と一方的にキャンセルの連絡が入るんです。商品はいらないので、代金も支払わない、という通達でした。多くの日本企業が、アメリカの企業には文句が言えなかったその時代、藤田田さんはある画期的な方法で注文キャンセルを撤回させるんですね。どうしたと思いますか?何と、アメリカ大統領、ケネディに手紙を書くという究極のチクリ作戦だったんです。
「民主主義貿易の擁護者、アメリカ国民の代表」という風に持ち上げ、「某社の行いは、アメリカでは普通のことかもしれませんが、他国にとっては損害を発生させている迷惑千万。お忙しいとは存じますが、某社に電話をかけ、一言言ってもらえませんか?」という内容だったそうです。
一か月後、駐日アメリカ大使から呼び出しを受けます。アメリカ大統領から伝言を預かっていると言うんですね。その伝言は「お望み通り、某社に一言言っておいた。」粋ですねー。事務所に戻りますと、「トランジスタラジオ3千台、当初のお話通り注文します。キャンセルは撤回いたします。代金も早急にお支払いします」と注文したアメリカの企業から連絡が入ったそうです。

結果がわからないときに必要な信じる力

藤田田さんは、晩年ある雑誌のインタビューで、「どうしてそんなにいろんなことに挑戦出来たんですか?」と聞かれ、「母親の影響が大きいです。母は私に一番大切な力を育んでくれました」と答えたんですね。インタビュアーが聞きます。「一番大切な力って何ですか?」「信じる力です。」と答えたんです。藤田田さんは、アメリカ大統領がどのような反応をするか分かっていたので手紙を書いたのではありません。大統領を信じたんですね。
結果が分かっていることをやったら、信じているということにはならないんです。結果が分からないとき、挑戦するために必要なことは、信じる力なんです。ですから、人生を豊かにする力とは、信じる力であると言えるでしょう。そして聖書が最も大切なこととして私たちに教えているのは、キリストを信じるということなんです。
今日は、キリストの弟子でありながら、キリストが復活したことを信じられなかったトマスという人にスポットを当てて、信じない人であったトマスが、どのように信じる人になったか、三つのポイントでお話したいと思います。

信じない期間も大切にしてくださる

一つ目のポイントは、信じない期間を大切にしてくださるキリストということです。
トマスという12弟子の一人は、キリストが復活して、他の10人の弟子たちに現れた日曜日、一緒にいませんでした。なので、他の弟子が、「キリストが復活された!」と狂喜乱舞、心躍ってトマスに報告してくれるんですが、かたくなに「俺は信じない、別人ではないか、俺は自分のこの目で見て、両手の釘跡に自分の指を入れ、わき腹に手を当てて確認しなければ信じない」と言ったんです。
もし私がキリストだったら、トマスにすぐに翌日にでも現れて「何で信じないんだ」と言うかもしれません。しかし、キリストが再び現れたのは、8日後だったんです。8日間トマスは、疑い、惑い、信じたい、でも信じられないという期間を過ごしました。
実は私は、先日コロナに感染し10日間自宅療養しなければなりませんでした。10日間ってとっても長いです。私は、トマスが信じられないで悩んでいる期間を、キリストは敢えて与えたんだなあと思っています。
今は、何でもインスタントに物事が進む時代です。でも、大切なことは悩み考えることではないでしょうか。もし今、キリストを信じたいんだけど信じられないという方がおられたら覚えておいてください。キリストはその信じられない期間も大切にしてくださっているということを。

信じることは疑いを含む

二つ目のポイントは、信じることは疑いを含んでいるということです。
ある人がなかなか信じられない理由を教えてくれました。それは、「まだまだ私の聖書理解が浅いと思う。もっと聖書が理解出来たら信じられるだろう」と言うんです。信じることと理解することは違います。理解することを一番大切にしたら私は罠にはまると思います。なぜなら、私たちは、聖書に書かれている全てのことを理解できないからです。でも、信じるというのは全部分からなくても、ある意味疑いが含まれていても、それでも信じることは出来るんです。
若い頃の私も、信じるためには理解することが一番大切だと思っていた時期がありました。しかし、今は少し違う考えを持っています。まず、全部理解できないということが分かってきました。そして、理解の先に信じるということを置くと、結局信じられないことになるということも分かってきました。なので、理解できなくても信じる。いや、全部理解できないからこそ信じるということが大切なんだなあと考えています。
私は結婚して15年になります。「妻を理解できていますか?」と聞かれたら、人が人の心を全部理解することは難しいと答えざるを得ません。でも、15年かけて妻を信じる思いは確実に育まれていると言うことができます。キリストを信じるということは、理解の先にあるのではなく、分からないこと、疑っていること、迷っていることを含みつつ信じるということが大切だとお伝えしたいのです。

信じるための仲間

三つ目のポイントは、信じるためには仲間が必要ということです。
娘が、この春、幼稚園に入園しました。その幼稚園では、亀飼ってるんですね。子どもたちは、亀に興味津々です。みんな亀に触りたいんですが、怖いんですね。ある子どもが勇気を出して亀の甲羅を触りました。そして、撫でながら「さらさらしてる!」と言ったんです。しかし、隣にいる子供は、とっても怖くて触れないんです。どうするのかなあと見ていると、なんと甲羅を触ってるお友達の手を撫でて「私はこれでカメさんに近付けた」と笑ってたんですね。心があったかくなりました。
トマスが信じられないとき、10人の仲間の弟子たちはトマスと一緒に過ごしました。キリストが再び現れたのは、トマスが一人でいる時ではなく、10人の仲間と一緒にいた時だったんです。仲間は、信じられないと言っているトマスを、見捨てず、諦めず、一緒にいました。そんなコミュニティにキリストは現れたんです。
教会は信じている人だけのものではありません。信じない人が、一緒に過ごすことができる場所です。そして、信じている人たちと一緒に、疑い、疑問をぶつけてみてほしいんです。そこにキリストが現れてくださいます。疑いは一人でいる時に、ひとりでに晴れるのではなく、信じる仲間と一緒にいる時に晴れるものだと思います。そして、トマスが、直接キリストに出会って「私の主、私の神」と喜びを持って告白したように、あなたも、私の神イエス・キリストと告白できるなら何と幸いでしょう。
理解の先の信じるではなく、信じるの先の理解と信じて一歩踏み出されることを心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
齋藤直江:鷲のように

今日のみことば
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
(ヨハネ20:27)