ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。
さて、今年は一年延期された東京オリンピック開催の年です。見る者にとっては一年延びただけですが、去年の夏に体をピークにもっていく為に調整していたアスリートにとって一年の延期は想像を絶する負担だったことでしょう。それでも一からコンディションを作り直し、モチベーションを保つよう努力するというのは凄まじいエネルギーを必要とすることでしょう。
ところで、どうしてそんなにまでしてしんどい目をして最高のパフォーマンスができるように自分を追い詰めていくんでしょう。突き詰めて言えば幸福感を得たい為です。パスカルという人はこう言いました。「全ての人が幸福になることを求めている。そこには例外はない。どれほど異なる方法を用いようと皆がその目的に向かっている。」
では、本当の幸福はどこにあるんでしょう。それを聖書に聞いてみましょう。旧約聖書にアグルという人物の祈りが出てくるんですね。そこで彼は次のように神に祈るのです。
二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。
ここから3つのポイントでお話しいたしましょう。
むなしいものを追い求める人の本質
第1に、人の幸せは知恵そのものにはないというのです。アグルは自分からむなしいことと偽りのことはを遠さけてくださいと祈っていますね。それは彼が人の本質がむなしいものを追い求めたり、偽ったりするということを知っていたからです。
今から30年以上前のベストセラーに『アルジャーノンに花束を』という小説がありました。IQ68の青年チャーリーが脳の手術によってIQ185になるのです。しかし、自分よりも前に同じ手術を受けて驚くべき知能を得たスーパーマウス“アルジャーノン“がやがて急速にその知能を失うのを見て自分の結末を知るのです。「ああ、私も近い将来、突然ダメになっていくんだ。」と。
ところで、人間離れした知能を持った人はそうでない人よりも幸せになれるんでしょうか。チャーリーはこの手術を受ける前、自分がみんなに笑われるのはみんなが自分のことを好きだからだと思っていました。しかし、天才となった今、馬鹿にしてる人もいたことに気がつくのです。人のちょっとした仕草や表情で人の心まで読み取れるようになったチャーリーは、人間の悪意や嫉妬、闇の部分をどんどん理解していきます。人のことが分かり過ぎる知能の為に彼の周りの人間はどいつもこいつも裏表があって、二重人格者で、どうにもならん奴らばかりだと分かってしまうのです。
その時、彼は幸福感を味わってるでしょうか?いいえ、実に不幸な気分で人にも自分にも、そして、自分の人生にもうんざりするのです。知能や知性は人間にすごい繁栄をもたらしましたが、同時にすごい苦さをももたらしたのです。賢いというだけで幸福感を得ることはできないのです。
富が幸せをもたらすわけではない
第2に、アグルは自分が正気を失うような富も貧しさも両方とも与えないでくださいと神に願っています。富は無いより有る方がいいんですが、有りすぎると人をダメにする魔力を秘めているのです。
2018年にノーベル平和賞を受賞した方に、デニス・ムクウェゲというコンゴのお医者さんがいます。彼はそれまでに5万人以上のコンゴの女性を無償で治療してきた方です。ところで、コンゴには女性の患者が非常に多いんですね。そして、多くの女性はレイプされているのです。被害者は8歳から91歳まで、レイプの被害者がいるのです。国中至る所でこのおぞましいこの性犯罪が横行しています。一体この国に何があったんでしょう。
実はコンゴという国はアフリカの中でも飛び抜けて地下資源が豊かなのです。特にレアメタルがコンゴの東部に集中して埋まってるんですね。例えば、スマホに使われるタンタルという金属は80%がコンゴにあるのです。そこで、これら地下資源を自分たちのものにしようとして数百の武装集団が国中を荒らしまくってるんです。彼らは村に入ると全員レイプします。それは、自分たちが圧倒的な力を持っているということを村人たちの心に焼きつける為なのです。そして、そのようにすることによって他の武装集団が入り込めなくなると考えているのです。
このようにしてアフリカ大陸で最も豊かなコンゴは、アフリカ大陸で最も治安の酷い国になったのです。コンゴに地下資源が発見される以前、この国は平和でした。しかし、富がこの国の人たちに正気を失わせたと言うこともできるのです。富は無条件に人を幸せにするものではありません。では、幸福は何処にあるのでしょう。
神への信頼が幸福をもたらす
第3のポイントです。それは、この世界を造り、あなたをこの世界に生まれさせ、そして、あなたを愛しておられる創造主なる神への信頼の中に本物の幸福があるのです。
ところで、あなたは自分の容姿に満足していらっしゃいますか?背が低いとか、目が小さいとか、足が短いとか、誰かと比較するとついコンプレックスを抱きがちです。
今から30年ほど前、私はある方のお屋敷に訪問したことがあるのです。とあるクリスチャン女性のお母さんで70代の方だったと思います。娘さんから聖書の話を聞くのですが、心を固く閉ざしておられるんですね。「是非、母に会ってやってください。」と依頼された私は恐る恐るお部屋に入りました。すると彼女は私を見るなり穏やかな表情に変わり、まるで息子でもあるかのように、しかも、尊敬語で対応してくださったんです。開口一番、「○○さんが生まれ代わって私の前に現れて来たかのように思った。」とおっしゃるんですね。この“○○さん“というのは彼女の義理の息子さんで一月前に癌で亡くなっておられたんです。
この方はいつも彼女を訪問しキリストのことを伝えていたんです。しかし、意地を張っている間に彼が亡くなってしまい、「なんで彼の目の前で決心しなかったんだろう…」とずっと後悔していたというんですね。「今日、〇〇さんのそっくりさんを私に送ってくださったので、神様が私を励ましてくださってるに違いない。神はなんとお優しい方でしょう。」と大歓迎で迎えてくださったんです。そして、その場でこの方はキリストを信じ受け入れたのです。
それ以来、私は自分の顔に自信を持つようになりました。他の人と比べてへこむことはありません。一人ひとりが違った個性を持ってるんですね。神様は何一つ無駄な事をなさらない方であって、いや、この方は最善以下のことは何一つなさらない方である。この神への信頼が私たちに幸福を生み出すものなのです。そして、この神を失って生きているということが人生の不幸感の大きな原因なのです。
どうぞ、あなたも救い主イエス・キリストを通して、幸いの根源であるあなたの造り主に返ってください。心からお勧めします。
むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。
私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。
(箴言30:7~9)