#1133 インマヌエルのメッセージ

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

実は私は、高校受験当日、一時間目が始まる前に突如として猛烈な腹痛に襲われました。もう痛くて痛くてたまんないんですね。それで試験担当の教師に申し出ると、保健室に案内されたのです。対応してくださったのは生物担当の女性教師、橋本先生でした。保健の先生は別の生徒の対応をなさっていたのです。橋本先生は、脂汗を流して痛がっている私を心配しながら、あることをしてくださったんですね。何とあったかい紅茶を出してくれたんです。「実は、私も大学受験の時にお腹が痛くなったんだけど、魔法瓶にお母さんが入れてくれた紅茶を飲んで良くなったのよ」なんて言いながら、瀬戸物のティーカップに紅茶を入れて出してくれたんです。それをゆっくり飲んでるうちに、胃の痛みがすっかり消えたことには驚きました。
橋本先生は、高校三年の時の担任の先生になりました。理系コースの私は、この先生からいろいろ教わったんですが、正直授業で教わったことはすっかり忘れてしまいました。しかし、辛かった時に紅茶を出して励ましてくださったことは、今でもよく覚えているのです。
時間を超えていつまでも私たちを励まし続けるのは何でしょう。愛です。口先だけの愛ではなく行動となって現れた愛です。神は、私たち人間を愛されました。それをはっきりと示してるのがイエス・キリストの誕生、クリスマスの歴史的事実なのです。
今日はイエス・キリストの誕生についてご一緒に考えてみましょう。聖書に次のように書いてあります。

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

ここから三つのポイントで考えてみましょう。

キリストの誕生は約束の証

第一に、キリストの誕生は、神が預言者を通して約束されたことを守った証であるということです。キリストが来る前に書かれた聖書のことを旧約聖書といいます。そこには、キリスト到来の預言が約300カ所にわたって書かれています。つまり、旧約聖書とはキリストに関する予告編なんです。その予告通りの場所、予告通りの産まれ方、予告通りの家計の中に誕生した、この神の約束は、イエスの生涯においてことごとく守られた。それを証明した本が新約聖書なんですね。
ところで、私は先月、青森の弘前市に参りました。そこには私の尊敬する宣教師の夫人がいます。二年ぶりに再会し、ひとしきり挨拶を交わしました。その後で私の三人の子どもたちの安否を聞いてくださったのです。すでに成人している子どもたちです。そして、二年前にお願いしていた祈りのリクエストがすらすらと口をついて出てくるんです。そして「その後どうなりましたか?」と聞いてくださったんですね。この方が毎日祈ってくださってることが分かった時、私は本当に頭が下がりました。
祈りとは相手の姿が見えなくても、相手のことを思って、神の前に祈る祈りのことです。それは執り成しです。そのように、私たちのために、一生懸命祈っていてくださることを知ったとき、何とも言えない喜びがこみあげてきました。「あなたのために祈ります」という約束が、文字通り果たされていたからです。約束を守ってもらうことで、自分が大切にされているんだなあということがよく分かりました。同じように、神は約束を守ることであなたへの誠実を証ししておられるのです。

処女降誕は神による奇跡

第二に、キリストは、処女から生まれるという預言の通りに産まれてくださったということです。ある人は「そんな荒唐無稽なこと信じられないよ」と仰るんですね。気持ちは分かります。しかしこれは、全知全能の神による奇跡なのです。何でもお出来になる神が、一人の女性の体を用いてイエスをこの世におくられたのです。神がいるならば当然不可能なことではありません。
ところで無神論の立場に立つ場合、この処女降誕よりももっとすごい奇跡を信じなければならないということをご存知ですか。進化論によると、生命はもともと原始大気というメタンガスや、アンモニアガスが化学反応を起こして発生し、それが長ーい時間をかけて人間になったという説明になっています。つまり、人間というのは、ずーっともとをたどって行きますと、偶然、ガスから出来たと言ってるんです。
それを信じるのは処女降誕で産まれたということよりももっと無理があるのではないかと私自身は考えます。全知全能の神であるならば、女性の体を使い、処女の体を使って降誕することは不可能なことではないのです。

第2次世界大戦中のフランス

第三に、キリストは、インマヌエルの神であるということです。インマヌエルとは「神が人とともにおられる」という意味です。人間とともに生きることを示すために、神が人類歴史の中に降り立ったのだというのです。
ところで私は、今年見た映画の中で一番印象に残ったのは『沈黙のレジスタンス』という映画でした。これは実話を基にして作られた映画なのです。マルセル・マルソーという、パントマイムの巨匠の若き日々を描いたものです。実は彼は、フランスに生きるユダヤ人でした。第二次世界大戦中、ドイツではヒトラーが政権を握ると、国内のユダヤ人たちは次々と迫害の対象となります。そして、ドイツの国内でたくさんのユダヤ人孤児がうまれるんです。
その孤児たちは、ユダヤ人組織によってフランスに送られて難を逃れるのです。しかし、やがてフランスもナチスドイツに侵略され、併合され、占領されてしまうんです。フランスに逃げてきたユダヤ人孤児たちの世話をしたのが、フランスユダヤ人のレジスタンス組織だったんですが、マルセル・マルソーはそのメンバーだったんですね。

神がともにいてくださる

やがてナチスは、フランスに大きな力を振るうようになります。そして、フランス国内では、親ナチスの政権が誕生し、フランスのユダヤ人孤児たちも強制収容所に送られることが決定されるのです。どこにも逃げ場がなくなったこのユダヤ人のみなしごたちを助けるために極秘プロジェクトが始まったんです。それは、フランスの隣にある、永世中立国のスイスに、この子どもたちを亡命させるというプロジェクトです。しかし、通常の国境は、すでにナチスにコントロールされていたんです。そこで、マルセル・マルソーは、子どもたちにボーイスカウト、ガールスカウトの服を着させ、自分はそのリーダーになりすまし、ピクニックに行くように芝居を打って、フランス国外脱出をはかるんですね。
ところが途中、ドイツ併合エリアを通らなければなりません。電車の中にナチスのゲシュタポが乗り込んで、身元調査を始めるんです。ユダヤ人の孤児たちは、皆ゲシュタポに両親を殺されてるのを見てるんですね。だからその制服を見るだけで震え上がってしまうのです。しかし、すぐさま落ち着きを取り戻します。マルセル・マルソーがギューッと手を握ったり、ハグしたり、そして共にいて堂々とゲシュタポと渡り合うその対応を見たんですね。そして、とうとうスイスに脱出することが出来るのです。
共にいることは、勇気を与える最良の手段なのです。キリストは、死の世界から、永遠のいのちの天国にあなたを導くために来てくださった方です。そしてあなたが、この地上で歩む上において共にいて、あなたを励ますインマヌエルの神です。
どうぞあなたも、このイエス・キリストを信じてください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
向日かおり:インマヌエル

今日のみことば
このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
(マタイ1:22-23)