#1232 生きる勇気が湧く言葉―ゴスペル③

メッセンジャー似顔絵
みなさん、こんにちは。
実は私はサラリーマン時代、月に1週間出張があったんです。それで家を出る時に子どもたちに言いました。「お父さんがいないからといって夜更かしして、いつまでも遊んでいたらだめだよ。遅くとも9時半には寝るように。わかった?」「はーい!」上から小学5年、3年、1年です。
そして1週間の出張を終えて私が帰ったのは12時近い深夜でした。ところが玄関を開けると、次男が起きてるんですね。私は不機嫌になりました。「言いつけ守ってないじゃないか。遅くとも9時半には寝るようにと言っておいたのに。もうすぐ12時になろうとしてる。君は約束破ったのか。どうして約束守れないんだ」頭ごなしにしかりつけてしまったんですが、べそをかきながら彼がベッドに行きます。その後で妻と二人っきりになったときに「あなた、さっきのは良くない。あの子はね、1週間ちゃんと9時には寝ていました。だけど今日あなたが帰ってくるから、出迎えるために眠い目をこすって、眠たいのに起きて待っていたのよ。それなのに子どもの言い分も聞かずに、何でお父さんの言うことを、言うこと聞けないのかと言って頭ごなしに否定したけど、あれはあなた良くない。謝るべきだ」って言うんですよ。私もそうだと思いました。
ところがね、謝れないのよ。まあ僕はね営業マンでしたから、相当無理難題吹っ掛けてくるお客様に対してはね、ペコペコペコペコしてるんです。相当無理難題言ってくる上司に対してもペコペコペコペコ「僕が悪かったです」思ってなくても謝ったことありますが、どうして明らかに私が悪いのに子どもに「ごめんね」って言えないんだろう。まあひとつはね「あなたが悪い」って妻に言われたのでプライド傷ついたんですね。「お前に言われへんかったら言ってるわ!」みたいな。まあそんな、さもしい心、そしてねその日謝ることできなかったんです。
次の日「ごめんね」というふうに謝ったら、「赦します」って言われたんですね。だけどこう思いました。もし悪かった時に素直に謝る心があり、耳の痛いアドバイスでも素直に聞くことができる耳を持ち、人の欠点に対してはほとんど盲目で、良い点ばっかり見えるようなそんな眼差しの持ち主になり、そして不機嫌な人に対しても不機嫌が乗り移ってくるのではなく、親切に対応することが出来たら、世の中もっともっとスムーズに生きやすくなるに違いない。だけどこうなったらいいのになあと頭では分かるけど、それをする力がないのです。

宮沢賢治と万引き少年

ところで私は、日本の作家の中では宮沢賢治が好きですね。まあ彼の話の中で一つよく思い出すエピソードがあるんです。
実は、宮沢賢治は25歳の時に、岩手県の花巻農業高校、まあ花巻農学校ですね当時は。その農学校の先生になる。25歳ですから、まだお兄ちゃんですよ。すぐに学校のある村の子どもたちとも仲良しになります。童話作家ですから子どもの心を持っていますよね。色んな子どもたちが彼になついてくれるんですが、特になついてくれる子どもの中にひとり問題児がいました。万引きの常習犯がおったんです。
何か物がなくなると、まず彼が取ったに違いない。やっぱりそうなんです。貧しい家の少年でね、隙あらば人の物をくすねてしまうということです。賢治は彼のことを憂いました。このままいったらこの子は不幸になる。それでいろんな先生が入れ替わり立ち代わり彼をせっかんしたり、しかりつけて、怒鳴りつけて、色々やるんですが、一向に万引き癖が治んないんですね。
ある時、宮沢賢治が職場から家に戻ってる最中にね、例の少年が、他人の畑の中に勝手に入り込んで、大根を引き抜こうとしているところに出くわすんです。その瞬間、少年は宮沢賢治に見つかったということが分かるんですね。そして、二人は目と目が合うんですが、置物のように固まってしまったそうです。お互い目をそらさずに、じーっと互いに互いのことを見てるんです。一言もしゃべらないで沈黙の時間が1分、2分、3分。やがて少年は大根をそのままにして、まっすぐ賢治の方を向き直るとね、深々と礼をして、いい顔になって帰って行ったっていうんです。
宮沢賢治はそれを生涯の思い出として記録しています。僕は初め、これを読んだときに何を言ってんだろうってよく分かんなかった。皆さんいかがですか。一番見られたくないところを、一番見られたくない人に見られたら、皆さんだったらどうしますか。私だったら隠れるんじゃないか。あるいは逃げ出すんじゃないか。あるいは言い訳するんじゃないか。「これには事情があってね」とか言って口から出まかせの何か言い訳をして、弁解をして取り繕うとするんじゃないか。

罪はイエス・キリストによって解決済み

ところが、この少年は礼を言ったのです。なぜだろう。おそらく自分の生涯の中で、罪の現場を見ながら自分を決して見捨てない人を初めて見たんです。どんなにがっかりさせても自分を見捨てない、諦めない人を見たんですね。どんなに残念な自分を見せても、それでも自分が良くなってくれることを願ってくれてる人、どんなにひどい自分を見せてもその人との関係が切れないということを確信できると、そういう人に対しては、言い訳したり、取り繕ったりする必要がなくなるんです。
その時賢治はね、ずうっと新約聖書を読んでたんですね。おそらくイエス・キリストのことがよぎったのかもしれません。ちょうど宮沢賢治がこの子のことを憂いた理由というのは、このままいったら暗い絶望の未来しか待ってないということが見えたからです。
同じように皆さん、キリストは、もし創造主という究極に良い方から離れた人生をそのままいくなら、永遠の絶望の世界にいくということが見えていたので、この永遠の絶望というゴールを変えるために、この世界に来てくださいました。自分の過去に帰ったり、自分のしでかした様々なことを思い返すと、なんというひどいことをしてきたのだと、私も悲しい思い出がたくさんあるんですが、しかし、それらの全ての罪は、イエス・キリストの十字架によって全部解決済みだというのです。
皆さんいかがでしょうか。あなたが救われるのに必要なこと全部やり遂げて、救いを完成しておられます。ぜひこのイエス・キリストを信じ、永遠のいのちに与ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:帰ろう

今日のみことば
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(1ヨハネ4:10)