#991 神の愛の表し方

メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

先日私は、日本初の便利屋さん右近勝吉さんのインタビュービデオを拝見し、感銘を受けました。
実はこの方は総理大臣までが会いに来る、日本一の便利屋さんです。
「ドブさらいしてくれ」「ネズミの死骸をかたずけてくれ」「引っ越しを手伝ってくれ」から始まって、どんな雑用でも気持ちよく引き受ける元祖便利屋の第一人者で、多い月には4000万円以上の売り上げになることもあったそうです。
そんな右近さんのところには、自分も便利屋さんをやってみたいという、見習い志願者が後を絶たず、今までの5000人以上を世話してきたそうです。
弟子入りしてくる人々は、元俳優とか、元ミュージシャンみたいな才能がなければ生き残って行けないような、きらびやかな世界から転身してきた人達が多いそうです。
そしてその中で、本当に便利屋として成功する人にはある特徴があったのだそうです。

等身大の自分を認める

なぜでしょう、自分には才能がないと気づいた人が成功するというのです。
「ほんとうの自分はこんなものじゃない」とか「自分はもっとすごい人間なんだ」とか「私はこんなつまらない仕事に満足しているような人間じゃない」、そんなふうに思っている人は成功しなかったそうです。
右近さんによると、才能がある人は放っておいても才能を発揮していくし、才能がない人はどんなに頑張っても才能そのものが生まれ出ることはない。
しかしその道に才能がなかったからといって、人生がダメになるわけじゃない、自分に価値がなくなるわけでもない。
そもそも才能があるから人には価値があるというんじゃない、神に作られたから価値があるんだ、と言うのです。
そして自分は凡人だ、と等身大の自分を認められるようになると、自己幻想の呪縛から解放されて、どんな仕事でもにっこり引き受けることができるようになります。
そうすると、どんどん仕事が舞い込んでくる。すごい仕事も入って来るっていうんですね。
何かができてもできなくても、自分は生きてよいという根拠を、右近さんは神の愛の中に見出しています。
彼はクリスチャンだからです。

聖書から見る神の愛

そこで今日は、神の愛を聖書から学んでみましょう。
イエス・キリストのことばです。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。

三つのポイントで、神がどのように私たちを愛されたかを考えましょう。

十字架に表わされる愛

第一に、世がキリストを見なくなることによって、キリストは愛をあらわしたのです。
世がもうキリストを見なくなる、とはどういう意味でしょう。
キリストを十字架処刑して、埋葬し、この世から抹殺することです。
つまりキリストが十字架の上で処刑されることです。
なぜキリストが十字架で死ぬことが、神の愛なのでしょう。
それはあなたの不幸の原因である罪を、キリストが身代わりに背負って、あなたの代わりに償いを果たしてくださったからです。
それはあなたに、永遠のいのちを与えるためになさったことです。

ある教育講演者

長年の小学校教員生活のあと、教育講演者として活躍された方に、吉岡たすくさんがいます。
「どうして教育に熱い心を持ち続けることができたのですか」という問いに、ある体験談で語っておられました。
あるとき、卒業生から結婚式の招待状が来たのですが、その日は授業がありました。
それで放課後すぐに出ようとすると、「先生、そんなに急いでどこに行くの?」と生徒たちがうるさいんです。
「結婚式や」と言うと、「そのカッコで行くの?」、「いやいやちゃんと礼服を着て行くよ」「学校にも礼服で来てよ」「いやそんな恰好で来られるかいな、ま、君たちの結婚式のときには着るから」と答えたら、やんちゃな生徒が「あつかましいの~」、「何がや」ときくと「先生、僕らが結婚するときまで生きてるつもりか、それがあつかましいって言うんや」。
みんな爆笑したんですが、吉岡先生、ガク~ンとなりました。そして急いで式に向かったのです。

