#1254 人生の平安はキリストの門から

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日、マナー教室の講師をなさってる方がプレゼント選びのコツを伝授してくださいました。一言で言うと「もらった人が誰かに話したくなるようなものを選ぶのが良い」って言うんですね。そういうと高価なものをつい連想してしまいますね。しかし、少ない予算でも最高のものをプレゼントすることはできるとおっしゃるんです。
例えば二千円の予算の時には一足二千円の靴下はどうでしょう。今は四足千円でも売ってる靴下ですが、だからこそ一足二千円だと値打ちがありますね。千円の予算ではどうでしょう。一切れ千円のショートケーキなんかかなりの一品になります。要するに、日常生活で使うものでワンランク上のものを選ぶと、もらった人は誰かに話したくなるだろうって言うんですね。
ところで私はこのラジオ番組でずっとイエス・キリストについてお話しして来ました。それはキリストが私にとって誰かに話したくなるような神からのプレゼントであられるからです。この世界を造り、歴史を支配し、人生を導く全能の神は私たちのために最も高価なプレゼント、そして私たちが最も必要とするプレゼントを贈ってくださったのです。そのプレゼントこそはイエス・キリスト、その人なのです。
ある時キリストはおっしゃいました。

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。

いつものように三つのポイントで今日も聖書のメッセージをお伝えいたしましょう。

死のさばきから救われる

第一に、イエス・キリストという門をくぐるならその人は罪の結果である死のさばきから救われます。キリストという門を通るとは、キリストを個人的に救い主として信じるということです。罪からの解放はキリストを信じ受け入れることでもたらされるんです。
アメリカに50歳を過ぎた男性で、ロバート・ザルツマンという人がいます。彼は元囚人でした。悲惨な子ども時代を過ごした彼は成人になってからも犯罪を繰り返し、刑を受けるたんびに懲役期間が長くなっていきます。そして大人になってからのほとんどの時間を刑務所の中で過ごしてきたんですね。ところが21世紀元年の2001年、彼は遂に出所を果たしたのです。しかし自分が刑務所にいた間に世の中はすっかり変わっていました。見たことがないIT機器が巷に溢れています。まるで浦島太郎のような状態です。それに何より自由な社会はかえってストレスが多かったんですね。と言うのは一日3度の食事を自分で確保しなければなりません。月末になると家賃の支払いが心配です。彼は自由な社会の中で、自由が悩みとなりました。人生の展望が開けて来ないからです。
ところが出所して10年目、ニューヨークの地下鉄で彼は運命的な出会いを経験するんです。ラシャード・アーネスト・グリーンという映画監督に声をかけられたんですね。当時ラシャード監督は刑務所を舞台にした映画を撮ろうとしていました。そのために一目見て誰もが凶暴に見える人相の俳優を探していたのですが、なかなか見当たらなかったのです。ロバートは監督の目にハマリ役の顔つきをしていましたので、「君、オーディションを受けてみたらどうか」と強く勧めたんですね。そして彼は見事主役に抜擢されたというのです。
撮影現場はロードアイランドにある本物の刑務所です。ロバートにとっては何十年も慣れ親しんできた環境です。彼は自分の出番が来るまで独房のベッドに横になりながらセリフの練習をしていましたが、そのうちついうとうとと眠ってしまったのです。そして、目が覚め見慣れた天井が飛び込んできたときパニックに襲われてしまったのです。頭ではもう出所していて、ここにいなくても良いと分かるのですが、生々しい記憶がフラッシュバックしてしまい、体が金縛りになり、彼は嗚咽し始めたんですね。しかし、もう一度冷静になって自分に言い聞かせたそうです。「何も恐れなくてもいい、このドアを押して門をくぐれば俺はビッグチャンスをもらった人生に復帰できるんだ。ただこの門を一歩外に踏み出せば、監督がくれた新しい人生が始まるんだ」
たとえあなたが今、過去の失敗や罪によって打ちのめされていたとしても、キリストというあなたの人生の監督は、あなたに罪の赦しと永遠のいのちを与えることがおできになります。なぜならキリストは、あなたのすべての罪の責任を担って、あの十字架の上で死んでくださったからです。そして死後三日目に復活して人生に革命を起こしてくださる方、その方がイエス・キリストなのです。

平安な人生が約束される

第二に、キリストの門をくぐるものは平安な人生の出入りが約束されているということです。これは何のトラブルにも遭わないということではありません。どんなことがあったとしても、キリストがあなたの心を、たましいを守ってくださるという約束なのです。
先日私は、航空自衛隊の美保基地というところに見学に参りました。義理の父がかつてこの基地の中で予科練の訓練を受けていたため、父を偲ぶために赴いたのです。ところでこの自衛隊の基地の正門には、通常の守衛の他に門番の自衛官が真正面に立って、警戒の目を光らせていました。この自衛官の後ろは基地内の道路にバリケードが置かれて、ジグザグに走行しないと進めないようになっていました。門にはいくつか役割がありますが、その一つは外敵の侵入を防ぐ機能があるということです。
ひとたびキリストを信じた人の人生は、キリストが門番となって目を光らせて守ってくださるのです。無意味な災いや困難が襲ってくるということはありません。キリストの守りのもとで生きる人生が保証されているのです。重要人物にはSPが付きますが、キリストを信じる者にはキリストご自身が私的ガードマンとなって、あなたに寄り添って守ってくださると聖書は語るのです。

天国に至ることの確約

第三に、キリストの門をくぐる者の行く手には牧草があると言うのです。言い換えれば、キリストを信じた人の人生の未来には、その人の人格を養うものが無限に準備されているというのです。そして、最終的には永遠の天国に至ることが確約されているのです。この天国に入るための通行手形がイエス・キリストを信じるということなのです。キリストを救い主として信じる人は、キリストご自身がその人の身分を保証し、天国に至る資格となって、すぐ傍らについていてくださると言うのです。
どうぞあなたもイエス・キリストという門をくぐってください。ただ一 言「私のために死んでよみがえった救い主として、イエス・キリストを心に迎えます」と祈ってみてください。救われるのです。心からお勧めしたいと思います。


使用CDジャケット
Marico:川のような平安が

今日のみことば
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
(ヨハネ10:9)