#1231 生きる勇気が湧く言葉―ゴスペル②

メッセンジャー似顔絵
みなさん、こんにちは。
今から5年ほど前、私は群馬県の高崎という所で聖書の講演会をいたしました。そうしましたら、国際結婚したカップルがやって来ましてね、ちょっと質問したいと言うんです。
御主人は日本人で、奥様はベトナム人の女性です。実は結婚して間もなかったときに、ご主人の肝臓の値がずいぶんひどくなって、全身に黄疸ができてまっ黄っ黄になってね、緊急入院で10日間ほど病院に入院したそうですが、そのときつい「もう僕だめかもしれない」て、弱音を吐いたんです。そしたら彼女が「いいえ、大丈夫。あなたは大丈夫。だってmade in japanだもの」 「自動車でも洗濯機でも、日本製っていうのはつぶれないの。あなた日本製だから大丈夫よ」ってね。すごい励まし方ですね。でもそれがきっかけで良くなっていったって言うんですね。
日本でお生まれになったんでしょう。しかし日本の工場が造ったわけではない。いのちを造ることができるのは、いのちのルーツである神様だけです。私たちの造り主は、創造主なる神なんですね。

一番の罪は神から離れて生きること

お手元のプログラム用紙の裏表紙をご覧いただけるでしょうか、そこに聖書のことばが印刷されています。まずここをお読みいたしましょう。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

二行目、私たちの罪のために、ということばなんですね。実は皆さん、もし神様が私たちを最高傑作としてお造りになり、愛の対象としてお造りになったとするならば、どうして人間の世界にこうも不幸が絶えないのか。
こうやって話をしている間でも、ウクライナではたくさんの人間が死んでいるんではありませんか、ウクライナ戦争で。いや、地球の裏側まで行かなくても、この日本見ていても、ドメスティックバイオレンスがあったり、いじめがあったり、オレオレ詐欺があったり、様々なひどい話がいくらでも出てきますよね。もし神様が人間を最高の作品としてお造りになったとするなら、どうして人間って獣の世界にもないような醜いことやらかすんだろうか。聖書はこう言っています。「私たちの罪のせいだ」
実はここで言っている「罪」というのは、特定の犯罪のことを言っていません。バイブルが語っている一番根本的な罪とは、神から離れて生きるということなのです。自分の創造主との関係を断ち切って、「創造主なんか関係ない」という人生観で生きることを、バイブルは「罪」だと語っているんですね。

父なる神は最も良い方

私の好きなアメリカ人の作家に、ヘミングウェイという人がいます。彼はノーベル賞を取るんですよ。ノーベル賞を取りますとね、途端にあっちこっちから「うちで講演してくれ、うちでも話をしてくれ」ということで、彼は一挙に引っ張りだこになるんですが、いろんなところに招かれて、彼が何度も何度も繰り返し語った一つのエピソードがあるんですね。彼のお気に入りのエピソードなんです。
実はスペインのある田舎町で、一人の少年が父親と大喧嘩をします。「父さんなんか嫌いだ!僕は自由になりたい」と言って、まぁひどい言葉を吐きながら彼は出て行くんですが、マドリードという町まで行っちゃう。しかし心配した父親がマドリードまで捜しに行くんですが、あまりにも町が大きすぎて、どうやって見つけていいかよくわからない。そこで新聞に三行広告を載せるんですよね。「パコ、全部赦してる。次の金曜日の午後1時、アストリアホテルの玄関前で会おう。父より」このパコというのは、スペインではよくある男の子の名前なんだそうです。うちの息子があの新聞記事見てくれたらいいのにな、と願いながら金曜日の1時にホテルの前に行った。そしたらね、800人のパコがおったというんですよ。マドリードだけで、800人の親子断絶状態の少年がいるのか。まぁ、ヘミングウェイこの話好きです。
ところで皆さん、父との関係が切れたらどうなりますか。父の持ってる良きものを、受け取ることができなくなるのです。父のそばにいてる自分の母も、父の持ち物である家も、おいしい料理も、また多くの財産も、車も。父との関係が切れてしまったら、父の持っている良きものを、受け取り損ねてしまうのですね。
まぁ、この地上のお父さんの中には、ひどい父親もいます。しかし皆さん、聖書が語っているあなたの父なる神は、良い方です。覚えてください。神は、良い方です。最も良い方は神です。最も良い方からは、良いことしか出て来ないのです。私たちが正しく生きる力も、人を愛する愛も、良く生きようとする志も、良い方から来るのですが、その神から離れた結果、私たちは正しく生きたいと思っていても、なかなかそれをする力が無くなってしまったんですね。

不幸の由来は神との関係が切れていること

ある方がこんなことを言ってましたね。意志です。「意志が濁ると意地になる。口が濁ると愚痴になる。徳が濁ると毒になる」ってね。良いものも濁ってしまうと台無しになってしまうんだ、と言うのですが、では濁るとはどういうことでしょう。辞書にこう書いてありました。「透明なものの中に、光をさえぎるものが混じり込むことによって、透明でなくなってしまうこと」これが濁るということなのです。
実は神が最初の人間をお造りになったとき、罪を持つ人間としてお造りにはならなかったんです。透明な、罪がどこにもない、良い心でした。しかし最初の人間が、創造主に反逆することによって、罪が心の中に入って、そして正しく生きたいと思いながらもそれをすることができない。ちょうど落ちぶれた貴族のように、尊い存在として造られていたという記憶があるのに、今は落ちぶれてしまって、それにふさわしい生き方ができなくなってしまったというんです。
なぜ、人は不幸が絶えないのか、神のせいではありません。最も素晴らしい方から、離れているからだ。神との関係が切れているからだ。だからこそこの罪の問題を解決するために、神は救い主イエス・キリストという方を私たちに遣わしてくださった。あなたのために、人となられた神、イエス・キリストは救いを完成しておられます。
ぜひこのイエス・キリストを信じ、永遠のいのちにあずかってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
Migiwa:アメイジンググレイス

今日のみことば
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
(1ヨハネ4:10)