いのちを与える根拠

さて次の日、登校し職員室に入ろうとしたとき、誰かが足に取りすがっているのです。
見ると、みつお君という少年でした。この子はめったにしゃべらない子です。
おとなしくて、花で例えるなら谷間のスミレみたいな子です。
その子がひとこと「先生死んだらアカン」、「どういうこと」ときくと、「僕の結婚式に呼ぶから、先生死なんといて」。
実はみつお君は、昨日の放課後のあの会話をずうっと考え続けていたのです。
大好きな先生が今にも死んでしまうかのように思えてきたみつお君は、足に取りすがって「死なないで」と懇願したというのです。
いつもはめったに話さない子だったので、余計に心にしみたと言います。
そして実際、彼は大きくなって結婚式に招いてくれたそうです。
そしてこんなふうに愛を受けて来たから、愛し返したくなった、それで長い教員生活が続いたんだろう、と言われていました。
ところで主イエスはあなたに、永遠のいのちを受けて欲しいと願うあまり、十字架で死んでくださったのです。
それは正真正銘、本物の愛です。
「死なないで」という懇願だけではなく、本当にいのちを与える根拠をキリストは十字架の上で成し遂げてくださったのです。

キリストであることの立証

第二に、キリストは戻ってくることによって、愛をあらわした方です。
「戻って来る」とは十字架の死から戻って来る、つまり復活する、よみがえって弟子たちのところに戻って来る、という意味なんです。
今まで、自称救世主が、たくさん世の中に出てきました。
しかし復活できない救世主は、救世主ではありません。
自分の死の問題を解決できない人が、どうして他人の死の問題を解決できますか。
キリストはこの約束を十字架の前に語りましたが、三日後、本当によみがえって弟子たちに姿を現されました。
そうすることによってご自分が、まぎれもなくキリストであるということを立証なさったのです。

伝説のボクサー モハメド・アリ

第三にキリストを信じる人が、この地上にいる間いつもともにいてエスコートしてくださるということです。
キリストが生きるので、信じる人もキリストに支えられて生きることができると語っておられるからです。
ところで昔、アメリカのヘビー級ボクサーにモハメド・アリというチャンピオンがいました。今や伝説のボクサーですね。
というのも、精神的に信じがたい強さを持っていたのです。
多くのファイターは一回負けたらガックリ来てしまいます。勝ち続けてきた人ほど、負けたときのショックが大きくなります。
しかし、アリは決してくじけなかったのです。
実はモハメド・アリを倒したボクサーは三人いました。フレージャーはアリを倒しましたが、アリはカムバックしてフレージャーを二度倒したのです。
ノートンもアリを倒しましたが、アリはカムバックしてノートンを二度倒したのです。
スピンクスもアリを倒しましたが、アリは36歳でカムバックしてスピンクスを倒したのです。
アリはやられるたびに敗北から学び、さらに強くなって帰って来たのです。
どんだけ負けても、勝つための姿勢を失わなかったために、成長し続けることができたのです。

究極の名トレーナー

しかし、どうして心がおれなかったのでしょう。実はモハメド・アリには、世界的名トレーナーが付いていました。
アンジェロ・ダンディです。このトレーナーはアリを含めて15人も世界チャンピオンを育てた名伯楽です。
彼は、負けてうなだれている選手に、なぜ負けたかを分析し、次にどうしたら勝てるかを教え、それを実現するためのトレーニングをほどこしました。
あらゆるボクサーは、このトレーナーと一緒にいると、次にやったら勝てるという気持ちに変わって行ったのです。
アリはひとりで戦ったのではありません。アリとともにいて彼を鼓舞し、やり方を教え、勇気に火をつけるトレーナーとともに二人で戦っていたのです。
名トレーナーが敗北者を勝利者に変えて行ったのです。
復活したキリストは究極の名トレーナーです。
あなたはこのキリストとともに、歩みたくありませんか。キリストはあなたを招いておられます。
どうぞこのキリストを受け入れてください。心からお勧めします。


使用CDジャケット
チェ・ドクシン:あなたを愛す

今日のみことば
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
(ヨハネ14:18-19)