#1056 義と愛の神


メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。高原剛一郎です。

ピーター・ドラッガーという経営学者は、マネジメントの概念の生みの親となったというふうに言われています。
彼が書き残した経営学は、今でも多くの企業にとって経営の指針となっています。彼が33歳の時、アメリカの巨大企業ゼネラルモータース社から、より良い経営のアドバイスを求められました。
彼は会社の中に分け入り、18ケ月にわたってその内情をつぶさに観察し、どうすればより良くなるかという提言を書き上げたのです。その内容は「会社という概念」という本になって、今日も出版されています。
ところが彼に頼んだGM社では、この本は総スカンを食らったんですね。あまりにも痛い所をズバズバ突いた内容であったので、特に幹部たちはひどく反発したのです。それはプライドを傷つけられたからです。
当時の社長などはこの本の話題が出るだけで、露骨に嫌な顔をしました。ところがGM社のライバルだったフォード・モータースは、自分たちの会社の問題点をこの本で理解し、次々と思い切った改善を重ねて確実に業績を伸ばしていったのです。
正しい指摘は耳に痛く、時にプライドを粉砕します。しかしそれを受け入れるなら、必ず祝福が返って来るのです。
ところで聖書には「神は愛だ」と語っているところと、同時に「神は正義の神で、必ず罪に対してさばきを下す」とも語っています。こう書いてあるのです

こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。

ここから二つのポイントでお話ししましょう。

ワトソンとクリック

第一に、さばきの日が神によって定められている、ということです。
ところでさばきを語る神は、人に対して恐るべき無慈悲な方なのでしょうか。私はそうは思わないのです。裁きも神の愛の現れとも言えるのではないかと思うのです。
実は私が高校3年生の時の担任の先生は、生物の先生でした。私は理科系コースでしたので、生物はⅠとⅡの両方学んだんです。ある日の授業の中でDNAが取り上げられました。そのとき、いつもは物静かな先生がとっても熱く語り始められたのです。
ワトソンとクリックという二人の学者が、いかにして人間の遺伝情報媒体であるDNAが二重らせん構造になっているかということを突きとめたのか、ということについて語ってくださったのです。後に私もワトソン自身が書いた「二重らせん」という本を読んで、科学の世界にロマンを感じました。ワトソンとクリック、そしてウイルキンスという三人は1962年にノーベル賞を受賞したのです。彼らの解き明かした二重らせん構造の論文こそは、分子生物学時代の幕が切って落とされた瞬間だったのです。

他人の成果を横取りしていた

ところが彼らがノーベル賞を受賞してから17年後、アン・セイヤーという女性が衝撃的な論文と本を出版したのです。それはワトソンとクリックが自ら発見したという二重らせん構造は、人の実験データと論文を横取りしたものだという内容のものです。
被害者は32歳のロダリンド・フランクリンという女性ユダヤ人学者です。ワトソンの二重らせんの本の中で、ヒステリックで気難しいダークな女性としてさんざんに批判されている人です。
実は、ワトソンもクリックもDNAの構造研究で完全に行き詰まっていたとき、ロダリンド・フランクリンはDNAの構造を実験データで解明していたのです。そればかりではなく、DNAの三次元形態を示すX線写真の撮影にも成功していたのです。
ロダリンド・フランクリンの上司で彼女のことをよく思っていなかったウイルキンスは、秘かにこの写真をワトソンたちに見せていたのです。それだけではありません。クリックは、フランクリンが全くあずかり知らぬ間にDNAに関する彼女のデータをのぞき見していたのです。
実はフランクリンは研究資金の提供を受けていたイギリスの財団に、研究レポートを提出しなければならなかったのです。クリックはこのレポートをある人物からこっそり入手していたのです。そのレポートの中身は、ありえないほど貴重なデータと彼女の解釈が書いてあったのです。これを使ってワトソンとクリックは論文を書き上げたのです。

さばき主がおられる

ではどうして、ロダリンド・フランクリンは抗議しなかったのでしょう。ノーベル賞受賞の4年前、がんで亡くなっていたのです。そのがんの原因は、DNAのX線撮影のためにあまりにも多くの放射線を浴びたことによるのです。自分の命を削ってDNAの構造を解明した本人が、何一つ報われることなく、むしろ死人に口なしでダークな女性に描かれている、ということを知ったアン・セイヤーはついに資料をそろえて本を出版しロダリンド・フランクリンの仇を打ったのです。
今日ではDNA構造の解明は、ワトソンとクリックと信じている専門家はほとんどいません。事実の追跡調査によって、ロダリンド・フランクリンの功績が明らかにされたからです。アン・セイヤーはこの告発によって世界的科学者にさばきを下したのです。
ところでこのさばきは、不正に対する怒りということもできますが、同時にしいたげられたままの友に対する愛、ということもできるのではありませんか。
神はさばき主です。それは口を封じられ、踏みつけられたままの人に対する愛から出ている、ということもできるのです。もしあなたが誰かに不当な仕打ちを受けて、何も反撃できなかったとしても、神が必ずあなたに代わってかたをつけて下さるのです。

神はあなたを受け入れてくださる

第二に、神は罪人に対してもあわれみ豊かな方だということです。
私たちはだれかによってひどい目にあわされた被害者の面があります。しかし同時に他のだれかに対しては、加害者の面も持ち合わせているのです。もし神が加害者を必ず罰する方であるなら、わたしもまた罪の罰を受けなければなりません。しかし神は、私たちが受けなければならなかったはずの罪の罰を、イエス・キリストの上に下されたのです。このキリストの身代わりの償いのゆえに、あなたは罰を免れるのです。
ある夫婦が、長い間居候していたジョージおじさんの葬式を行いました。その帰り道、夫が妻に思わず言ったんですね「僕は君を愛している。そうでなかったら君のジョージおじさんを引き取ることなんかできなかったよ」。実はこのジョージおじさんは、たいへん問題のある人物だったのです。わがままで乱暴で、口汚く、会う人みんなを嫌な気分にさせる人物でした。なので、死んだ後でも思わず愚痴をこぼしてしまったのです。すると妻が目を見開き、「なんですって、ジョージおじさんはあなたのおじさんだとばかり思っていたわ」。
いったいこのおじさんはだれだったんでしょう。一つ言えることは、このご夫妻は、相手のゆえに受け入れがたい彼を受け入れていたのです。さて、神はキリストのゆえに、あなたを受け入れる方です。しかもこの夫婦のようにいやいやながらではなく、心から喜んで、あなたを愛して受け入れてくださる方なのです。
どうぞキリストを信じて、この神に立ち返ってください。心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
粟野めぐみ:注がれた愛

今日のみことば
こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
(1ヨハネ4:17)