#1068 言語学が語る聖書の真実

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

ところでこの番組で使っている「新改訳聖書2017年版」は、2017年にそれまでの翻訳を大きく変えて、改めて翻訳し直した聖書です。どうして翻訳のやり直しをしたんでしょう。一つには日本語が時代とともに変化しているので、今までのことばづかいでは理解できない世代が登場するからなんです。
例えば「普通」ということばがあります。その意味は「いつでもどこにでもあって、珍しくないこと、あるいはその有様」。例えば、「梅雨に雨が降るのは普通のことです」という使い方ですね。また、ほかと比べて特に変わらないことを指す意味でもあるんです。「ごく普通の家庭に育った」というのがそういうような文章ですね。
ところが今の若者たちは、それとは違う意味で使うのです。それが「普通においしいです」です。もしあなたが腕によりをかけて作った料理を「普通においしいです」と言われたら、ちょっとがっかりしませんか?「まぁまぁです」と言われた感じ、「まずくないけどうまくもない」と言われたような気がしますね。しかし若者ことばで「普通」っていうのは、「お世辞抜きで」「本心から」という意味なのです。つまりリップサービスなしで「本当においしいです」と絶賛することば、それが「普通においしい」なんです。

言語の起源

ところで日本人はいつから日本語を話しているんでしょう。あるいは人類はいつからことばを使うようになったんでしょう。進化論によると、人間はサルの先祖から分かれ出て、人間になったと教えます。つまり人間の先祖は、初めからことばを話していたのではなく、動物のように合図のようなコミュニケーションだけを行っていたというのです。そこから少しずつことばを使い、やがて文法を編み出し、現在のように複雑なことを表現できるように進歩してきた、という説明です。
しかし聖書は、それと真逆のことを語っているのです。人は初めからことばを使ってコミュニケーションする者として造られました。初めの人間、アダムとエバは、ヘブライ語でコミュニケーションをしていました。この二人から生まれたたくさんの子孫も、当然ヘブライ語を話していたのです。家族ですから当然です。いま世界には、5千とも6千とも言われることばがあるそうですが、それは人類が団結して神に反逆した結果、神が人間のことばをバラバラに分けて、散らされた結果だというのです。聖書はこう語っています。

主が彼らをそこから彼らを地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえその町の名は、バベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。

はたして人間はことばを話す者として神によって造られ、その後ことばが分けられたんでしょうか。それとも進化論が言うように、動物の状態から進化して、少しずつことばを操ることができるようになって行ったんでしょうか。実は言語に注目してみると、進化論では絶対に説明のつかないことが出てくるんです。

言語の歴史は進化とは逆の過程

第一に文法歴史を見るとわかるということです。もし人類が大昔はサルのような存在で、少しずつ言語を身につけて行ったというのであれば、昔にさかのぼるほどに簡単でルーズなことばであったことになります。
ところが実際は逆のことが起こっていたのです。つまり昔のことばになればなるほど、文法は複雑精緻で入り組んだものであったのです。言語は時代とともに、より簡単によりシンプルなものへとレベルダウンしているのです。たとえば英語の聖書で、今から4百年前にキングジェームズ訳聖書というのが翻訳されましたが、今の英語圏の方にとっても非常に難解なものとなっています。現代英文法より、昔の英文法のほうが複雑だからです。さらに英語よりもラテン語の方が、はるかに難しいですね。ラテン語より6百年も古いギリシヤ語はさらに難しいです。
その数百年前に使われていたサンスクリット語になると、ほとんど信じがたいほどの複雑さ、文法を持っているのです。もし進化が真実であるなら、古いものほど単純な文法であるはずです。しかし実際には大昔の人ほど複雑な文法のことばを操っていたのです。

生まれながら言語能力を持っている

第二に、人間は他のあらゆる動物と違って、生まれながらに文法中枢を持っていると考えられるからです。
これはノーム・チョムスキーという言語学者が言い出したことです。彼によると人間には、はじめからことばを話す能力が備わっているので、ことばを使えるようになるというのです。子供が話せるようになるのは、耳から覚えるからだと思われています、一般的には。
しかし普通の家庭で子供が耳にすることばというのは、質的にも量的にも非常に不十分なものでしかないのです。親や兄弟たちが口にすることばには、言い間違いがしばしばあるでしょう。また最後まで言わず、途中で途切れた不完全な文がたくさん含まれているのです。しかもその言ことばの文法を確定させるのに、あらゆる場面を網羅するような例文が満遍なく語られているというのではないのです。
ところが子供は聞いたこともないような文章を正確に、しかも自由に、あるときから急に話せるようになるのです。オウム返しの模倣だけでは、そんなことができるとはとても考えられません。つまり周りのことばは限られているのに、完全な言語を獲得できる能力を持っているのです。
サルの子どもに何万時間、人間のことばをリスニングさせても、決して話せるようにはなりません。もともと言語中枢能力が脳の中に格納されていないからです。人が話せるようになるのは、話せるようになる普遍的文法能力が初めから脳の中にインストールされているからなのです。

はじめに言葉を話す存在が必要

第三に、どんなに生まれながらにして言語能力が備わっていたとしても、第一言語を口うつしで与えてくれる人がいないと、結局人は話せるようにはならないのです。
昔バングラデシュで、狼に育てられた姉妹が発見されました。彼女たちは話せませんでした。それは人間でありながら、人間に育てられなかったため、言語を入力する機会を失ってしまったからです。つまり人間が話せるのは、言語能力を持っているだけではダメなんです。その本人に先立って、言語を完全に話せる人がいるから、人は話せるようになるのです。
つまり人類がことばを使っているのは、最初からことばを話す能力が与えられているだけではなく、初めからことばを話せる人に、育てられたからなのです。つまり、もし初めにことばを話す人が存在していなければ、人は話すことはできないのです。今、世界中の文明の中で、ことばのない民族はどこにもありません。みんな話をするのです。
これは初めにことばを話せる人間アダムとエバを、神がお造りになったという事実をしっかりと裏付けるものなのです。このようにことばひとつ取っても、聖書は額面通り信ずるに値する神のことばなのです。
どうぞあなたも、この真実の神のことば、聖書を信じ受け入れてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
Wings:あなたの言葉は

今日のみことば
主が彼らをそこから彼らを地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえその町の名は、バベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。
(創世記11:8-9)