ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、9月に台風15号が襲来しました。特に千葉県では建物の被害が四万軒近くにも上り、なかでも停電によってたいへんご苦労されていると知りました。被災者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
ところでこのニュースとともに、気になる報道があったのです。実は千葉県では、県内13の防災倉庫に発電機を486台も備えていたのですが、そのうちの半分以上250台は倉庫に眠ったままだったというのです。
警察に貸し出されたのが210台で、市町村にレンタルしたのはたった6台だけです。みんなが停電で困っているのに、発電機が貸し出されないままに置かれていたというのは、申請がなかったからだっていうんですね。なんと勿体ない話ではありませんか。
どんなに良いものが備えられていても、それを使おうとしないなら、供えられていないのと同じことです。こんな残念な話はないです。
実はこれは聖書の語る「救い」についても言えるのです。神はあなたの人生に必要な、永遠のいのちという発電機を、無料で与えるために準備完了して、そしてあなたがそれを取りに来るのを待っておられるのです。
そしてこの永遠のいのちは、イエス・キリストを自分の救い主として信じる、すべての人に与えられるものなのです。
そこで今日、イエス・キリストについてご紹介いたしましょう。聖書は次のように書いています。
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の御使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリヤをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリヤは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。この方が、ご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
ここから三つのポイントでお話ししいたしましょう。
イエスは処女から生まれた
第一にイエス・キリストは、聖霊によって処女から生まれた神の御子です。
神が人となってこの世界に到来するため、処女マリヤのからだを用いて、人間として誕生したのです。
男女関係で生まれたのではありません。もしそうであるなら、両親の罪を受け継ぐ者となったでしょう。しかしイエスは、聖霊によってマリヤから生まれたので、人間とはなられましたが、全く罪のない方だったのです。
ずいぶん昔のことですが無神論を公言する方が、私の講演会に聞きに来られたことがありました。講演の後、個人的に質問に来られたのです。
「聖書はなかなか信じられないけど、特に処女から男の子が生まれた奇蹟だけはどうにも信じられない。男女の結合によらずに生命が生まれる、なんてことを信じるのは理性の放棄だ。」っておっしゃったんです。
そこで私は言いました。「あなただって、奇跡を信じるわたしと五十歩百歩ですよ。だってすべての生命体の始まりは、男女の結合ではなく、ある日突然アミノ酸が生命体に変化したって信じてるんでしょ。だれの働きかけも受けずに、ただの物質から生命体がひょっこり生まれたって信じてるんでしょ。神が世界を造ったって信じるより、何もないところから何かが急に現れて、その何かがひとりでに生命体に変わっていったということを信じる方が、信じにくいことだと思うんですけど。」
すると彼は言ったんですね、「高原さん、うまいこと言うな」。妙にほめられたんですが、あなたはいかがですか。
もしこの全宇宙、全世界を無からお造りになった神がおられるなら、処女のからだを使って救い主を誕生させることなど、いとも簡単なことに違いないのです。
どんな人も罪人
第二にイエス・キリストは、罪人のために来られた方です。
罪というのは創造主なる主から離れて、自己流に生きる人間の在り方を言うのです。神を無視して生きるっていうことが、罪なのです。
これもずいぶん前のことですが、ある方に頼まれて、その方のお父様のお見舞いに行ったことがあったのです。
すでにがんの末期でしたが、「自分には一生懸命生きてきたという自負がある、だから自分は罪人と言われるようなものではない」と娘さんに反発しておられたのです。
実際、すごい人格者の方で、彼の薫陶を受けた教え子たちは、アカデミックな世界で活躍してる方も少なくありませんでした。
リーダーシップがあり、頭が良くて、サクセスストーリーのど真ん中を歩んでこられた方でした。「それで自分のどこが罪なのか」とおっしゃるのです。
そこで私は聞いてみたのです。「Aさん、今までの人性で、後悔したことはありませんか。後悔ってどんな時に感じるんでしょう。なすべきことをしなかったり、してはいけないことをしてしまった時に感じる感情ではありませんか。」
「いやぁ、私は今まで正しいと思うことをしてきたつもりだし、正しくないと思うことをしてこなかったつもりだ。でも後悔はある。」
「どんな後悔ですか?」と訊くと、
「正しいと思ってやったことが間違っていた、間違いに気づかずに正しいと思い込んでいた、という後悔だ」とおっしゃるのです。
実は個人の人生では、サクセスストーリーでしたが、良かれと思って息子さんにしてきた教育が、息子さんをひどく追いつめたという経緯があったのです。
人は正しいと思ってやったことの中にも、神から見たら大きくずれている、ということがあるのです。なぜずれるのでしょう?人は神ではないからです。
神よりも自分を正しい知恵者と見立ててする判断は、本人として精いっぱい正しくても、ずれているということがままあるのです。
この創造主を除外する人生を、罪と言います。そして神を除外した人生の結末は死と、死後のさばきなのです。
罪の解決者イエス・キリスト
第三に、イエス・キリストは、罪とその結果から救ってくださる方です。
ところでサプリメントの日本最大手の企業にDHCという会社がありますね。取扱品目は370種類以上だそうです。
ほかにも美容、食品、アパレル、ホテル経営、出版、ヘリコプター介護など実に手広い商いを展開されている会社なんです。
しかし創業当初は、洋書の翻訳を行う会社でした。取引先は大学の研究室です。
世界中の学会で出版された本や、論文の翻訳をして届ける会社であったのです。なので、社名を「大学翻訳センター」としたのです。この頭文字がDHCなのです。
この会社に限らず、今は社名と活動内容が違っているということが少なくありませんね。しかし聖書では、名前はその本質を表すものなのです。
「その名をイエスとつけなさい」と神の使いは言いました。「イエス」とは直訳すると「主は救いです」という意味なのです。
神は、あなたの罪の結果からあなたを救うために、人となり、罪なき生涯を歩み、十字架にかかって身代わりの死を遂げ、墓に葬られ、そして三日目によみがえられたのです。
どうぞこのイエス・キリストを聖書に書かれている通りに信じ、受け入れてください。救われます。
マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
(マタイ1:20,21)