ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
先日、おかしなニュースを聞きました。漢字文化圏以外の国にいる若者たちの間で、漢字を体に刺青として彫り込むのが流行ってるっていうんですね。その中でも特に人気の漢字がなんと『汁』なのです。味噌汁の『汁』、粕汁の『汁』、墨汁の『汁』、さんずいへんに数字の十と書いて『汁』です。どうして『汁』の文字が人気なんでしょう。十字架から光が放たれているようなイメージであるからだというんですね。確かにそうも見えなくはないのですが、でも『汁』の意味を知る日本人が見たら随分滑稽なタトゥーに見えてしまいますよね。自分の勝手なイメージで誤解していると、とても残念な結果に終わることがあるんですね。ところで、多くの日本人は聖書について誤解しています。聖書は宗教の戒律の本だとか、あるいは西洋の道徳の本だとか、外国の格言程度に考えておられる方が案外多いですね。しかし、聖書は人間の哲学でも、格言でもなく、あなたをお造りになられた神のことばなのです。神が人を通して書かしめたメッセージ、聖書を通して私たちは創造主なる神を正確に理解することができるのです。
今日は神とはどのような方であられるのかを語っている箇所からご一緒に考えてみましょう。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
ここから3つのポイントでお話しいたしましょう。
神はあなたにいのちをえさせたいと願われる
第1に、神とはあなたにいのちを得させたいと願われている方です。今から5年ほど前に女優の樹木希林さんがガンで亡くなられました。亡くなる前、とても前向きに治療に取り組んでおられた方で、その姿勢に多くの方々が勇気をもらっていたのです。彼女が前向きに治療に取り組むことができたのには一つきっかけがあったそうです。2004年、彼女は定期検診で乳がんが見つかり、そして、手術を勧められます。しかし、その時ちょうどタイのプーケットで映画のロケを撮影することになっていました。ところがドクターによるとそんな悠長なことを言っている場合ではないというふうに言うのです。彼女はやむを得ずロケをキャンセルしたんですね。そして、いよいよ手術に臨もうとしていたその時、とんでもないニュースが入ってくるのです。スマトラ沖を震源地とするマグニチュード9.3の超大型地震が起きたんです。凄まじい津波がスマトラの周辺の島々に及びました。そして、タイではプーケット島が大きな被害を受けたのです。もし彼女達がそのままロケに出ていたら、この津波の被害をもろに被っていたことでしょう。つまり、生きて助かる可能性が少なかったのです。自分は死んでいてもおかしくなかったのに、乳がんの手術のおかげで命拾いしました。その時、何が起こるか分からないこの世界の中で、何者か大きな力が自分を生かしてくださったに違いないと考えるようになられたのです。大きな力が自分を生かしてくださっているなら、この手術を乗り越えることもできるに違いないと考えられたんですね。あなたにも今まで九死に一生を得るような経験があったのではないでしょうか。今、生きているということは自分の力で生きてきたということ以上に、あなたを造られた大きな存在である神様に生かされてきたということではないでしょうか。神はそのあなたに、今持っている死につつあるいのちではなく、永遠のいのちを得させたいと願っておられる方なのだと聖書は語るのです。
神は私たちの罪を解決された
第2に、神は私たちの罪を解決してくださった方だということです。罪とは、神によって生かされていることを忘れ、いや、神の存在そのものを忘れて、神などいないという人生観で生きることです。自分の力で自分を生かそうとすることです。今から20年ぐらい前に私は『アドレナリン』という映画を見ました。マフィアのボスに狙われている一人の男が、眠ってる間に毒物を注射されてしまうのです。その毒物は体からアドレナリンが一切出なくなる薬物で、これを外から取り入れないと一時間以内に死んでしまうという薬物なんです。そこで、彼はアドレナリンを含む薬物を乱暴な方法で病院から強奪し、しかも規定量を上回る量を摂取したために、猛烈に興奮しまくり、恐れ知らずになり、怖いもの知らずの無茶苦茶な行動に走って、敵を追跡して行くというそういう映画なんですね。リスナーの皆さんには全くお勧めしません。とにかく下品で、乱暴で、破滅的な映画です。しかし、私はそれを友人たちと見ながら、これこそ神から離れた人間の姿そのものではないかと思っていました。生きるためには違法なことをしてでも、誰かから奪い取らなければならないという人生観です。その結果、ますます破滅的に堕ちていくのです。そこには常に死に対する恐怖があります。死なずに済ますために、生きるために手段を選ばないのです。見ていてほとほと疲れました。必死に生きているというのは分かるのですが、まるで喜劇のような悲劇であったからです。人は生きているのではありません。創造主なる神に生かされているのです。そして、主人公がマフィアに毒を盛られたように、人間の体の中には罪という猛毒が宿っています。この神から離れた罪という猛毒のせいで、人は死ぬ者に成り果ててしまったというのです。
神は罪人を愛する神
第3に、神は罪人を愛する神です。愛するがゆえに罪人が自分で解決できない罪と死の問題を、人に代わって解決してくださいました。神はそのひとり子イエス・キリストをこの世に遣わし、この世が十字架につけたイエス・キリストを、あなたの身代わりにしてさばいてくださったのです。どんな罪も償いなしに赦しはあり得ません。しかし、人間には償う能力がないのです。そこでキリストがあなたの代わりに、あなたの罪の償いを自分のいのちをもってしてくださったのです。それが、キリストの十字架の意味です。しかも、キリストは死んでそのままではなく、死後三日目に復活なさいました。キリストはよみがえられたのです。今も生きておられる救い主です。
どうぞ、あなたもこのイエス・キリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めいたします。
(1ヨハネ4:9)