#1057 完全な救いを用意し私たちを招く神


メッセンジャー似顔絵

ごきげんいかがですか。那須清志です。

新型コロナウイルスの問題で聞きなれない言葉がたくさん出てきました。クラスターや感染者集団、オーバーシュートや爆発的患者急増、ロックダウンや都市封鎖など。日本語でもいいのですが危機感を感じてもらうためにあえてカタカナにしているとか。
さて、明治になり翻訳された聖書を通して現代の日本人は本格的に聖書に触れました。その翻訳の際、聖書が語る「創造主」を「神」と訳したことによって、誤解を与えてしまったと考える人たちもいます。神の代わりに「創造主」やカタカナで「ゴッド」と表現した方がよかったのではないかと言うのです。
確かに亡くなった人を神として祭ったり、自然界にあるものを神々と考えたりすることが多い日本人は、聖書の神もたくさんある中の一つと考えてしまいがちです。それはキリスト教の神で私には関係ないと思ってしまうのです。しかし、聖書が語る創造主はあなたの魂を造られた方、魂の親なる方です。次のような聖書の言葉があります。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

三つのポイントで考えていきましょう。

人の姿となられたキリスト

一つ目は、人の姿をとられた神です。
最初に出てきた「ことば」というのは神のことで、神は、ことばなる方とその前で説明されています。神に似たものとして造られた人間は、生き物の中で唯一言葉を使ってコミュニケーションを取ります。
この世界には言葉以外で意思の疎通を図ってるものもいます。イルカが使う超音波や、蜂が巣で行うダンスなどが有名です。最近注目されているのはイカが用いる光のコミュニケーションです。太平洋の水深500メートル近い、光のほとんど届かないところで、人間ぐらい大きさの何百というフンボルトイカが、高速のスピードで10センチほどの小さなイワシを追っているのですが、ぶつかることもありません。その様子を撮影し学者たちが分析すると驚くべきことが分かりました。そのイカの筋肉の中に光を作り出す器官が備わっていて、色々な皮膚のパターンをほのかに照らし出すことができるというのです。
さらに驚くべきことに、皮膚の色のパターンの変化を相手に見せて、コミュニケーションしている可能性があるというのです。その科学者曰く、「あれは俺の魚、邪魔するな!」みたいな信号を送っているようなのです。光を発生するだけでも驚異的なシステムですが、それを互いに信号として理解し合うための機能は、何万年たっても偶然にできるようなものではありません。これも創造主がおられるという例の一つなのです。
さて、神は様々な方法をもって人間とかかわることを願っておられます。聖書という文字情報を通して人間に語られましたが、今から二千年前、神はさらに進んだ、違った方法で人間に近づかれました。それは、神が人の姿を取られて、この地上に来られたと言うのです。
旧約聖書で予告されていたこととは言え、神が人の姿を取られたイエス・キリストそのものが奇跡中の奇跡なんです。

神からあなたに近づかれた

二つ目は、人間の罪を覆う神の恵みです。
人間は神を見失い、ちょうど親元から離れ、迷子のようになってしまいました。その人間を心から愛し、慈しみ、恵みをもって救いを与えたいと神は願っておられます。
今から15年前、2005年4月25日JR福知山線で脱線が起こり、107名が亡くなられ562名が負傷するという、とても痛ましい事故がありました。先日、生き延びた方々についての記事を読みました。彼らの心境はとても複雑です。
特に自分が生き残ったことの申し訳ない思いがすさまじいのです。これはサバイバーズギルトと言われ、戦争や災害、事故、事件などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人が亡くなったのに自分が助かったことに対して感じる罪悪感のことです。この人たちは、「自分は亡くなった人より立派なわけではないのに、自分だけが生きていいのか。自分は治療を受けて命をつないだが、自分のせいであの人は治療を受けることができなかったのではないか。私の身代わりに死んだのではないか。」などと強く思うのです。人間の複雑な心の思いを考えさせられます。
人は辛いこと、困ったことが起こると、「どうして自分だけこんなことが起こるんだ」とつぶやきますが、いざ自分だけ得をしたような時にも、後ろめたさを感じてしまうのです。まるで悪は罰せられ、善は報われ、祝福される、公平な裁きが行われるべきだという思いが埋め込まれているようです。
それこそ神から離れてしまったものの、心の底から叫んでいる、完全なものを求める思いと聖書は語るのです。完全になりたいと思っても完全になれず、自分の罪の中で滅びようとしている人間に、限りない愛を注いでおられるのがあなたの造り主です。神が人となってこの地上に来られたのは、この人間に祝福と恵みを注ぎたいと願われたからです。私たちが知らない間に求めてる完全な義や平和を神はあなたに与えたいのです。そして神の恵みにより神の方からあなたに近づかれたのです。

キリストが犠牲となられた

三つめは確かな救いを用意されたイエスです。
「恵みとまことに満ちておられた」の「まこと」というのは真理、真実という意味です。聖書が語る救いは、絵に描いた餅ではありません。考え方や単なる理想、夢でもありません。それは、イエス・キリストの十字架と復活という歴史的な事実に基づいて、人類にはっきりと示され与えられたものです。
今、全世界で全力をあげて新型コロナウイルスのワクチンや治療薬の開発が進められています。今まで使ってきた薬の中でこの病に効果があるかを調べるのも大変なことですし、時間がかかります。しかし、一から作り出すとなるとその手間はもっと大変です。使えそうな薬が出来たらまず最初に動物実験がなされます。ネズミ、ラット、猿の順番に試験を行っていくというのです。実際にこのウイルスを動物に感染させ、肺炎を起こし、その薬が安全に効果を発揮するか時間をかけて調べるのです。かわいそうな気もしますが、これが現実で必要なことです。そういう動物たちの犠牲の上に私たちの命は守られていると言えるでしょう。実験動物を扱っている団体が、慰霊祭のような形で弔ったり、感謝を表すというのはよくあることです。
やり方はともかく、その気持ちは十分理解できます。ふつう、いきなり人間に対して、それも本人の承諾もなく実験するということはあり得ません。そう考えると、聖書が語る神の救いは私たちの想像をはるかに超えています。神が人の姿を取られたのは、同じ人間として、しかも完全な生涯を歩んだ後に、罪を身に負い、罪あるものとされ、身代わりに裁かれるためでした。イエスは十字架の苦しみを通して、歴史上ただ一度、自分の意志で救いのわざを成し遂げられました。障壁となっていた罪という病を癒すために、犠牲となってくださいました。そして、三日目の復活によってこの方法が間違いないことが証明されたのです。
後ろめたさから完全に開放するために、救い主イエスがあなたの不完全さや弱さを全て担ってくださったのです。イエスは今「任せてほしい、委ねてほしい、私がすべて引き受けるから」と語り、招いておられます。
あなたも是非この恵みとまことに満ちておられるイエスを信頼する歩みに入られるよう心からお勧めいたします。


使用CDジャケット
国分友里恵:不思議な主の恵み

今日のみことば
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネ1:14)