ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、中国で発症した新型コロナウイルスは、瞬く間に南極大陸以外の全てに広がりました。EUでは加盟27か国の全てで感染者が見つかりました。その結果、世界中の国々で感染者を多く出した国からの入国を制限する動きが一気に広がったのです。自国の国民の健康を守るために、特定の国からの旅行者を拒否するんですね。
いったんその国のトップが決定したなら、どんなに入りたい側の方に都合があったとしても入国できないのです。国境管理は国家の専管事項であるからです。そして、それは天国についても言えることなのです。
天国とは神の国のことです。この国の入国は、この国のトップである神が決めることなのです。神が「駄目だ」と言えばそれは駄目です。しかし、神が「良し」と認めるなら、そこに入ることができるのです。聖書はこう語っています。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのためにとりなしていてくださるのです。
ここからいくつかのポイントでお話ししましょう。
小型ヨットで太平洋を横断した人
第一に、一番肝心なことは、すべての支配者である神が義と認めてくださるかどうかということです。
昭和38年、当時24歳だった堀江謙一さんは、小型のヨットで太平洋をたった一人で横断しました。それまで日本人でそんなことをやった人は一人もいませんでした。彼は水20L、米40kg、缶詰200個だけを積んで、94日間かけてアメリカに向かって行ったのです。
途中、何度も危険な目に遭いました。ヨットより大きなサメの群れに取り囲まれたときには、生きた心地がしなかったそうです。と言うのは、船の厚みがたった9mmしかなく、もし体当たりされたら穴が開いてしまったからです。
また途中で水がなくなり、航海中に甲板にたまった雨水を蓄えて渇きをいやしています。水の補給はまさに生命線ですね。
しかし、もっとしんどいのが孤独だったそうです。いつしか彼は作業するときにも、食事をするときにも、何をするときにも、一人二役になって自分がもう一人の自分と会話をするようになっていったというのです。そうでもしなければ気が変になってしまいそうだと言うのです。
パスポートを持っていない
しかし、それよりも何よりも一番彼が恐れていたことが他にあったんです。それはパスポートを持っていなかったということなのです。実は、当時の日本ではヨットで海外渡航することは認められていなかったのです。彼はパスポートを取るためにあらゆる可能性を探りました。しかし、ヨットによる太平洋横断なんて前例がないので、パスポートは発行できませんと言われるのです。
そもそも昭和30年代の日本では、アメリカに渡ること自体に多くの制約があったのです。1ドル360円の時代ですが、しかるべき所持金なしには行くことはできませんでした。アメリカに知り合いがいるわけではなく、英語もできない彼に、渡航目的が冒険という理由では許可が下りなかったというのは、当時としては無理もないことであったのです。
そこで、彼はパスポートを持たず、無許可で西宮港を出たんです。いわば、これは吉田松陰がやろうとした密出国と同じことでした。もし、彼が日本の領海を出るまでの間に、海上保安庁に見つかったら、彼のヨットは拿捕されて、日本に連れ戻され、起訴されたのです。しかし、極秘のうちに見事に出航に成功しました。
しかし、無事に日本を出ることができたとしても、次に、アメリカに上陸できない可能性が高かったのです。なにしろ彼はパスポートを持っていないのです。当然、入国ビザもありません。たとえアメリカについても不法入国者として逮捕され、強制送還される可能性が高かったのです。
サンフランシスコ市長の協力
彼の乗ったマーメイド号がいよいよサンフランシスコの港に近づいたとき、大きなヨットが近づいてきました。「どこから来たんだ!」と聞かれた彼は、「日本の大阪だ!」と答えると、「ワオー!本当かー!じゃあ俺について来い。」
こうして大型ヨットについてサンフランシスコに入っていくのです。実は、この人物はアメリカの大物テレビプロデューサーだったのです。彼の協力でとんとん拍子に話は進んでいきます。そして、サンフランシスコの市長が上陸許可を与えるのです。その時市長はこう言ったそうです。
「コロンブスがアメリカ大陸を発見して上陸したとき、彼はパスポートなんて持っていなかったよな。」アメリカンジョークですね。そして、彼の冒険心に特別の敬意を表し、名誉市民として一か月間サンフランシスコに滞在できるように計らってやったのです。
そんなことが出来たのは、市長が大統領と懇意にしていたことも関係していたのかもしれません。それはともかく、彼は太平洋横断の冒険野郎ということで、アメリカでは一躍脚光を浴びたのです。不法入国者どころか、英雄扱いを受けたのです。そして、それが日本に知らされると、今まで白い目で見ていた当局も、マスコミも、手のひらを返すように彼のことを認知したのです。
義と認められる
なにが決め手となったんでしょう。入国する国の代表が「良し!」と認めて、最高の待遇でもてなしたということです。それまでは不法出国者扱いだったのが、「日本の快男児ここにあり!」という風に英雄視されるように変わってしまったのです。
ところで、私たちは他人から批判されたり、また自分自身でも、自分が嫌になるような情けないことをしでかす不完全な罪人です。しかし、人生を終えて自分の造り主の前に立つとき、一番肝心なことは世間の評判がどうであったかということではなく、自分に対する自己評価がどうであったかということですらもありません。一番肝心なことは、神があなたをどう評価するかなのです。神があなたを「良し」と言ってくださるかどうかなのです。
聖書はこう言っています。「だれが、神に選ばれた人を訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです」と。
神が義と認めてくださるのであるなら、たとえ自分の心が自分自身をどう 責めようが、世間の人がどんなレッテルをあなたに貼ろうが、そんなことは小さな問題でしかありません。
では、神はどのような人を義と認めてくださるのでしょう。イエス・キリストの死を自分の罪の身代わりの死として受け入れ、墓に葬られた後、三日目に復活したイエス・キリストを自分の救い主として信じる人、その人を神は義と認めてくださるのです。
いかがでしょう。あなたのために救い主にとなられたイエス・キリストをぜひ信じ受け入れてください。心からお勧めいたします。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのためにとりなしていてくださるのです。
(ローマ8:33-34)